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ペルソナ・化身とパブリシティ権

友利昴(Subaru.T)さんよりバトンをいただきました。アドベントカレンダー企画、「法務系 Advent Calendar 2019(裏)」(#裏legalAC)の記事になります。表はこちら

「裏」は、ハンバーグ縛りがあるらしいのですが、ハンバーグの人こと
@miraisaaan さんの投稿をみて、ランチにハンバーグをおいしくいただいたところ予想どおり胸焼けになりました・・・。法クラ老人会所属の弁護士の北岡弘章(注1)と申します。

思いつきの端緒

今回は、何か結論めいたものではなく、最近つらつらと考えていることを整理したいなというもので、人格権やパブリシティ権がらみの話です。

表のアドベントカレンダー、マギー住職さんの「「全裸監督」の題材となったセクシー女優さんの「権利処理」はすべきだったか 」で、芸名についての法的権利について触れられていて、今年(2019年)の情報ネットワーク法学会での発表(バーチャルYouTuberの人格権についての報告とSNSアカウントの引渡に関する裁判例の紹介でした)を聞きながらパブリシティ権のことをつらつら考えていたことを思い出し、少し文章にして整理したいなというのが目的です。

バーチャルYouTuberの人格権

一つ目は、バーチャルYouTuberの人格権に関する個別報告です(静岡大学原田伸一朗先生 バーチャルYouTuberの人格権および著作者人格権)。

私自身、バーチャルYouTuberをやっているわけではなく、これからもバーチャルYouTuberを自らやる人がたくさん出てくるわけではないと思いますが、情報ネットワーク法学会の発表を聞いていて、これからいろいろな場面でこのような問題が生じるのではないかと考えました。

上記発表の中でも触れられていたのですが、難波優輝という方の「三層理論」というのが紹介されていました。

三層理論というのは、

「VTuberの鑑賞の対象は、じっさいのひとであるパーソン、そのパーソンのメディアを介した現れであるペルソナ、そして、パーソンが用いるひろい意味でのアバター/擬人的な画像が表象する「フィクショナルキャラクタ(fictional character)」の画像」

の三層に分けて考察する枠組み(バーチャルYouTuberの三つの壊れ――設定、身体、画像(『ヱクリヲvol.10』刊行イベント「一〇年代ポピュラー文化のアニマ」特別寄稿)より)です。

その上で、バーチャルYouTuberといっても、演じている中の人(三層理論にいう「パーソン」、以下「中の人」といいます)を意識させない(隠す)キャラクター型と中の人を隠さないパーソン型(アバター部分は、可愛い女性キャラだが声はおじさん)にわかれ、それにより人格権、著作者人格権の侵害等には濃淡が生じる(パーソン型は人格権的構成をとりやすい)というものです。

私でも知っているという意味で、バーチャルYouTuberとしてはキズナアイあたりが認知度が高いですが、もともと1人だった「中の人」が4人に増えるとう騒動がありました。商業化していく中で、アニメの声優のように中の人が交替、あるいは分担する様になってきています。

このような中で、中の人は何か権利を主張できるのかというのが、上記個別報告の流れでした(報告の中では著作権等にも触れられていました)。

発表者の方は、時間の関係かパブリシティ権との関係はあまり触れられていなかったのですが、パブリシティ権との関係を整理しておかないといけないなと考えたのです。

SNSのアカウントは誰のもの

もう一つは、2019年情報ネットワーク法学会の第9分科会「デジタルプラットフォームとプロバイダ関連法」で、弁護士の吉井和明先生が紹介された、大阪高裁平成31年3月27日判決も個人の顧客誘因力の側面が問題となった事件と捉えることが可能だなと考えていました(発表自体はプロバイダ責任制限法の関係なので、パブリシティ権等とは直接の言及はなかった様な気がします)。

事案は、会社の代表者が個人的にインスタグラムのアカウントを開設し、会社の商品の宣伝を行っていたところ、代表者の退社後、会社側が元代表者にアカウントの引き渡しを求めたが応じず、会社側が損害賠償請求訴訟を提起したというもので、結論としてアカウントパスワードの開示及び損害賠償請求が認容されました。

認められた根拠としては、民法646条2項(受任者は委任者のために自己の名で取得した権利を委任者に移転しなければならない)で、代表者だったからとりうる構成で、従業員その他に応用できるような構成ではありませんが(また、利用規約上アカウントは譲渡できないことも報告では指摘されていました)、ソーシャルネットワーキングサービスのアカウントの財産価値と人格権的な価値が分離した事案の一つではないかと思います。

パブリシティ権のごく簡単なおさらい

ピンクレディー事件最高裁判決(最判平成24年2月2日)では、

人の氏名、肖像等(以下、併せて「肖像等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される(氏名につき、最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁、肖像につき、最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁、最高裁平成15年(受)第281号同17年11月10日第一小法廷判決・民集59巻9号2428頁各参照)。そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。

としています。氏名、肖像等が個人の人格の象徴であり、顧客吸引力等の商業的価値に基づくもので、人格権に由来する権利の一内容であるとしています。

なお、同最高裁判決後のパブリシティ権の判決として、Ritmix事件(大阪高裁平成29年11月26日)があります。非芸能人や非プロスポーツ選手のパブリシティ権が認められ、また、パブリシティ権の主体から独占的利用許諾を受けた会社による損害賠償請求が認められた事案です(東洋大の安藤和広教授の評釈があります)。

バーチャルYouTuberとパブリシティ権

バーチャルYouTuberで考えてみると、バーチャルYouTuberの名称、仮名(芸名?キャラクター名)の事が多いかと思います。

上記最高裁判決でも「氏名」も人格権に含まれることは前提にしています(上記判決が援用している最高裁昭和63年2月16日判決「NHK日本語読み事件」が氏名に関する事案)。また、仮名、芸名も氏名に含まれると解されていますし(五十嵐清『人格権法概説』150頁、内藤篤・田代貞之『パブリシティ権概説』〔第2版〕234頁)、芸名の場合は、商業的価値に関する側面が強いので、パブリシティ権の問題として整理できそうです。

とするとバーチャルYouTuberの名称に関するパブリシティ権は、誰に帰属するのかですが、あくまでも個人の人格に由来するものなので、先に紹介した、キャラクター型とパーソン型でいうと、キャラクター型は、人格に由来しない(程度が低い)ので、中の人には帰属せず、パーソン型はパブリシティ権が中の人に帰属すると考えることができそうです。

キャラクター型は、アニメのキャラクターと声優の関係に近く(声優との違いは、技術的には中の人の動きも外側のキャラクターに反映しますので、より中の人との個性が反映しやすいとは思います)、アニメの声優の方にパブリシティ権が帰属するというのは違和感があるので、そのこととも整合的です。ただし、これらの型の区別をどこでするのかというのは実際には難しいでしょうし、実務的には契約で明確にするのでしょう。

肖像に対応するものとしては、キャラクターと映像としての部分ですが、この部分は、その中の人の人格に由来すると言うことは一般的には難しい(もちろん似顔絵のように肖像由来であれば別ですが)でしょう。こちらは、基本的に著作権あるいは隣接権の帰属の問題が中心になりそうです。

ただ、ピンクレディー事件最高裁判決も氏名、肖像等としていますので、氏名、肖像に限定している訳ではなく、バーチャルYouTuberの名称、キャラクターの造形、動き等の総体として、人格由来のものとして統一的に保護される余地もあり、このあたりはもう少し考えてみたいところです。

SNSのアカウントとパブリシティ権

先に紹介した大阪高裁平成31年3月27日判決は、アカウントの開示の問題でしたが、問題の実態としては、会社の商品等を紹介し、フォロワーを獲得することによりアカウントの価値が生じるので、その経済的価値は誰のものかという争いです。

同判決での裁判所の判断は、民法646条2項が中心のためパブリシティ権の帰属と言った問題は触れられていません。ただ、アカウントが個人のものであるという元代表者側の主張に対しては、業務の一環であるということを認定した上で排斥しています。

パブリシティ権の問題として考えた場合ですが、同事案で問題となったアカウントの名称は、会社の登録商標、あるいは商品ブランドロゴをアルファベット小文字にしたものでした。アカウントの名称が氏名、あるいは仮名の場合と異なり、アカウントの利用者の人格に由来するとはいえず、会社側に権利があると考えられる事案でしょう。

他方、インスタグラムのトップ画像についてもキャラクター画像が表示されているということで肖像ではないようです(原審判決を確認できていないので詳細は不明です)。とすると、こちらも元代表者にパブリシティ権が帰属しないと言うことを補強しそうです。

なお、もちろんパブリシティ権云々よりも、最初のアカウントの設定時にこのあたりをきちんとルール決め(SNSアカウントの社内規則等)しておくことが実務的な対応でしょう。ただ、対応できていなかった場合に法的には難しい問題であるというのは間違いありません。

まとめ

パブリシティ権というのは、顧客吸引力が認められるかというのが、芸能人、スポーツ選手といったマスメディアにおいて著名な人たちに認められることが多かったのですが、先に紹介したRitmix事件(大阪高裁平成29年11月26日)

もそうですが、マスメディアレベルで著名ではなくても、パブリシティ権として保護される余地がでてきており、人格権由来であるということからするならば、経済的側面が考慮されればパブリシティ権を認める余地がでてくると考えています。

もちろん、権利を認めれれば、その許諾が煩雑になるなど弊害は出てきますが、もともとパブリシティ権は認められたとしてもその働く範囲は狭いので、その点でバランスを図ればよいでしょう。

バーチャルYouTuberとインスタグラムのアカウントの例を紹介しましたが、今後、技術の進展により、誰もがbot(人工知能を活用したbotによるエージェント(代理人、化身、アバターといったあたり?))という形で実在の人と別の形で活動すること(人格の使い分け?)が増え、人格権の財産的側面を活用できるようになって行くと思われます。

AIを利用したbotというのは現在も存在していますが、エージェント型(代理人型)のbotの活用も増えて行くのではないか、そうだとすれば、今後仮名とかアバター(化身)をどのように法的に保護できるのか、できないのかを整理しておくと、問題を整理する視点として役立つのではないかというのがとりあえずの結論です。

次は、Koji Noguchiさんです。よろしくお願いいたします。

注1 大阪弁護士会には北岡「裕」章先生がおられます。読み方が同じで漢字も一文字違い、元大阪地裁の知財部におられた方で、私も知財まわりもやっているので、誤認混同が生じがちですが、別人です。

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