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ボーダーコリーに負けるな

お風呂に入った。あまり好きではないが、お風呂に入った。ボーダーコリーも嫌々ながらお風呂に入っているから、私も入った。

ボーダーコリーは私の家にはいない。動画や写真で見ただけだ。噂によるとかなり賢いと聞く。フリスビーをキャッチしたり、きちんと待てをする様を見ては私よりもお利口なのではないかと思う。運動能力、落ち着き、可愛さ、知的さ。この分野で戦うと、私はボーダーコリーには敵わない。

なぜボーダーコリーと張り合っているのかというと、先日、友人と新年の挨拶をしていたはずが、話は脱線に脱線を重ねて、賢い犬として名のしれたボーダーコリーを飼っている方の動画を同時に流していた。そのときの家の風景が、私の家によく似ていたのだ。小学生よりもっと幼い、幼稚園くらいだろうか。妹が幼稚園に通っていた頃と記憶が混同しているかもしれない。しかし、壁には角という角に緩衝材が貼ってあった。また、育てた記録にも成犬になるまでは意思の疎通が難しく、ご褒美や無視などの対応は効果がなかったとある。

「わかるわー。言うこと聞かないよな。俺もそうだった。ご褒美なんてもらった瞬間から忘れていくからね」

「犬側の感想だな」

確かにそうだ。私もそのへんにあるものに手を伸ばしては破壊していたのだろう。扉という扉に封がなされ、コンセントは全てプラスチックの留め具で閉められていた。言葉の通じない生き物は日に日に力が強くなっていき、知恵も付く。しかし、段取りや行動の制御ができるようになるまでは年単位の時間を必要とする。お手やおかわりはともかくとして「待て!」は小さい頃から言われていた。

そして、最近のペットフードというのは大変健康に気を使ったものもあり、飼い主さん毎に野菜やお肉を加えたものを用意することもあるようだ。

「……これ、下手したら俺達よりいいもの食ってないか」

友人が言った。

正直、何も考えずに生きていたら年中パスタを貪っているであろう私は、その疑問を明確に否定できなかった。妻がいなかったら、私はこのワンちゃんよりも栄養に偏りのある食事をしていただろう。そもそも、栄養に気を使うということがすでに偉い。「糖質と脂質、あとビタミンB1B2と食物繊維を軸に組むか」と組み立てられれば、食事に興味がないなりに体に入れるものをパズルとして楽しむこともできる。できるが、それは体力を使うので、段々と後回しになって最終的にパスタに落ち着く。

自分の体を労るだとか、ちゃんとお風呂に入るだとか、運動をするだとか。できればフリスビーはキャッチできるようになれたらいいし、この年なのだからせめて「待て」くらいは習得しておきたいものである。

「今年の目標『打倒ボーダーコリー』だわ」

そういうわけで、私は嫌々ながらお風呂に入っているのだ。

この新年の目標は妻にも伝えた。

「え、じゃあ、ボーダーコリートーナメントをするの?」

「ボーダーコリートーナメント?」

「〇〇くんとボーダーコリーが戦う」

「なるほど」

「でも、〇〇くんがお風呂に入らなかったら予選で敗退」

「そこはまだ予選なんだ」

「戦うボーダーコリーは私が選んでいいの?」

良いわけないだろ。こっちは来年の末に「打倒ボーダーコリー、ならず」という誰にも伝わらない劣等感を抱えて年を越す可能性を今から考えているのに妻はその現実をより具体的な形で出現させようとしてくる。

さらには「ねぇ、お散歩行こう? ボーダーコリーはお散歩するよ」とか「ほら、ご飯食べて。ボーダーコリーもご飯食べてるよ」とか「ボーダーコリーもお風呂はいるから」といったように、あらゆる生活において架空のボーダーコリーを引き合いに出すようになった。確かに、ボーダーコリーは散歩に行くだろうし、ご飯も食べるだろうし、お風呂にも入るだろう。妻は私より上手く私の目標を使いこなしている。

「こう、誘導するわけ。私はねぇ、牧羊犬だから」

妻は眉毛をキリリッとして私を見る。

ボーダーコリーも牧羊犬ではなかったか。私は妻には敵わないのだが、そうなると、随分広大な目標を掲げてしまったような気がする。

新年早々ではあるが、「打倒ボーダーコリー」という目標が達成できなかった場合には「相手が悪かった」と述べることに尽きるのではないかと思う。

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