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ネーミングセンス

椅子に座っている。

いつぞや、恋人へのプレゼントに買ったトリケラトプスをイメージした椅子だ。イメージしたというか、トリケラトプスのぬいぐるみに椅子の機能が付いたと言うべきだろうか。

このトリケラトプスは、なんとも間抜けな顔をしている。口をぽかんと開いていて、何が起きてもあまり気がついていないような顔だ。鳥が背中に乗っていても、尻尾を小さな恐竜に噛まれても、もしくは、隕石が地球に降り注いでいるときでさえ、ポカンと口を開けているのかもしれない。

恋人はこの椅子を「トリケラちゃん」と呼んで可愛がっている。恋人と過ごしていてわかったことだが、恋人が勝手に名前をつけたものが多い。

先日、自転車を買った。恋人は共有財産だと主張して譲らないが、私は私の自転車だと思っている。その自転車に恋人は「ピカチュウDX号」と名前をつけた。ただ、フレームが黄色いというだけだ。その他に深い意味はない、と思う。実際、その他のどこにもピカチュウの要素はない。

こうして、中古で買った自転車はピカチュウDX号と名を改めこの世で一つの自転車になった。黄色い自転車はこの世に数多あるが、ピカチュウDX号は一つだけだ。次に自転車を迎えるときには、新しい名前がつくことだろう。

私はそうして名前をつけることがほとんど無い。先程から連呼しているピカチュウが登場するポケモンにはニックネームをつける機能があるが、それさえもなんだか気恥ずかしくてやめてしまった。むしろ、買うものの一つ一つが、長期的に見れば消耗品に思えてくる。3年も使えば、パソコンだって買い替えどきだ。そのパソコンにだけは、唯一名前をつけている。今使っているパソコンは、寅丸という名前だ。

一つ前のパソコンはジェシカという名前だったが、ある日電車内に置き忘れてから見つかっていない。無くしてから一年くらいは、起動した形跡がないか調べていたのだがそれも今はやめてしまった。物に愛着を持つと、無くしたときにダメージを負う。

先日も腕時計をなくし、折りたたみ傘をなくした。使う機会の限られているものでさえ、どこかへ行ってしまう。結婚指輪を無くしていないのが奇跡的に思えるほどだ。


天井を見る。視力の悪い私は、天井があまり良く見えない。白いことはわかるのだが、シミのようなものがあったとしてもわからないだろう。指さされてもなお分からないし、シミが顔に見えるとかそういうこともない。見えないのだから。

寝るときは、アイマスクをする。すると、天井は本当に見えなくなる。そして、ただただ退屈な時間が流れる。なんとなく、瞬きをしてみる。目を閉じても開いても、同じ黒闇が広がる。

頭に浮かんだ物語をイメージしてみる。でも、全然整合性がなくて、物語のほうが私に愛想をつかすみたいにシュンとしぼんで消えてしまう。今日あったことを思い返すのは、嫌なことばかり浮かぶからやめたほうが良い。反省会を開くと、いつの間にか眠れはするがあまり質のいい目覚めにはならない。

気に入っているのは、体に力を込めたり力を抜いたりするヨガもどきのような動きだ。大きく呼吸をして、手足に力を込めては抜く。ギュッと筋肉を固めてから緩める。ポンプで空気を送るみたいに、力を外へ外へと出す。ギュッ、フー、ギュッ、フー。

それから、意識を右の足の裏へと向ける。そこから、かかと、ふくらはぎ、膝の裏、太もも、おしりと来て今度は左足側へと意識を下ろす、左のお尻、太もも、膝の裏、ふくらはぎ、かかと、足の裏。そしてそれをまた逆順にお尻まで戻してから、今度は腰、背中、肩甲骨の間、首、頭の後ろを意識する。

そして、布団と体の触れ合うところを感じるのだ。それから、大きく息を吸って吐く。また、体に力を込めたり抜いたりする。寝るまでの暇つぶしだ。

最近は、体力不足が気になってきたので少し腹筋を意識して呼吸したり、限界まで息を止めてみたりしている。

そうしているうちに、いつの間にか寝ていて、早朝と呼んでいい時間に目が覚め「まだ早いよ」と思いながらまた眠る。

この行為にはまだ名前はない。眠る前のルーティンというほど格式張ったものでもないし、暇つぶしをするのならTwitterを見ていたほうがまだ暇が潰れる。


椅子に座っている自分のお尻と、地面に接している足の裏を意識する。どうして、こうにも眠くならないのだろう。まだなにか、すべきことがあったような気がしてダラダラとスマホをいじってしまう。特にすべきことはないということだけがわかる。

薬を飲む、なんとなく牛乳を飲む、歯を磨く、トイレへ行く。あくび。洗面所の横に、お風呂がある。

今日私が、恋人がお風呂に入る前に誤ってお湯を抜いてしまってから再度お湯を張るボタンを押した。

「あんまり溜まらんかも」

給湯器の仕様なのか、ある程度お湯を感知した状態だと中途半端なところでお湯張りが終わってしまう。

「その時は『小さいお風呂と私』になるから」

なんとなく、ぐりとぐらのような絵本が浮かんだ。

恋人はそうして、色々な出来事に名前をつけている。私はそれに注釈をつけるように、どういった事象なのかを時々こうして文字にする。


布団へ戻ると恋人が私の布団まで侵食してきていた。私はなにかうまいことを言いたかったが「なんだこりゃぁ……」というのが精一杯だった。

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