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どうか幸せでいてほしい。

とある仕事をしていたとき、うちのリーダーに当たる人のお子さんが体調を崩した。奥さんから電話がかかってきて、すぐに来てほしいということだった。お子さんはまだ小さくて、よく風邪をこじらせていたが、今回は状況が違うらしい。

リーダーは渋い顔をして私を見た。

「ごめん、甘えていい? 先、帰るわ」

リーダーは私にそう言って顔の前で両手を合わせた。その時私はリーダーを除いた中では一番先輩ということもあり、実質サブリーダーのようなものだった。

「もちろんです。早く行ってください」

仕事で使うものはそのままにしてもらい、カバンと財布だけ持って仕事場から追い出した。詳細はあまり良くわからないが、容態はあまり良くないらしい。サブリーダーの仕事として、ひとまずリーダー不在の状況を乗り切る用意を整えた頃、先程帰ったリーダーから連絡が入った。

「明日、子供を見てくれる人を調整中です」

なるほど、この人明日来る気だな。

ひとまず明日はリーダー不在でもなんとかなる。状況を順に説明してからリーダーに今回はお子さんを見てもらうように伝えた。

「そういうわけなので、明日は休んでください」

状況を説明したがゆえに、長文のメールになってしまったが状況は伝わっただろう。返信はすぐに来た。

「今日みたいに悪化しなければ大丈夫です」

私はキレた。

「いや違うんですよ。『ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、明日はお休みします』はい。繰り返してください」

しかし、しばらく待っても返信はない。私はスマホを手に自室をウロウロと歩きまわった。右へ、左へ、うろうろ、これからお風呂に入ろうとしていたのに、ウロウロ。私は湯加減を確認しながら、電話をかけた。しかし、繋がらない。お湯は少しぬるかった。

しばらくしてから、リーダーから電話が入った。私はどんなイカしたセリフを言って和ませてやろうかと思っていた。しかし、口から出てきたのはどちらかというと罵声寄りの言葉だった。

「文字打つの遅いんですよ。スマホの入力下手くそなんですか。ねぇ。『明日は、お休みします』はい。ほら、早く。打ってください」

今電話しているのに、文字を打てと私は言っていた。理路整然としていたのは口調だけで頭の中はやはり冷静ではない。

しかし、リーダーはあまり状況を重く見ていないようだ。

「いやいや、だから、緊急事態になったら休むって」

『いやいやいや。緊急事態にそんな冷静に判断をできるわけないでしょうが、本気で言ってるんですか』と、思っていたらもう言っていた。一応言葉だけは敬語だったが、思ったらもう口から出ていた。

「今が、緊急事態だって、言ってんですよ」

私は完全にキレていた。もうキレキレであった。その後はもうほとんど何を言ったのか覚えていないが、イメージ通りにできていたのなら私はリーダーが休むべき理由をなるべく冷静に、努めて淡々と話したはずだ。最後の方はリーダーが「はい、はい。そうです。はい」と苦笑しながら相槌を打っていたのを覚えている。この際、私がうるさいから仕方なくでもいいから、休むと言ってほしかった。

リーダーは、私達に迷惑をかけることに対してとてつもなく大きな抵抗があるようだった。しかし、こちらはあくまでビジネスライクな関係なので、迷惑などかけられた分は後からいくらでも回収できる。とりあえず焼き肉にでも連れて行ってくれればいい。

しかし、お子さんはそうはいかない。私には実感がないが、お子さんと過ごせる時間は限られている。奥さんと一緒にお子さんを見られる時間などもっと少ないだろう。ましてや、これからどうなるか経過を見なくてはいけない状態である。

この状況で、さして佳境でもない今、仕事に参加させたら、私はすごく後悔すると思った。

仕事は自分の大切なものよりも優先されてはならないと私は思っている。私の周りで働いている人は、自分の大切なものを犠牲にしてほしくない。

結局リーダーは納得と私に気圧されたのが半々くらいで、明日の仕事は休むことになった。私は電話を切り、満足感でいっぱいになった。今私は「自分が正しいことをしたと思っている」と先程よりもぬるくなった風呂にお湯を足しながら思った。

また別の日、私の友人がセクハラにあった。

あまりに淡々としているので、私は言いたいことをぐっと飲み込んだ。困惑と怒りが渦巻いたけれど、友人にそれをぶつけたって仕方がない。

私はただ少し経ってから「心配だ」とLINEでメッセージを送ることしかできなかったが、友人は「まぁ、手を触られるよりはマシだよ」と言った。そして言いたいことがうまく言葉にならない私に「解っているさ。安心したまえ」とだけ言って会話が途切れた。どんな顔をしているのかわからないのは不便だ。吹き出しだけが重なり合うスマホの画面を何度か見返してから、私は眠った。

どうしてこんなに心配になるのかわからない。なんだかんだと、口をだしたくなってしまう。何があったのか、どうしたいのか、どんな気持ちなのか、聞きたくて仕方がない。無理していないか、我慢していないか。無理のしどころ、我慢のしどころがあるとしても、それは今なのか。口うるさい上にお節介だとはわかっていてもそんなことばかり浮かんだ。

そして、友人の行動の一つ一つが気にかかるのは、友人がわざわざ不幸になるような道を自分から選んでいるように見えるからだ。そしてそれは詰まるところ、友人が自分で決めた道なのに私はその決断を信じていない。友人のことを、甘く見ているのだと思った。

困っていて、私が力になれるならきっと声をかけてくる。そうでなくても、勝手に自分で好きな方へと進んでいく。黙っていてもそうなるだろうという確信が持てないから、私はソワソワと不安になる。

他の友人や恋人が、同じように困ったとき私は同じように心配になるだろうか。どうせ勝手に幸せになるさと、気楽に考えて眠ることができるだろうか。特定の人の困りごとにだけ、どうしてこんなにも過敏に反応してしまうのだろう。

そんなことを考えてまた眠るのが遅くなった。

別の友人が仕事のことで泣いているのを知っている。また別の友人が友達を悲しませてしまったことを知っている。もっと、大切にしてほしい。自分自身とか、自分の周りにあるものとか、嫌でもついてまわる腐れ縁みたいなものとか。そういうものを、一緒に大切にしたい。

しかし、それはすべて私のエゴである。幸せになってほしいという願いは、私から見て幸せな様子でいてほしいという身勝手な欲望に過ぎない。

どうか幸せであれと願う。しかし、幸せでないことに怒ってはならない。間違っているように見える道へ友人が進んでいくことに、口をだすことまではしても肩を掴んで振り返らせ殴って止めるようなことをしてはならない。自分の正しさに従って、誰かを踏みとどまらせたり、後押ししたりしたときに溶けるような甘さの満足感を感じてしまう自分に抗わなくてはならない。

「私は正しいことをした」

私は、自分の正しさに従って人に接した。ときにそれはお節介であり、強引であり、裏切りであったかもしれない。私から見て不幸に思える道を歩むことが、その人の幸せだったなら、私のしたことは大きな過ちなのかもしれない。

かつて、不登校だったとき、父は自分の正しさに従って私を学校に行かせようとした。しかし、私は私の恐怖に従って人との関わりを拒んだ。そして今と大人になって、私の考え方は父によく似てきたと思う。他人の不幸を自分の不幸として、抱え込むのはあまりにも傲慢だと知っていながら、なお私は、それを止められないことがある。

きっと良い方向に行くから、今は黙って従ってくれと、言ってしまいたくなることがある。考え方がかけ離れていると思っていた父の想いは、引き剥がすのが痛くなるほど私の心にへばりついていた。決して遠くにあったわけではない、むしろ、私の裏側にずっと潜んでいるように思えた。

あの日のリーダーが、一番大切にしたいものは何だったのだろう。恐れていたことは何だったのだろう。あの日、休むという決断は幸せに一歩近づけたのだろうか。

リーダーはきっと、今日も働いている。

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