何もない日も生きてます。
今日も生きている。
時々、ただそれだけをお知らせするためのエッセイを書くことがある。エッセイに限らずTweetだったり、スタンプを送るだけだったりするが、ただ「生きてます」という意味以上のものがないやりとりをすることは何度もあった。
「つらい」
ただそれだけのメッセージが、友達から送られてくることがある。
「つらい」と、言われた時、おそらく何も私にはできないであろうそんなとき、一度だけ言葉を返す権利が与えられている。私は、どんな言葉をかければいいのだろうか。悩むが、これはなかなか難しい。重い。という言葉は、こういうときに使うのだろうか。言葉や気持ちには、いつしか重力が働くようになり、押しつぶされる人が出てくるほどの大きさになる。
などと考えている私のほうがよほど重苦しい。なにより、独自の理屈で物事を処理することも多々ある私に「つらい」などとメッセージを送ってくる時点でもう既にプレイングミスである。重たいメッセージが、めんどくさい男に行き渡った瞬間の化学反応たるや相当なものだ。
今まで「何ができることある?」とか「どうしたの?」などと聞いていたが、なにかしてほしいときや、聞いてほしいことがあるときなどに「つらい」という言葉は出てこない。五千兆円ほしいとか、突拍子もないことでも良いからなにか言ってほしいという気持ちもあったのだが、自分を思い返してみても辛いときに何が辛いかなど把握していたことのほうが少ないように思う。やはり、相手が何をしてほしいかを予め目星をつけておかなくてはいけないし、しかも相手は別に私が何かできるとかそういうことを期待していないのもよくわかる。だが「ただ聞くだけ」というのは、私のやってやったぜ感がない。
これはエゴだが、相談されたからには結果が気になるものなのだ。せめて「あぁ、なんか知らんけど峠は超えたんだな」くらいの情報は知りたいものである。そこまで行かずとも、自分なりに何かしら実感のある行動を起こしたという達成感がほしい。
「俺達がグッズを買った金で、アイドルがちょっとグレードの高いお弁当を食べている」みたいな、そういう体験がほしいのだ。
しかし、相手が何をしてほしいのかもわからず、自分に何ができるのかもわからないまま、なんとなく過ごしている時間は少し居心地が悪い。でも「なんとかなったわ」と一言だけでも聞かせてもらえたら、フワッと心が軽くなる。
今日も生きてます。まぁまぁ、元気です。特に大きな変化もありません、めちゃくちゃ感動したことを言葉にするのは少し時間がかかりますが、日々まぁまぁ楽しく過ごせています。ただそのためだけのエッセイを書いている。
明日もまぁまぁ、元気だろう。
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