前髪との攻防
ワックスを付ける。
付け方がよくわからないので動画を見る。
いくつか見たが言っていることはおおよそ同じだ。
手のひらにタピオカ(あるいはそら豆などの豆)くらいの量のワックスを取り、手によくなじませて、後ろ側から順に下から搔き上げるように根本までつける。頭の上まで来たら、ワックスをもう一度同じ量を手につけてなじませ、今度は耳のあたりから頭頂部に向けてやはり根本までしっかり行き渡らせる。このとき、前髪は触らない。
髪の毛全体をしっかり逆立てて、手に残った僅かなワックスで前髪を上に立てていく。
そして、猫の手で上から下へ搔きおろす。
完成。
鏡を見る。
全然かっこよくない。
なんか、なんか、変じゃないか……? 動画みたいにふわっとした髪型になってないぞ……?
まぁ、目にかからなければいいか。私は前髪から後ろにかけてスプレーで固めて、とりあえず良しとした。
私は普段ワックスをしない。しかし、髪を切ってからしばらくして、目に髪がかかり始めたとき前髪をどかすためにワックスを付ける。髪を切るまでの間を凌ぐようにワックスでなんとかしているのだ。髪を切ってもらったあとは、また目にかかるまでワックスはしない。
故に、私は二ヶ月とか三ヶ月に一度、少しの間だけ髪を整える都合上、髪型のセットをする回数が年に数週間であり全く上達しない。動画を見て真似ては「なんかカッコ悪いなぁ」と思い、ヘアサロンでバッサリ切ってもらって伸びてきてからまたヘアセット動画を見ている。
全然うまくいかないんだが。
妻に相談したところ「髪の毛をちゃんと乾かしてないからだよ」と言われた。
髪の毛を……乾かす? 髪の毛を!? 勝手に乾くのに!? わざわざ!?
しかしどうやら、妻の言うことが正しいようだ。再びインターネットの海に潜ったが「メンズの髪の乾かし方」とか「これだけはやっちゃだめ!」みたいなものが出てくる。なお、やっちゃだめなやつは、割とやっていた。
上から下に、根本を乾かす、一箇所に当てすぎない。などなど、様々な情報が出てくる。
し……しゃらくさい……。
試しにやってみる。
えーと、髪の根元を乾かすように意識しましょう。か。
髪の根元、とは。
前髪はわかる。髪の毛を持ち上げれば根本なのだから。頭頂部も、まぁ、わかる。見えないがつむじのあたりだろう。つむじの位置も曖昧だが、上から当てれば良いとする。
……両サイドは? どこから生えてんのこれ。
とりあえず、頭頂部を乾かし、その頭頂部の髪を横に振り払って、毛先に邪魔されないように側頭部へとドライヤーを当てる。良いのか? 根本か? ここは、根本なのか? あぁ、一箇所に当て続けすぎてはいけないんだった。後頭部は……もう、風が当たってることしかわからんな。根本がどうこうではない。そこから、逆サイド……くそ、右腕の可動域が足りん、ドライヤーの向きが上下逆さまになってしまった。別にいいか。風は風だ。よいしょよいしょ。
こうして、ドライヤーで乾いたのか時間で乾いたのかわからないが、私の髪の毛は一旦、乾いた。
メガネを掛けて鏡を見る。
自然乾燥と……何が……違うというのだ……。
すごく長い時間に感じた。多分そんなに時間は経っていないけれど、すごく長く感じた。腕もなんか、痛い気がするし。
翌朝、再びヘアセットのためにいろいろな動画やサイトを見て、良さそうなものを選ぶ。
真似して、髪を整える。気分は独裁者だ。
良いか、貴様ら髪には私の邪魔をすることは許さぬ。具体的には、目に掛かってはならぬ。
しかし、今日は後頭部にピョコンと跳ねる髪がいた。寝癖だ。とりあえず、ワックスをつけて他の髪の下に隠してからヘアスプレーで固めて黙らせた。革命などさせるものか。
準備完了、出発。
無事、一日を終えて帰る。面倒くさがりながらお風呂に入る。妻にも言われてお風呂上がりにドライヤーをする。さて、今日はどれを参考にしようか。YouTubeで適当に選んで、髪の乾かし方を再生する、動画は言った。
『皆さんヘアセットの前に髪を乾かすと思うんですね』
……なんて?
え? 何? ヘアセットの前に乾かす? 朝の話してる? じゃあ濡らすの? 髪を?
画面の向こうにいるスタイリストさんは生首みたいな練習用のマネキンを机に乗せている。その髪はたしかにしっとりと濡れていた。
これ、夜じゃないの? 朝?
私がドライヤーをかけ始めると、ブォォォォンと音が鳴り響く。動画も、もうドライヤーのかけ方の説明しかしていない。私は髪の根元を探しながら「え……? これを、朝……?」と思いながら今朝の寝癖に思いを馳せた。
あの寝癖を黙らせるために一回濡らすのか? どの程度? 霧吹きじゃだめか? シャワー? シャワーすんのか? 朝に?
調べてみた。
……派閥がある。これは、諸説あるやつだ。
シャワーしますって人もいれば、霧吹きしてますって人もいるし、寝癖直しスプレーという第三の選択まで現れてしまった。どれも一長一短で最適解は人によって違うようだ。
じゃあ、一旦、霧吹きにしようかなぁ。
霧吹きはアイロン用に買った、細かく霧の出るものがある。それを使うことにしよう。
もう、ごちゃごちゃ面倒くさいんじゃぁ本当に。
そもそも、ワックスにも様々な種類があるし、今使ってるワックスが自分に合ってるのかなんてさっぱりわからない。ワックスのあと一応スプレーをしているが、このスプレーの健闘むなしく夜になると前髪が目の辺りに迫ってくる。
ヘアサロンか……。美容院と呼ばれていたときから苦手だったが、更に敷居の高くなったヘアサロンという存在。また、行かなくてはならないのか。
目にかかった前髪を手で払う。
あぁ……面倒くさいなぁ。
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