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素敵な褒め言葉。

先日同僚から「素敵なズボンですね」と褒められた。

私は自分の履いていたズボンを見る。桜色のズボンだ。先日知人から貰ったもので、私はあまり選ばない色だった。

「貰い物なんですよ」

私の受け答えは少々チグハグだった。しかし、褒められたとき、どう答えていいものか全くわからない。素直に「ありがとうございます」というのが正解のような気もするのだが、褒められるのはいつもなんだか自分に馴染んだあとだ。変えたことを思い出すのに時間がかかる。

例えば髪型を変えた当日であれば、ちょっと身構えるのでちゃんとした返事ができることが多い。しかし、久しぶりに会う人から「髪、明るくなりましたね」と言われると一瞬何を言っているのかわかなくなる。そして、そういえば少し前に染めたんだった、と思いながら「あぁ、そうなんですよ」と返事をした。褒められたことに対する受け答えというよりは、事実確認だ。

とはいえ、高校時代までは褒められたら即フリーズしていたのでまぁまぁな進歩と言えよう。褒められても何を言えばいいのかわからず、私自身も何を褒めればいいのかわからない。服装、髪型、そうしたものは褒める以前にすごく苦手だ。パーマをかけたと思って話してみれば「今日は湿気がひどくてね」と、別にパーマでもなんでもないことが判明した。あと、天然パーマだったりする場合は、それをコンプレックスにしている場合もある。

褒めるきっかけがなかなか見当たらず、見つけたときも褒めていいものかわからない。そもそも話題にしていいのか考えていると、なんとなくタイミングを逃してしまう。特に最近は職場の人間関係が主なので、褒めるとしても、仕事が速いとか、あの仕事を片付けてくれてありがとうとか、そういうものになる。

私は褒めるのも、褒められるのも苦手だ。それそのものが苦手というよりも、その時とっさに言葉が出てこなくなる。そしてそれが恥ずかしいし、後から言葉にするタイミングもない。ただ、褒められる瞬間は突発的にやってくる。そして多くの場合、私はうまく対応できない。

褒める、というのも難しい。

noteで感想をコメントしているときにも「この表現さっきも使ったなぁ」とか「『素敵です』しか言ってないなぁ」と思うことも多々ある。

私が褒めるポイントは、結構ズレている上表現がマズい。例えば足の爪の形とか最高に褒めるポイントなのだが、これはもう本当にやめたほうがいい。あと声を褒めるときに「心の芯に刺さってえづく」という表現は駄目だ。また目を褒めるときに「目の周辺にある空間だけ切り取ってディスプレイしたい」も駄目。そうした良くない褒め言葉に気がついてからは、褒めることそのものをやめてしまった。結局、自分の言葉で表現するとそうしたものになるので、ならばせめてと思うだけに留めることにしている。

思うのと口に出すのでは雲泥の差だ。

街なかで可愛い女の子を見つけて「あっ、可愛い」と思うのと口に出すのはぜんぜん違う。画面を見ながら「顔がいいな、マジで顔がいい」とつぶやいている恋人も、本人を前にしたら流石に黙るだろう。誰を見ているのかは知らないけれど、それを聞くと長くなるので私は黙っている。

私がこんな調子なので、恋人は褒めてほしいポイントを自分で言う。

「今日は新しいワンピースでいくでよ」

そしてその日は服を指さして「ワンピースだね」と言う。似合っているか、可愛いかなどは全くわからないので声に出すとスカスカな感じがして具合が悪い。「素敵なワンピースだね」とワンピース本体を褒めることはできる。

「今日はピアスをつけていくでよ」

長い髪が耳にかかっているので、ピアスは正直あまりよく見えない。予め宣言されたにもかかわらず、褒めるタイミングを見失うことも多々ある。そんなときでも恋人は「これが新しいピアスです」と途中で見せてくれる。

「素敵だね」

「ふふん」

こんな具合である。またしても「素敵」という言葉を繰り返していた。褒めたいが、どうにも野暮ったくなる。素敵な言葉を瞬時に引き出せない。


素敵な褒め言葉は、毎日と言っていいほど見ている。

YouTubeやニコニコ動画。Twitterや漫画アプリではアマチュアの人が投稿した動画や漫画に、応援コメントがついているのをよく見かける。私はそのコメントが好きで、お祭りのように賞賛の言葉を投げかける人々が好きだ。

ただ、その表現が閉じられたコミュニティーでしか使えないものであることをヒシヒシと感じる。

以前テレビでボディービルダーの人たちに、褒め言葉なんだかよくわからない合いの手を入れている人たちを見たがあれに似ていると思う。「肩にちっちゃいジープ乗っけてるのかい!?」とか「切れてる!」とか、傍目には何をどう褒めているのか全くわからないような賞賛だ。

Twitterでは「尊い」とか、いいねとリツイートを同時に押しているキャラクターの画像はよく見かける。また、テレビの画面のスクリーンショットなども多い。「続きはどこで読めますか」という、質問という名の催促もある。とにかく褒め方が多様であり、またテンプレートになる速度も早い。一人が始めたかと思えばいつの間にかみんながやっている。素敵だなと思う褒め言葉は、YouTubeやニコニコ動画やTwitterを流れていく。

例えば、一回きりで終わってしまう予定だった動画が思ったよりもバズり、第2回を急遽作ったとき。

「待ってた!」

「来たー!」

という、喜びのコメントともに流れていった賞賛のコメントがある。

【味をしめろ】

私はこのコメントを見て思わず笑ってしまった。投稿した人は、どんな気持ちでこれを見ているのだろうか。やはり気恥ずかしいのか。しかし、その後も続けて「味をしめろ!」「調子に乗れ!」「広告をつけろ!」と、コメントが流れていった。

いや、わかる。言いたいことは分かる。この場合むしろ「味をしめたか……」のように、やや蔑む表現になりがちな味をしめると言う言葉をそういう下心込みで受け入れるようなこのコメント。他人の目を気にするとか人の評価を気にするのは恥ずかしいし、ウケたから二匹目のドジョウを狙いに行く下心はバレると居心地が悪くなるものだが、そうしたものを取り去っていくようなこの絶妙な表現が好きだ。

他にも投稿頻度の高い人には「毎秒あげろ」と盛り上げるコメントが付く。逆に久しぶりに投稿した人は「生きとったんかわれぇ!」というのが好きだ。投稿頻度が月一回くらいだった人が突如連投し始めると「無理すんなよ!」「休めよ!」とコメントが流れていく。そうした一つ一つが、好きで羨ましい。

どうやったら、そんなふうに包み込むように人を褒められるのだろう。どうすればその人に伝わる言葉で「あなたのそれが好きだ」と言えるのだろう。

私が言葉を尽くしても、100文字に満たない一言に届かないような気がしてならない。

「あぁ、素敵だ」

それで嬉しいと、言ってくれる人はいるけれど私は自分の言葉の至らなさと、褒める勇気が足りないことで結構クヨクヨしてしまう。素敵ですねと言われることには何も抵抗がないのに、素敵ですねと言ったあとにはジャリジャリした気持ちが残る。

「素敵だよ」

「ありがとう」

もう一言、なにか一言。でもその一言が、出てこない。褒めるとみんな笑ってくれるのに、それを見送った私は「届かなかった」と少し落ち込む。ズボンや服を褒められたあとも「その服……」と言おうとして、口を閉じる。

「素敵ですね」しか、私にはない。どう素敵なのかを言葉にすると、長くとりとめがなくなってしまう。褒めるというのは難しい。本当に、取っ掛かりがない。

ニコニコの漫画アプリで、最近公開が始まったばかりの作品が更新された。アマチュアの人が書いているらしい。すでにコメントが随分ついている。応援コメントが、流れていく。この中なら一つくらい紛れてもわからないだろう。

【味をしめろ】と打ってから消した。

使いたい言葉をそのままぶつけるのは良くない気がする。少し考えたが、結局あまりひねりのない言葉しか生み出せないようだ。

【待ってた!】

私の打ったコメントは画面の端から端までをすーっと流れていった。

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