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理想は犬だが、人間でもいい。

恋人を動物に例えるなら犬だ。

でっかい、ゴールデンレトリバーみたいなやつ。人懐っこく、しかし自分自身にはそれなりの大きさがあるとわかっていないのか、ダッシュで駆け寄ってきてタックルのように抱きついてくる。そんな犬だ。

恋人は頭突きとスキンシップの中間くらいの勢いで私の背中や肩に頭を擦り付けてくる。

「犬だ……」と、私が言うと。

「いぬぅ!」と機嫌良さそうに言う。ワン、とかではなく「いぬぅ」と鳴く。アニメのポケモンと同じシステムが恋人では採用されているようだ。パグの話題が出れば「ぱぐぅ!」と言うし、ポメラニアンは「ポメェ!」である。年相応という言葉は恋人には通用しない。しかし、もう23歳だ。私たちもいい大人なので、いい加減架空の犬のモノマネでケラケラ笑いながら過ごしている場合ではない。

高校生の時のほうが、まだ大人であった。付き合い方もよくわからかったあの日。とりあえずデートをしてみようかという話になって、それぞれが好きなところに出かけた。ぎこちないどころか、簡素なデート。こんなことでいいのだろうかと思っていたが、あの日のほうがまだ大人びていた。今や「いぬぅ!」「ぱぐぅ!」である。

時間が経てば、自然と分かるようになる。しかしそれは時に、浮いたりハズしたりして「あぁ、これは違うんだ」と自分にブレーキをかけるようになったり、喜んでもらえたことによって「もっとこれをやろう」と繰り返すことで段々形になっていくものだ。しかし、恋人や私はお互いのやることなすことおおよそ肯定して過ごしてきた。

実害がなければ、もうそれは好きにすればいいんじゃないかな。そんな気持ちで「いいんじゃないかな」と、言い続けた結果生まれたのが夜な夜な奇妙な鳴き声で鳴きあうカップルだ。ツッコミ不在というのは、本当に行けるところまで行く。そしてある程度まで来ると今更「変だよそれ」と言われても、どうしようもない。

「私、こんな大人になるなんて思ってなかったよ」

恋人も恋人なりに危機感は感じているようだが、その数分後には「ぱぐぅ!」と発作でも起きたみたいに脈絡なく鳴いている。もうしばらく。いや、もしかしたら一生治らないのかもしれない。そんな私の心配をよそに恋人は「しばしば(柴犬)に生まれ変わって日向ぼっこしたいなー」などと言っている。

恋人は柴犬のことを「しばしば」と呼ぶ。たぬきは「たぬたぬ」で、ポメラニアンは「ポメ」鳥は概ね「チュンチュン」である。「テンション」と同じ発音で「チュンチュン」と言う。他にも綿棒は「耳」と呼ばれる。スマホは「スマポン」だしiPhoneは「アイポン」だ。分からなくもないが、語感だけで言葉を選んでいるように思える。

私は恋人が普段はどんな生活をしているのか全くわからないが、こうした独自の用語を持っていても仕事はできるし昇進もできるらしい。ちゃんと普通の言葉で話しているのか、周りの人が受け取っているのかは不明だ。スマポン、アイポンくらいであれば、やや滑舌が悪いくらいで済むだろうが鳥を見た際に「チュンチュンだ」などと口走っていないか私は心配である。

恋人はゴロンと横になっているとき、とても幸せそうな顔をする。時々目を開けて、私を見ると「んー♪」と笑う。私はそれを同じように寝ながら見ているときもあるし、体だけ起こして布団に座りながら見ていることもある。

両手を伸ばして私を捕まえる。そして顔をグリグリグリグリと、私に押し付けた。もうすでに眠そうで、それでも時折私の方を見ては口角をぐいっと上げて笑う。でっけぇ犬みたいだ。

今は2ヶ月に一度くらいしか会わないけれど、電話越しでも恋人は「んー♫」と甘える。そして、少し間をおいてから「なんで隣に〇〇君がいないの?」と言う。

「私はフラフラ動くのが好きだから」

「そっかぁ」

恋人は出かけるのが好きだけど、私は彷徨うのが好きだ。外に出かける元気がなければ、いつまでも同じところに居てしまいそうになる。そして、私はまだどこかに帰るのが怖い。居場所がある安心より、居場所がなくなる不安のほうが勝る。だから、無邪気に寄ってきて、私の背中や胸元で思い切り深呼吸をする恋人を見ていると「怖くないのかな」と思う。考え方も文化も好きなものも違う、全く別の生き物が隣にいるように感じる。

でっけぇ犬も、表情や声で、何を考えているのかうっすらわかる気がするけれど、言葉が通じないので本当のところはわからない。私たちは言葉は通じているはずだけれど、意思の疎通ができそうなギリギリで、通じあえていないようにも思う。

そもそも恋人が「いぬぅ!」と鳴くのだって、何をどうしたらそうなるのかわからない。私と恋人は「犬」と言う概念さえ共有できていないのだろうか。

そういえば、柴犬は「しばいぬ」なのか「しばけん」なのか、一度話したことがあったが、統一されないうちに「しばしば」と呼ぶようになったんだ。知らずしらずのうちに「そこで……? どうして……?」というところで妥協をした結果が、今の私達を作り上げているような気がしてきた。よくわからないところは「まぁ、それでいいならいいんじゃねぇか」と適当に相槌を打っているからこういうことになるのだ。

恋人が枕に顔をこすりつける音が電話越しに聞こえる。

「犬なの?」

「いぬぅ!」

私も「いぬぅ!」と言う。しばらく無意味なやり取りを繰り返し鳴き声は「ぱぐぅ!」になった。

「もう24歳になるんですよ、私たち」

「てぇへんだな」

人に見せられる光景ではないが、誰も見ていないが故に止められることもない。ちゃんとした24歳に軌道修正できる気がしないので、多分私たちはこのまま歳を取るのだろう。

将来に不安を抱える私をよそに恋人は柴犬の画像を見ているらしい。「あー、しばしばになりたいなぁ」などと言っている。

そして、ため息を付いた。

「しばしばにもなりたかったけど、人間に生まれなかったら〇〇君と付き合えなかったからなぁ。結果的に良かったなぁ」

妥協するところはそこじゃないような気もするが、恋人がそれでいいなら、私もそれでいいと思う。

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