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妻と私と年末年始

「ほらっ! お昼食べるよ!」

妻がリビングから寝室にいる私へ声をかけた。布団の中でモゾモゾしながら、私は足をバタバタさせる。この寒さに耐えるために二枚重ねにした掛け布団が波打つ。私はこうして生活を疎かにするので、妻がこうして生活することを促してくる。

淡々といつもどおりのことをするというのが苦手だ。まずいつもどおりという軸がない。朝目が覚めて、そこからすることが特にないのだ。

朝起きて、顔を洗って、歯を磨く。という早起き川柳のような手順も特に踏まない。とりあえず体だけ動かしておくということもなく、かといって、朝起きたらすぐゲームをするとかスマホを見るとかそういう事もない。

目が覚めて、時間を見て、また寝る。昼過ぎまで寝て、起きても特にやることがない。バチッと火花を散らすような、動き出しのスイッチがないのだ。トイレに行きたくなったとか、そういう理由で体を起こしては再び布団に体を沈める。そんな私を見かねて、妻が声をかけてくれる。

最近は枕元に食べ物を置いているので、何も食べないということはなくなった。枕元に食べ物を置くと無限に食べてしまう人もいるそうだが、私は元の食欲が少ないので枕元に置いてでも食べる速度を上げほうが良い。食欲にも下駄を履かせてようやく無気力と渡り合える。

それからポカリスエットを一本飲む。必要に応じて注文する。しばらくするとトイレへ行きたくなるので起きて用を足して、また戻って横になる。本当に何もすることがない。

一方の妻はというと、何故かもう外出する服に着替えて、寝ている私のところにやってきて「お散歩に行こう!」と言う。

「……行ってらっしゃい」

妻は目線をキリリッと私に向けて「行かない……?」と言った。

「行かない」

「ふーん」

私が布団をパカッと開けて、お招きすると妻はズボォっとあっという間に取り込まれ、私も布団を閉じる。

「んー♪」

機嫌良さそうに、妻がニッコリとする。多分、顔を洗って、歯を磨き、メイクをして、服を着替え、これから買い物にでも行く予定だったのだろう。しかも、その予定を添い寝に変更しても全く問題が無いようだ。

ただ、外に出たいという意思を布団の中で伝えてくる。まず、めちゃめちゃ動く。横揺れする。なんとかして私を起こそうとするにあたって、覚醒させることを重視しているのだろうか。次に歌う。すっかり我が家で定着したオリジナルソングを歌う。「ちゅてちゅての歌」と私は勝手に呼んでいるが、何かしらの主張があるときに歌われる歌である。ただ、その歌の効力はせいぜい注意をひくことと、現在の感情を端的に伝えることだ。

そういった経緯もあり、妻は眠いと訴えている私の布団に潜り込んで横揺れして、一通り満足したら歌い始めた。確実に眠りから私を遠ざけようとしている。多分、今日は特段やることがないのだ。

なにかやることがある時はもっとせわしなく動いている。しかし、何もやることがない中で、別に一人でもできることに態々私を誘い、しかも私の気が向くまで横揺れして歌いながら待機するという力技でくぐり抜けようとしている。これは、まさに生活である。

妻も、やることがなければ、布団で横になっていれば良い。しかし、妻にはやることがあるようだ。それがお散歩である。あと、買い物も行かなくてはならない。ただ、それは買い物のついでという位置づけのようだ。妻に、買う物はあるかと聞くと、少し悩んでから常備薬が切れていることや、今日の夕飯の話を始めた。

やはりメインはお散歩で、買い物はある程度算段はついているものの、スーパーに入ってから具体的に考えるものらしい。妻も買い物はめんどくさいのだろう、しかしそれでもやるのだ。実際、買い物に行くこともできる格好になっている。

つくづく、私とは違う生き物だと思う。きっと妻はこのままお散歩に出かけて、何も買わずに帰っても満足してリビングで過ごすことだろう。「あれ、買えばよかったね」くらいは言うかもしれないが、それはどちらを責めるでもなく、ただの感想として空間に放られる。私は「あー、そだねぇ」と返すだろう。

もちろん滅多にそんなことはない。どうせ外に出たのだからという気持ちと、買い物をしたら家に帰るという目標ができるためお散歩は近くのスーパーまでになる。備蓄が切れたものや、食べてみたかったものを買い、袋を抱えて家に帰る。

それから、本を読んだりゲームをしたりする。なんとなく、生活をしている気分だ。

昨年末、兵庫は広い地域で雪が降った。比較的南側にある私達の居住エリアも雪がちらついた。

年末だからという理由とともに、お寿司と海老天を買って、帰ってすぐにお寿司を食べ年を越す少し前にそばを食べた。満足満足、と言った様子で年末と年越しを祝い、妻は寝た。

祝い事は極力避けて通りたい私と、そのへんはしっかりやっておきたい妻とは、対立構造にあるが今のところは妻の寛大さに助けられている。私は最終的には動くのだが、その最終段階が来るまで待てるのが妻なのだ。

京都の清水寺は屋根に雪が積もったらしい。

そして、一夜明け朝七時。何の夢を見ることもなく目が覚めた。しかし、初夢は今日の夜見た夢のことだという話もある。富士も鷹も形を忘れかけており、ナスに関しては切られた状態ばかり見ているので縁起のいい夢が見られるかは甚だ疑問だ。

しかし、ことはひとまず挨拶から始まる。

いつも読んで下さる皆様。そして、たまたま開いてここまで読んでくださった方々。

新年、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。

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