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そのエッセイを書いたのは。

12月になると毎週のように、忘年会がある。

そんなに忘れることがあったか、それとも日頃いろいろなことを忘れてしまうのも、忘年会のおかげなのかもしれない。

先日、出版や書籍に関わる人の集まる忘年会で、本の交換イベントが行われた。日頃本と接している方々が、これぞという本を持ってきて交換を行う。

私も含め全員がそれぞれ一冊ずつ本を持ち寄り、一人ずつ順番に本を紹介していく。私の番は2番目に終わり、他の方の本の紹介に耳を傾けていると私のアルバイトしている出版社の社長の番になる。社長が取り出した本は、真っ白な本だった。

「この本は真っ白な本で、これを受け取った方は物語をここに書いてほしいんです。そして、今回はこの白い本にもう一つ挟んであります」

と言って、一枚の紙を本の中から取り出し、読み始める。

「《本を売っていると、著者の方と会う機会がある。私は運がいいほうなので、著者の方がふらりと訪れる場面に居合わせることがよくあった》」

ちょうどそのとき、私はお刺身を口に入れ、次のターゲットを見定めていた。

「《Mさんという著者さんも、サインをしに販売ブースに駆けつけてくださった一人だ。初対面だったので、自己紹介も含めて二、三言葉を交わしていると、ふと、Mさんが言った。「ねぇ、君、文章書く人?」》」

ガバッ、と顔を社長へ向けた。

それ、私の書いたエッセイじゃん!!

次のターゲットどころではない。私は箸を置き、正座している自分の足に両手を挟んだ。エッセイはどんどん読み進められるが、全然読み終わらない。

社長は途中で音読をやめて、紙を軽くたたむと、息を吸った。

「編集者としては、この文章は長いです。でも、最後まで読ませてください」

唐突なダメ出し。そして再び開かれたA4用紙に両面印刷されているエッセイが、作家さん、本屋さん、読者さん、総勢20名の前で読み上げられている。私は、箸を置き身を固めながら、キョロキョロとあたりを見回す。聞き方というのは人それぞれで、じっと社長を見ている人もいれば、手元に視線を落として揺れている人もいる。お刺身に箸を伸ばす人もいれば、ビールをごくりと飲む人もいる。

そんな人々の前で社長はエッセイを読んでいるが、まだ後ろ側にたどり着かない。

……私、何文字書いたんだっけ? 5分で読めるって書いたけど、これ5分も続くの?

エッセイは一度書き始めてから息切れするまで一気に書くのが信条なのだが、この時ばかりは「あぁ、必ずしも一気に書けばいいってもんでもないな」と思った。

冷静になってくると、ようやく内容が頭に入ってくるようになった。ところが(あ、この表現ちょっとわかりにくいな)とか、(あぁ、ここは順番変えたほうがいいな)とか、(ここ、さっきの段落にくっつけた方がいいな)とか、推敲が自分の中で勝手に始まる。不完全なものが人前で晒されている。恥ずかしい。今すぐ、あのエッセイを、書き直したい。そう思った頃、社長はようやく、紙を裏返した。しかしまだ、紙の半分くらいまで文字がある。とてもゆっくり流れる時間の中、社長が文章を全て読み終えるのをじっと待った。

自分の書いたエッセイが果てしない長さに感じた。話題も統一性がないし、文章の表現も所々わかりにくい。基礎的な部分が欠けている。しかも、このエッセイは物語を書くことについても書いた回だ。小説を書いて生活している方々の前で、大学生が寝る前に一気に書いた物語への想いが述べられると、ようやく私のエッセイは終わった。

社長は読み終えた紙をきれいに折りたたむと、白い本に挟んだ。そして、私に手を向ける。

「このエッセイを書いたのは○○くんです!」

突然注目される私。謎の拍手。なんの拍手なのか分からない拍手を、私も社長へ送った。

「君もこっちサイドに来るの? 来なよ?」

和服を着た作家の先生が手招きをする。

「いきません!」

と、私は答え、二人して笑った。

今年はあと何回、忘年会があっただろうか。今日のことは、しばらく忘れたふりをしておきたい。本当に忘れてはいけないけれど、酔って忘れたことにしてしまって、こっそり大切に覚えていたい。

本の紹介を全員が終えると、本はずらっとならべられて「この本欲しい人ー」と、一冊ずつ指名されていく。

社長の紹介した白い本は折りたたまれた紙とともに、誰かの手に渡っていった。その本が誰に渡ったのかは、忘れてしまったことにする。

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忘年会で読まれたエッセイはこちら。

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