しぶとく 儚い

あっという間の1ヶ月だった。

このひと月あまり、展開が早すぎて
まさかこんな、という思い。

何度かここに記録しておこうと思い、編集画面を開きましたが、一文字目が出てこない。
何から書いてよいのやら。

まず、今日、母が入院した。
具合が悪くなって、自分で救急車を呼んだらしい。
8時半くらいに何度も搬送先の病院から着信があったが、ちょうど出勤途中で気が付かず、
朝のミーティングを終えた9時15分頃に別の着信に気がつき電話に出ると、
母が週2で通っているデイサービスからだった。

「今朝迎えに行ったら、応答がないんです」
まさか、家で倒れてたり?
「わかりました、私からも電話してみます」

電話を切った後に、他の着信と留守電に気がついた。留守電を聞いて、母が救急搬送されたことを知る。
出社して30分くらいで早退させてもらい、
病院へ。

この時点では、病院に来てください、としか言われてないのでどんな状態なのか、
はたまた生きてるのか死んでるのかすら不明のまま、病院に到着。

母と対面。
いつもの、呑気なようなちょっと甘えたような声で、私の名前を呼ぶ。
あ、まだ大丈夫そうかな。と、ちょっとホッとする。

「お母さん、間違えて110番しちゃったんだわ〜
救急車は119番なんだねぇ」
呑気な声で話す母。
ちょっと吹き出してしまった。
お巡りさん、ご迷惑をお掛けしました…

この後、先生とお話しした。
「日に日に悪くなってはいますね。ご飯もほんのちょっとしか食べれないみたいだし、弱ってきてますね。」

このひと月くらいの間に、食べる量が格段に減った。2ヶ月前くらいまでは、
あれが食べたい、これが食べたいと言うので色んな食品を買って行っていた。
本当にこのひと月くらいで、パタリと言わなくなった。毎日のように食べていた、飴玉やガムでさえ、買って来てほしいと言わなくなった。

「やはり、この1ヶ月くらいが正念場かもしれません」

何度聞いても、慣れないショックな言葉。
母の事を心から大事に思えなくても、
ショックを受けるものなんだなぁ、と思う。

母のかかりつけ医に呼び出されたのが、6月末。
検査で肝臓の数値が異常に高くなっていて、再検査していた。

「肝臓に、腫瘍がある。恐らく他の場所から転移してきたものだと思う。早めに大きな病院で検査してきてください。」
「腫瘍、というのはつまり癌ですか?」
「恐らくそうです。癌だとしたら、この感じだと長くないかもしれません」

数日後、総合病院で診察。
肝臓の60%くらい腫瘍があり、腹部にも転移しているとの事。おそらく癌で、ステージ4。
恐らく、どこかに大元があって、そこから肝臓や腹部に転移したのではないか、との事。

大元がどこにあるのか調べるため、
後日、まずは胃カメラの検査。
胃の中に癌は見つからなかった。

胃カメラの頃は、まだ元気があった。7月12日くらいだったかな?
終わった後、絶食していてお腹が空いていたらしく、回転寿司に連れて行った。
そこのお店は、軍艦やサイドメニューなどをロボットが運んでくれる店だった。
ロボットがやってくると、母は
「ロボットさんありがとうね」なんて声をかけていた。

大腸の検査はその数日後。
大腸検査はなかなか大変だった。
まず、検査の3日前から食事制限が始まる。
前日になると、お粥や素うどんくらいしか食べられない。

当日は1日がかりだった。
午前中は、便を出すための液体と水を、便がきれいになるまでひたすら飲まされる。
母は文句を言いながらも頑張って飲んだ。
そのあとは、順番が来るまで待機。
呼ばれたのは16時近くなっていた。

検査中、検査室から母の呻き声が聞こえる。
とても辛そうで、すごく可哀想だった。

検査後、先生からのお話。
こんなに大変な検査だったが、
大腸にも結局は大きな異常はなさそうだった。

胆嚢にも大きな腫瘍があるから、
恐らくそこが大元だろう、との事。
胆嚢も検査はできるが、今日以上に大変な検査になるから、体の負担がかかる可能性もあるため検査は断った。
大腸の検査も、こんなに大変ならやめとけば良かったかな…とも思った。
ただでさえ弱ってきている体に、大腸の検査は余計に負担になってしまったのではないか、と思ってしまった。

ステージ4って、余命はどのくらいなんですか?
と先生に尋ねてみた。
「お母さんの場合ですと、1年くらい。
抗がん剤治療をしなければ、もっと短くなる。
今後は、癌治療担当の先生と相談して治療方針を決めていってください」

母も横にいたが、耳が遠いからか、
聞こえてないような感じだった。

この日は、余命1年と言われた。
覚悟はしていたものの、結構な衝撃。

しかし数日後…7月25日だったかな。
担当の先生のお話しを聞くため病院へ。
そこで、余命がもっと短いと宣告された。
この感じだと、2〜3ヶ月くらいかもしれないとの事。

確かにこの1ヶ月くらいで、しんどそうにしてることが増えたり、ご飯の量が減ったりして、
急激に目に見えて変化があったけど
そんな短いの⁈

母は軽い認知症と診断を受けていて、
まだ癌のことは伝えていない。
抗がん剤治療をするかどうか迷った。
母は、苦しくても少しでも長く生きたいだろうか。
母は、これまでも病気がちだったので
常にしんどい思いをして生きてきた。
歩く時は足が痛むし、ここ数年は歩行器なしでは歩けなくなっていた。
ずっとしんどいのに、数ヶ月寿命を伸ばすために抗がん剤治療でさらに苦しむのは…

私の判断で、抗がん剤はしないことにした。
なるべく苦しまないように、緩和ケア治療の方向でお願いすることにした。

そこからちょうど2週間後の今日、
入院することになった。
ほんとに、展開が思う以上に早い。

母にとっては、動けるうちは自宅で過ごした方が良いだろうと思い、すぐの入院はしないことにしたのだが、思いの外入院が早かった。

最近コロナがまた増えているので、面会制限がある。自由に会いに行けない。
今週末、兄の家族がお見舞いにくる。
孫に会えるのを楽しみにしている。

入院のため、自宅に母の荷物を取りにいった。
寝床の枕元に、アルバムがあった。
兄や私の子供の頃の写真があったので、
そこから数枚、母の荷物に忍ばせた。
少しでも、寂しくないように。

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