あなたは生きていてください

どうか、あなたの中に居座らせてください。

あなたの中に、わたしがいれば、笑えるのです。
あなた、そう、あなたの中です。

あなたは生きていてください。あなたのこれからも続いてく、豊かで美しい生活の中にわたしを見つけて欲しいのです。
わたしのことを想い続けてほしいわけではないのです。あなたの美しい生活の中、その連鎖の先にわたしがいてほしいのです。夏の日に炭酸水を飲んだ時だったり、夕暮、遠くに聞こえる子どもの声と、食卓のにおい、聴いている音楽と音楽の間、その一瞬の静まりに顔を上げて、陽のまぶしさに目が負けるとき。そんなあなたの美しい生活の中にわたしを思い出してほしいのです。

けれど、あなたの目に、わたしがどう映っていたかなんて、わからない。わからなくて、聞けやしなかったから、わたしはもうあなたの前にいないのです。だから、あなたの美しい生活の中の、陰湿で目を背けたくなる情景に、わたしがいたのかもしれません。汚い関西弁を話す酔っ払いが、道の真ん中を歩いていたり、学校からひとりで帰る少年だったり、排他的な路地をのぞいた時に、さげすみを込めた思いで、すこし会いたくなってほしいのです。わたしに。

そうです、会いたくなってほしいのです。けれどね、決して連絡なんてよこさなくてよいのです。「また今度でいいや」の「また」が永遠に訪れなくてよいのです。だって、会ってしまえば、あなたの中から消えてしまうでしょう?会ってしまえば、会えなくなってしまうでしょう?それが本当に悲しいのです。それは、嫌になるのです。

あなたの目の前にいることなんて、大したことではないのかも。いいえ、あなたにがっかりされるのが怖いだけなのです。臆病者のかなしい運命です。けれど負けてもいられません。あなたの中にいるために必死に取り繕う努力はいたします。そんなわたしを哀れむ人もいるでしょうが、そんな人、どうせ恋もしらないまま死んでいくのでしょう。臆病な心こそ恋の醍醐味かもしれません。

あなたの中に、あなたの生活の中にいるわたしは永遠なのです。わたしが唯一、信じることのできる永遠なのです。あなたが死んでしまうまで。

すこし言いすぎたような気がして、恥ずかしくなってきましたけれど、本心なのです。言いすぎてみようと思います。あなたの生活の中に色濃く残るために、わたしが隠し持っている最後の武器は、わたしが死んでしまうことです。もう二度と、あなたの目の前に、決してあらわれないわたしが住み着いたあなたの生活は、まるで、結末のページが破りとられたミステリー小説のようにもどかしく、身悶えるのです。わたしはそれを願っています。

あなたが眠れない夜、きっとわたしも眠れていないでしょう。どうかそれだけは忘れないでいて。
いつか、わたしが死んで、あなたも死ぬ時がくるでしょう。もし、もう一度あなたがわたしを見つけたから、その時はわがままにも、こう願うのです。あなたの生活がわたしによって、より美しくなりますように。

三月、夜。

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