男女の友情は成立するのか?論争をこれで終わりにしたい

題名の件について、noteでそんな記事を見たので、整理しておこうと思います。こんな話にかかわりあうだけ不毛で無駄です。男は浮気するのか?と同列です。するやつはするし、しないやつはしない。個人差です。しやすい傾向や特徴やしやすい状況を解明説明して回避する話ならば価値はありますが、浮気するのかしないのかの目線で話しても不毛で無駄です。




結論 男女の友情は成立するが、その実態は人それぞれ

というわけで浮気の話の結論と同列です。人それぞれです。個人差です。

はい解散!

はちょっと乱暴なのでつらつら書いていきます。



そもそも友情の定義に幅がありすぎる

教室であえば挨拶だけする人も、友人の一人にする人もいるでしょう。あるいは一年間で同じ教室にいて、まぁ何度か世間話をしたし、友人とカウントする人もいるでしょう。はては、教室で直接喋らなくても、似た本が好きで本の貸し借りをしあい、最後のページに感想をはさんで読みあう関係を友人とも呼べるでしょう。

友情という人間関係の中に親しさ等の順位による格付け階層わけはあるとは思いますが、誰までを友情関係と見なすかは個人の裁量です。つまり、男女の友情は成立します。というか個人の主観の話なので、あるともないとも言えるので、絶対ないとはいえないから成立するにしておくという程度の話です。




プラトニックな友情関係

いやいや、そうじゃなくてと、プラトニックな恋愛感情を抜きにした友情関係があるのかどうかに焦点を当てようとする人もいるでしょう。

個人的にはこの話の行き着く先も不毛だと思います。そもそも友情関係と恋愛関係は地続きのものでしょう。どちらの関係であっても大元には興味や行動原理や行動傾向がにている、物事の捉え方や程度が似ているから、一緒にいて馬があう。楽しい!を背景に人間関係が構築されています。いわゆる友情関係です。

そこにプラスで、異性魅力や性的な魅力も双方にあり、ひかれあえば、恋愛関係になるわけです。(厳密に言うと、友情関係の部分では他の友人よりも合わないマイナス要素もあるかもしれないが、異性魅力の足し算引き算で合算した結果、ある合格ラインを越えれば恋愛関係になる訳です。)

ここで、重要な点があり、恋愛関係とは基本的には特定のパートナーとの関係性を指します。つまり、1人しか座れない椅子なわけです。恋愛関係になりそうな男女でも、特定の相手がいれば異性の顔や異性性的なつきあい方は普通はしません。予備軍というだけです。(略奪したいやからは別です。)

で、その人の恋愛関係が別れてフリーになっときに、友情関係からの地続きで得点が高くかつ、双方に異性の魅力もOKならば、その人と恋愛関係に変わるのも自然なことでしょう。椅子が空いていれば、座ってみようかなという人もいるわけです。

最初から恋愛目的があるわけでもなく(ある場合もあるでしょうが…)、必ずそうなるということでもなく、異性魅力なしの人は次に椅子に座らないだけで、地続きなのだから、そのうちその誰かがその友情ラインを越えて友情関係から恋愛関係に移行しているだけです。

というわけで、地続きの恋愛関係と友情関係の境界線間際の友人が多い人は、下心とかワンちゃんあるとまでは言わないですが、内心機会があればありかもとは無自覚有自覚におもっている層であり、彼等は男女の友情は成立しないとか言い出す訳です。だって、簡単にラインを越える(恋愛要素も含みがちな)ことはよくあると思っているからです。

一方で、この地続きの友情関係と恋愛関係の間にかなーり幅がある異性の友人を持つ人にしてみれば、トップの椅子からの全ての異性が関係から排除されない限り、こいつもありかも??と繰り上げられていって恋愛関係に移行する可能性はほぼゼロです。現実的にそんな排除はまず起きないので、恋愛関係移行に全く縁遠い友人もうまれて、男女の友情は成立すると言ってのけるわけです。

つまるところ、見えている世界が違う人同士が、成立する成立しないを言い合っているだけです。不毛です。



ピュア信仰というか潔癖の不毛さ

さて、それでもあるなしと主張したい人やこの結論にしっくりこない人は、ピュア信仰に囚われている。あるいはラベリングに囚われていると思います。

なにも男と女に限った話ではなく、おじいちゃんと少年でも、部活の先輩と後輩でも、上司と部下でも。兄弟同士でも、先生と生徒でも友情は成立するのか??で同様の問が作れてしまいます。純粋な?友情以外の不純物のパラメーターが入り込む余地は山ほどあります。人間関係なんてそんなもんです。潔癖な関係はありえません。逆に言えば、親友で恋人で妻で戦友と全ての要素がある関係性もあり得ます。

つまり、あるなしにとらわれて潔癖になることの方が不毛です。全ての不純物を取り除いて友情だけを抽出することは本来できません。そんな理想空想論に浸るよりも、その関係に名前をつけられなくても、当人同士が満足して、ぶつかって、ときに喧嘩して離れたりもあって。楽しければ笑い、嫌なら嫌という各自の自我の干渉しあいがあるだけです。当人同士の問題です。目の前の相手と自分がどうであるかそれだけです。一般化できない不純物不明瞭まみれの当人同士の関係があるだけです。





おわりに

思想や原理からのアプローチは上述の通りです。ただ、実際問題としての一般化した見解をのべておくと、男女の友情は同性同士の下位互換に陥りやすいものだとは思います。

上でのべた通り、友情のベースにあるのは価値観や視点の束です。共感したり相互理解できる背景をどれだけ抱えているかです。

同じアイドルを同じような理由で好きな、同じような熱量で好きな、同じように時間を使える、同じような社会的地位で等々、一致する数の多い人の方が、より親密に理解しあえます。但し、一部しか合致しない人でもその他の要素を極力排除して不文律不干渉にできれば関係は十分に成立します。

さて、男女の場合はジェンダーや脳構造や遺伝子やら、それらの合算の社会的生存戦略興味関心?において、同性よりも違いが生まれやすく背景が異なりやすいからです。しかし、これも無理矢理一般化した場合の話や傾向の話であって、個々の事象、当人同士の関係になんら関係するものではありません。

というわけで、友情という個の主観的なぶれぶれ事象を、そもそも無理に一般化したり論じようと言うこと自体が不毛です。以上でした。

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