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文章でのファン作り活動の詳細と、是非等の整理 ~ファンを作る文章とは~

前回モテる文章の話をした。至極当たり前だが、相手を楽しませる。笑わせることが根幹だと話した。さて、このモテとは瞬間風速や、点の話だ。モテがファンに発展するケースもあるが、より中長期的であったり、モテにないより広い視点が含まれるので、モテの先というか、文章やらとファン作りについても整理しておこうと思う。




ファンとは

金銭や実利を離れ、各個人の価値観の束を満たし、身体的直感的な反応によって、師事や応援や執着や愛着行動を引き起こされている人及び現象。そういう人を作り出す作業=ファン作り。

自己定義


(ファン信者 経済学?とか。ファン 商品開発?とか。ある商品に”ファン信者”をつけることで、売り上げ増進を見込む経営経済論があるので、気になる人は調べた方が早いかも。本を読む時間がないので、ファン理論を独自に構築してみます。)

例えば、メガバンクなんて大概どれも一緒だし、自分の好きな色をテーマカラーにする銀行で口座を作るとか。自分の好きな俳優さんがCMをしていたから、なんとなくこの商品を使い始めてそのまま愛用する等。本当に自分にとってどうなのか??という視点よりも、なんとなく好き、格好いい、しっくりくる等の感覚的な基準で、その商品を優先使用することがファンやファン作りの本質である。

反対側の、作り手やメーカーの視点で語れば、以下のプロセスとなる。
成熟産業で飽和産業なので製品の質に大差がない。改良の余地がない。しかし、
 → 消費者ユーザーから選ばれて利益を出さないといけない
  → 実体のないイメージで差を無理やり作り出し、選んでもらう

というわけで言い換えるなら、成熟して誰もが似たようなことをしている中で、抜きんでる戦略。性能ではなく雰囲気やイメージでより多くの人に推してもらう戦略が、ファン作りやモテの原点であり、現代にはあちこちで溢れている。




3大ファン作りのベクトル

モテ現象の原理の通り。

まずは、大前提の好感作用(尊敬や憧れベースか、共感ベースかがある。)がある。第一印象やつかみやらでの瞬間的な好意がある。次は肉体的魅力(文章的魅力=キモイウザイとならない、わかりやすい文章運び、言い回し)の土台があり、その上に、ファン作りとしての、相手を笑わせる、楽しませる。なんとなくいいねと思ってもらうモテ + イメージ操作がある。

イメージの操作とは主に3種類あり、トップ選手のパフォーマンスに感嘆したりするベクトル。地元出身の○○だから応援するといった同一化のベクトル。最後は、物語を付与されるベクトルとなる。



1、師事・成長・憧れのベクトル

自分は持っていないけど、大事にしている格好いいと思う価値観の束を満たしていると生じるファンベクトルである。一流のトッププロのパフォーマンスに心を動かされて、その人の実演動画を追いかけるような場合だ。誰彼の技術や知識の高さに心酔しているともいえる。

知らなかったことを知る。新しい技術に触れ感動する。教えてもらいためになる。それ自体は良いことだが、往々にして、なんちゃって理解の、ふわふわ感動に身を委ねてしまうケースがある。例えば、興味はあるが絶対に自分ではしない分野の知識である肉の解体作業の動画視聴の場合等がそうだ。

知らなかった。なるほど。ためになる。と内心思ってその人の教えに追随する。しかし、自分でやらないやる気がないのだから、そこでの知識の吸収率なぞ、微々たるものにしかならない。おそらく見終わった直後でも、今見た技術や知識の核心やコツやらを説明できないレベルの理解しかしていないこともある。しかしそうはいっても、格好いいこと、少しは興味がある分野でためになると思う話をわかりやすく伝えられると、人はその人に師事するファンになりやすい。



2、同一・同一化のベクトル

自分に近いから、共通点があるから好きというベクトルである。同じ地元出身の○○さんだから、応援している、特別視している。工場見学にまでいった○○メーカーさんの商品だから思い入れで、ついついそっちを買ってしまう。自分と同じ年齢の人だから、同じ受験競争に苦労している仲間だから、注目してしまう。等々。

その人の心や人生や関心の、核心に迫れば迫るほど、同一・同一化のベクトルが働き、関心を持つ。仲間意識を持って追いかける、応援してしまう。




3、物語のベクトル

その人の心を引くより強い物語性のある方が、人はファンになりやすい。普通のシャーペンであったとしても、好きなアニメのキャラが作中で使っていたからそれを買うという場合。この駅伝の舞台に立つまでに、廃部寸前の3年前からこうして苦難を乗り越えてきたとか、相撲のわかたか兄弟対決等、つまり、そこにドラマティックで思い入れを引き起こす物語があればあるほど、人は注目し興味を惹かれ、追いかけてしまうということだ。

なんにドラマティックを感じるかのさじ加減は、人により振れ幅があるだろうが、行われていることは漫画や映画や小説やらの物語で採用される構造と同一である。苦闘、困難、修行、友情、努力、競争ライバル、恋愛、萌え等々だ。





ファン作り 実践実用案

1,2,3のどの分野でファンを作るか。

まずはモテまでを満たさないとイメージ操作に入れないので、わかりやすい文章や、モテる文章を心がける。これは前回の記事の話。そこから先がファン作りである。

1の領域はそこそこ難しいように見えるが、中級者でも初級者には教えられるし。初級者でも初心者には何かを教えることができる。自分より少し後ろを歩く相手が知りたい内容を的確にわかりやすく教えることができるか考えてみることでファンが作れるかもしれない。

2の領域の同一化のアピールを図れないか考えてみる。居住地、同じ大学、年齢、学生、社会人、同じ業界や職種。既婚未婚、同じ病気持ち。ライフステージ(受験中、子育て中、就活中、ニート中等々)。自分の要素のどこをどう切り取り組み合わせてみるかだ。そして、自己紹介的に色々な要素をちりばめていけばいい。共通体験経験をアピールする、あるいは実際にさせて楽しませるわけだ。

3の領域の、自分に物語を付与できないか考えてみる。一番誰もができるシンプルなのは、未熟と成長だろう。後は苦労話、不条理話のストーリーもあるだろう。他にも極端には、ゆっくりと霊夢の掛け合いにあるような、キャラを創作して、そのキャラ達にストーリーのある会話やキャラ作りをさせることもできる。

どれかの道をメインに。他はサブ要素として足せばよいと思う。例えば、サーフィンの話をしたい! 三十代だけど、一年間仕事をやめてがむしゃらにサーフィンだけやる自分のヒストリーと成長を見てくれ!!とかだろう。サーフィン初心者に教える。(1)   三十代、仕事をやめる、居住地等(2)  下手からうまくなる成長の物語。失敗の連続の物語。(3)

地下アイドルにファンがつくのも、2の同一化をすごく求める人がいるからだろう。凄い憧れより、身近の価値が高いわけだ。noteのメンヘラ、発達障害、ニートアピールが多い作者たちも、同一化の武器にしているのだと思う。




ファン作りの是非

そもそもファンに推される意義はあるのだろうか。プロ選手や、芸能界等の人気商売と言われる職業や、ファンに買われる商品もお金が絡むから、ファンが必要なのである。お金の関わらない分野でファンは必要なのだろうか。そこには二つの心理作用があると思う。

1、ファンが集まり人が動かせるようになればお金もついてくるので、お金狙いでやっている

2、人に好かれる、応援されることで承認欲求が満たされる。


1は、まぁそのアプローチが効果的効率的かどうかの疑念があるのと、物事は本質的に腐敗するでのべたように、お金目的で行動すると、自己が歪むから、誤りだと思う。

2のケースは、カラオケにいって同席者のうまいへたの上っ面の感想に一喜一憂するようなものだ。そんなふわふわしたものでは認められたことにならないから、最終的には数の勝負になって、どんどん万人受けの欲しがりになる。しかし、当然数の勝負に終わりはないのでどこまでいっても幸せ、満たされることはない不毛だ。誤りである。この辺は共感の沼の記事で書いた。

以上より、ファン作り等、それがお金に直結しないと困る人以外には、無駄なことで誤りだと思う。まぁでもやりたい人は、上の方法論を参考にしてみるといいし、ファン作りに嫌悪感がある人はこういう手口手の内を知れば、マジックの種を知るように騙されないための一助になるかとは思う。


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