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遊び心の意味を理解した話

数日間、代車に乗っているのですが、カーナビがバグってるんですよね。海の上を走るわ。ありえない速度で移動したり。自分でも知っている遠方の観光地付近をぐるぐると周り始めたり。面白い!と思ったのと同時に、遊び心ってこういうことかと理解した話を整理しておこうと思います。






遊び心=お笑い=フリとオチ

遊び心。粋。一周回って~。似たような表現もありますが、遊び心とは

本来想定されうる価値や機能を、正反対に裏切る事

自己定義


お笑いの原理と全く一緒です。お笑いもフリという当たり前、普通ならという正の状態があって、それを覆したり、外すことがオチになります。就職面接でライトグレーのキラキラスーツを着ていくみたいなもんですね。面白がってくれる人は面白がり、嫌な顔する人はただ嫌な顔します。大喜利で考えた方がわかりやすいかもしれません。今日の朝ごはんは?と問われて、ナンクルナイサー!とか、ゆかり(ふりかけ)!とか答えるようなものですね。”外す”がお笑いの原点にして本質です。





遊び心の価値

本来想定されるものから外れていて正反対なので、期待される価値や機能が不足しています。なので、本質的には遊び心は不要かもしれません。

また、”裏切る事”で成立するという人により曖昧なモノなので、お笑いと一緒で、それを良しとする人悪しとする人が様々でてきます。不要かもしれません。

でも、遊び心は必要だなと思いました。遊び心のない世界では、全てが思い通り、予定通り、期待通りの世界です。自分の思う通りで、自分の思いを超えてきません。思ったよりも美味しい!とか使える!という満足度は予想を超えることはあるかもしれませんが、同じベクトルの大小で、それだけです。

逆に遊び心のある世界ならば、全く意図しない出来事や動きがおこり、興味や発見がうまれるかもしれません。普通とか、本来なら、こうなるはずなんだけど、という違和感は思考の発端、気づきの発端になります。自分の固まりきった固定観念を崩していく、そうして自分や世界を新しく知ることができる機会になります。なので、遊び心は、あなたの胸に響かないときもあるかもしれないが、響く時には、思いもよらぬことが起こるので、必要なものだと思います。






おわりに

絶対にこの選択が正しい、絶対に失敗してはいけない。そういう決めるときは決めなければいけない事柄も人生には山ほどあるので、遊び心がいらない領域も当然必要です。冷蔵庫が食品を保存してくれなかったら、大迷惑です。大混乱です。

ただ、今回私が体験したカーナビみたいに、
”すぐに異変に気づけ”
”実害がほぼ乏しい領域”
において、世間や世の中にもっと遊び心があってもいい気がします。

全部の商品や製品や制度が、遊び心モードみたいに切り替え可能にすればいいんじゃないでしょうか。例えば、お菓子の一粒だけ大きい奴は全然別の味とかもいいでしょうし。使いたくない(絶対に失敗できない)人は、それを使わないだけで。あ、使ってもいいかも?な人は、それを使えばいいと思います。カーナビが遠方の観光地の道案内とか観光紹介し始めたっていいと思います。そのハチャメチャさに腹を抱えて笑い転げながら、普段しっかりやってくれているありがたみを再認識できると思います。またそれが何かの興味になって誘因になったり。そしてそういう緩さが誰彼の”外し”についても寛容にしてくれる優しい世界への道しるべな気がします。

遊び心が今よりももう少し多く搭載された世界の方が、笑い合って行けていける世の中の気がします。

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