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面白い動画群記録その9 ~人間の基本原理の再確認やら~

ふ不安と欠乏感と期待。人間の基本原理はこれだけだと最近気づきました。それらの考えが深掘りされた動画をみたので、整理しておきます。




見た動画 
自由意志とドーパミンの話




生物の至上命題

一番根幹に遡って、生物の命題とはなにかと言えば、子孫繁栄です。では、繁栄するためにはなにが必要かと言えば、多様性(分散)と、適応です。簡潔に言えば、自分のコピーやあるいは、わざと突然変異もおこして誕生する新しい個体たちのだれでもいいから、少しでも新しい環境や領域を切り開いて、そしてそこでさらに適応して…と、この繰り返しで領域を拡大していくことです。






人間の基本原理

不安と欠乏感と期待(飽き)

子孫繁栄のための多様性と適応を、上手く機能させるにはこの3要素というか、この3プログラムが必要です。言い換えるならば、繁栄するには、この3つを組み込むのが最適ということです。というか、最適だからこの3つを生物は持っていて、そういうプログラムが現在生き残っているという表現のほうが正確です。ロボットにこの3アルゴリズムをつめば、人間と同じように繁栄していくかもしれませんね。

もう少し噛み砕いて説明します。まずは不安というセンサーで、生命の危機危険から逃れます。欠乏感という大きな目標というか人生のテーマというか、どうしても自分だけは気になる何かが備わっています。この拘りで、各自がいろんな方向や道を目指すことになります。多様性ですね。そして、最後は期待。目の前の1歩の成長や成果を少し上の人から認めてもらう。できることが増えて歩んでいくみたいなもので、次第にその環境に適応するということです。


寄り道  先天的な不安や恐怖で性質が決まる?(読み飛ばしてOK)

少し仮説を挟みます。後天的なトラウマによるものだけではなく、多分先天的な恐怖症の類いも予め備わっていると思います。こういうのはやだな。生理的に無理っていうあれですね。

私は閉所恐怖症です。しかしトラウマ体験は思い当たりません。先天的だと思います。見方を変えれば、自由度がないことにストレスを感じる性質といえます。自由とか余白を大事にする思考をするということです。思えば、行動予定も余裕を見たり。逆に、カードゲームなんかでは、ワンターンキルデッキばかり作ってました。自由とは自分の思い通りに事が運ぶということですしね。不安や欠乏感や期待は、遺伝子の働きでもとから分散しやすくするために、先天的に定まっている部分があると思います。親と子の調査でトラウマ体験と関係ない恐怖症発現とその傾向調査で、恐怖症=予め付与された思考作法のメカニズムがわかるかもしれません。





脳の基本原理

不安と欠乏感と期待は、サッカーや野球の理論みたいなものであって、それに従っていれば大体OKという枠組みです。しかし枠だけでは行動にまで結び付きません。そこで、脳は、ドーパミンという快楽物質が出るようになってます。詳しくは動画を参照下さい。

このメインエンジンを搭載することで、人は不安や欠乏感や期待を実行すると、快楽物質を感じ、(正確には、その状況からこうすれば上手く行くんじゃないかと予想期待したときにでて、その予想期待よりもプラスαよいことが起きると、さらにドバドバでる)忠実に、その人の前進行動(多様性や生存のための分散)を実行するようにされています。馬の目の前にニンジンをぶら下げて走るみたいなもんですかね。

また、同じ強度のものを繰り返していると、ドーパミンの量が下がります。つまり、もっと強くもっと大きく!と現状に飽きさせるわけです。早く次に進めとまた前進させようとまでする徹底ぶりです。ドーパミン恐るべし。

そしてもう1つの脳の特徴的な基本原理は、効率化(最適化)です。要は、省エネのために断捨離をしまくり。自動処理化させて省エネを図ります。脳とか思考は、大飯ぐらいの用心棒みたいなものなので、いざというときには役に立つものの常にカロリーをやたら消耗する困ったちゃんです。生存には、カロリーは最大限温存した方がいいわけで、常に省エネを狙おうと脳は格闘しています。(前述の通りその性質が生存向きの個体だから、その性質が今に生き残っているという表現の方が正確です。)

脳は使わない分野の記憶はすぐ忘れ(消され)ます。新刺激の少ない生活をしているじじばばの認知能力が落ちるのも、省エネのための断捨離のせいですね。そして、仮に使っている分野であっても、慣れてきて自動化されてくると活性化しにくくなります。そして、そのうち忘れてもなんとか生活が回せるなら、やっぱりなくてもいいじゃんと脳に捨てられます。年を取ると老化による脳の認知能力の衰えはありますが、脳の基本構造による省エネの影響もかなり大きいと思います。

自動化というとピンと来ない人がいるかもしれませんが、例えば、車の運転がそうです。慣れてくるとわたわた焦らずに動作に意識注意をさかなくてもよくなります。あるいは、スポーツでも、プロの人の体の使い方にはぎこちなさや無駄がありません。繰り返すうちに脳が勝手に自動最適化してくれるからてす。逆に自動化されるせいで、にているけれども微妙に違う動き、スノボとサーフィンなんかをやろうとすると、サーフィンのからだの使い方をしようとしてしまい、なにも知らずにやる時よりも転びまくるわけです。

というわけで、自由意思の動画の話にうつります。脳の準備電位が意思より先に動き出すのも、これで説明ができます。脳が目の前の事象から、すぐに予測し最適化した型にまずは押し込もうとするからです。脳の分離患者の実験も同様です。歩く行動はその人にとっては飲み物を買いに行くことと脳に自動化されている(そういうものと認識されている)から、そう被験者が答えたわけです。その人が散歩好き(歩く=散歩と認識しいている)なら、散歩してるんだと答えたことでしょう。

あるいは、こう考えてみても分かりやすいかもしれません。泥酔して昨晩の記憶がないとします。で、朝起きて眼鏡をかけていたとします。何で眼鏡をかけてるの?と質問された場合、老眼だからだよとか。その人なりの眼鏡の関連付けられた意味を答えるはずてす。本当は、酔った際の罰ゲームで、眼鏡をかけながら寝る!をされたとしても、覚えてないので、眼鏡の行動の意味を脳が自動化している領域から引き出し、答えているわけです。







脳への誤解、脳の暴走、現代人の誤り

これまでの話を踏まえると、脳のドーパミンで、ただただ我々は操られている。自動化という処理で、無意識の処理を増加されて操られていくという印象があるかもしれません。言い換えるならば、我々の自由意志なんて乏しい、遺伝子や脳に操られているだけだ!と悲観的になるかもしれません。

しかし、それは誤解です。人間や生物の行動にはどちらも必要なものです。例えるならば、明日の仕事の準備をするぞ!と言うと、色々勝手に荷物の準備をして世話を焼いてくれるおかん的存在が、自動化です。作業をいちいち考えなくてもお膳立てしてくれるわけです。その後、あ、明日は直行直帰だから、いつもとは少し違う準備をしなきゃだ…えっとと、意識や理性の精細な判断が加味されるんです。あくまでお膳立てをしてくれるだけであり、最終判断や微調整が必要であるという時には、その状況における最適解の理性的模索(意志)が介在します。

感性直感感覚と理性の対立メカニズムとも同様な構図ですね。おおざっぱで曖昧でも、手軽で素早い意思決定が必要な場合の処理のために感性モードがあり、複雑で難解な場合の処理の為に、理性モードがある。それだけです。例えるならば、津波が来た!と言われたときに本当か嘘かとか、何分後にくるんだとか、どれだけの高さがとか理性でうだうだ考えなくても、とりあえず逃げる!を選ぶ方が生存に有利だったりするわけです。時と場合なだけです。いつもしている通常処理は上司に相談しなくてもよく、例外処理は上司に確認相談するのとも一緒です。どちらの処理も使い分けているだけです。そっちの方が省エネだからです。

また、ドーパミンも同様に、労働したらお金がもらえて嬉しいとか、労働したら食べ物が手に入って嬉しいと、その選択は生存に適しているよと正解の道だよと教えてくれるだけのものだと思います。好き勝手にドーパミンがでて操られるのではなく、答え合わせや拍手として、行動の正否や正誤を私たちに教えてくれているそんな存在だと思います。

ただし、これらの脳の処理が本当に問題になるのは、この原理を明確に理解していないせいで、暴走していることに気づいていないことだと思います。つまり、酒、ギャンブル、薬物、女遊びまたは、ゲームやyoutube遊び、スマホ遊びに興じるようなことがそうです。多様性や適応の為に用意されたドーパミンシステム。それは、マンモスを昨日よりも上手に狩れたね!その工夫イイネ!前進したね!とするはずのドーパミンが、似たようで全然違うところでもでてしまう場合がある、それに気づかずに従っていることが問題だということです。

自然界にない薬物(酒、たばこ、ドラッグ)の類ででてしまうドーパミンに恍惚として、その行動を強化してしまったり。現実にはマンモスを狩っていないのに、マンモスを狩った気にさせる疑似的なゲームやギャンブルでのドーパミンに恍惚としたり。スマホの動画でぴかぴかと派手で予想外な出来事、”笑い””凄い””ウケル”とかに恍惚としたり。子作りに繋がるわけでもないのに、多くの女性を狩る(狩った気にさせる性的コンテンツ)遊び女遊びに恍惚としたり。ドーパミン動画の通り、これらには抑制機構が働かないので一度体験してしまうと、延々とやってしまいがちです。最初から一度も手を出さないが正解です。

簡潔に言えば、各自が備わった、各自の前進の為のドーパミン領域ではなくて、もっと安直でお気楽なドーパミン領域の活性化で満足していることが問題だということです。こうした話を踏まえて、敵を十分に理解したうえで、脳が疑似的に満足しているのか、本当に前進に繋がる自分にとってよりよい満足なのか判断して区別する事こそが重要だと思います。こここそ意志や理性の力だと思います。







終わりに

人間は快を求めて、それが前進の原動力になる。消費的な快ではなくて、後に残る生産的な分野領域での快を求めることが大事。まとめるとこんな話でした。

さて、たまに徳の高いお坊さんとかが、こだわりを捨てるとか。執着を捨てよといいますよね。実際それを体現しているのは立派だと思う反面。これら人間の行動原理から考えると、執着しないことに喜べてしまう脳の持ち主なだけてはないのかと感じてしまいます。それがその人には快なだけであったというか。欠乏感と期待は人間や生物の性です。捨てられるものではないと思います。なので、俗物らしい人間が、性のなんたるを追求するみたいな道であっても、徳の高いとされる人であっても、ベクトルの違いでしかなく、本質は等価であり、結局自分の道をどれだけ進めたかだけの違いしかなく、徳も偉いもなにもないと思います。

最後になりますが、言葉としてはこだわりを捨てるは真実だと思います。恥とか思いこみのことです。なんとなく駄目だよねと心に蓋をしている本当の自分と向き合うために、恥というこだわりを剥いでいきましょう。小声で抑えて歌うカラオケよりも、全力で叫ぶカラオケの方が楽しいはずです。自分の人生をかけるテーマがいつか見つかるといいてすね。私の場合は、パンチラや性的とか。ミステリー、人間構造や社会構造の模索、世界平和、サーフィン。今のところこんな感じです。

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