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その奥深くではものすごい変化

例えば今まで立ち向かえなかった事に
ちょっと留まる勇気を持てて
纏わりつく今までのあれこれに絡まれながらも
その一瞬の安らかさを見つけられて
そこから湧き出たものを
また勇気を振り絞って行動できたとき

その心地よさから来たものを
取りあえずは信じてみようとなったとき

その行いが
何も変わらなかったとか
何も成果がなかったとか
そんな風に見えたとしても

自分の中から何か出たとか
急な変化が感じられたとか
そんなものがなかったとしても

表面上は全く変わらず
何でそうしたんだろうとさえ
思えるようだとしても

その
安らかさから湧き出た事を
とりあえずはやってみた という
そのこと自体が
見えない部分でものすごく働いていて
様々な変化が知らずに動いています



何も起こらなかった
何も大きな変化はなかった
と思えたとしても

もう既に今まではtry出来なかった
信じて行動してみる がやれてる訳で

自覚がないとしても
「そうしても大丈夫なんだ」という
いわば経験値みたいなものを
もう感じ取っているわけです

その 大丈夫なんだ というのは
観方を変えれば
じぶんに対しての安心感でもあって
じぶんに対しての信頼でもあります

その 自覚がないほど些細と思える
ソレは
ものすごく大きな一歩で
自分の中では想像以上に
広い範囲に染み渡ります

だから
何ごともなかった と
無下にする事も凹む必要もなく
何ごともなくよかったなあーで
そう出来た自分をねぎらってあげれば
あとになって
ああそういう事だったのか と解ります

そうやって
ひとつずつ 少しずつ
今までの掴んでしまっているものを
解いていく出来事が訪れ
それに気づいていようといまいと
真っ直ぐに向かい合っていれば
自然と あ これでいいんだ と
わかるようになります

理由理屈のない理解のようなものです



今まで目を背けていた事に
立ち留まれたというだけでも
すごい事なんです

頑張る必要はないけれど
自分から目を逸らせないようにしたい
という意志の表れでもあり
今訪れているそれらは
自分の根本に近い出来事が多いから
それなりの恐れや不安も出ているはずです

それでも
ちゃんと向かい合おうとした
その事自体が大きな変化であって
目で見える結果や成果では
はかることのできないものです

見えてることは
感じられていることは
ホンの一部です

それが全てではありません

肉体という身体は
三次元を生きるためのものです
三次元を楽しむためのものです

それもこれから変化はするとしても
今は見えるものと見えざるものの
お掃除と整頓と浄化が成されている時で
バランスも一時くずれるときもあるし
デトックス的な事が起こることもあります

ただ
今まで信じて来たものが
必ずしも正しいとは限らない
という事が
自分の中で段々腑に落ちて行き
やがて標準となります


それが起こるための
今まで であり
だから 今までのすべては
何ひとつ無駄も不要もなくて

なくてはならなかったもの
です

あの時の自分も
なくてはならなかった自分 です

だから

これでいいんです

いまの自分で
いいんです

じゅうぶん なんです



ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。