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じぶんにしかわからない

数日ぶりに訪れたいつもの神社は
残暑の気配になっていた

暑すぎて人影もまばらだけれど
それでもやっぱり鳥居をくぐると涼しくて
地面ってスゴイなと思う

アスファルトと土とでは
暑さが全然違う
加えて神社は大樹が多いから
なおさら涼しく感じるんだろう

ひんやり石のイスに座って
木陰の風を楽しんでいたら
いや~アタシここで寝れるわ~と
本気で思ってみたりした

それでも秋は確実に近づいて来ていて
夜になると 遠くのどこかで
秋虫が鳴いている

あれ?蝉はどこへ行った?
そうか もう鈴の音の季節が
訪れようとしてるのか

昼間どれだけ暑くても
夜は気温が下がるようになったので
クーラーかけなくても眠れるのがありがたい

やっぱり自然の風が
心地よい



歩ける距離ではあるけれど
そう近くもない所にパン屋さんがあって
久しぶりに立ち寄ってみる

以前はこちらのパンが食べれなかった

評判は良いのだけど 私には重い感じで
一回食べて離れていた

数年して何となく食べてみたくなり
チャレンジしたら 美味しかった

今だから分かるのだけれど
ここのパンは素材たちが
ギュウギュウに詰まってるんだ

小麦そのもの 
ドライフルーツも チョコも
オリーブも チーズも 
何もかも 素材そのもの良さが
そのまんま入っていて 生きていて
だから 沢山は要らない

少し食べればお腹いっぱいになる

以前の私はそういったパンを
食べたことがなかったので
単に「重い」としか感じなくて
いわゆるサクサク感とかバター感とか
そんなもの基準にしてた頃だから
身体に入っていかなかったみたい

そうじゃなくて
エネルギーいっぱいのパンだった

今じゃ私にとっては
パワーフードみたいなもんで
時々買って小分けに冷凍して
パワー不足の時にちょっと食べて
ふぅ~っとひと息ついている

ここのパンは食べた後に
ナニカが内臓にへばりつく感覚が
ないのが不思議



今までも お野菜とかで
余計なものがされていない食材は
食べても量が要らない というのは
何回かあって

確かに無農薬のものとか高いのだけど
量は食べなくて済むから
結局同じなんだよなー となり

そんなところでも
エネルギー的な観点からみると
「量を食べなければいけない」という
そういったのも要らん「思い」だなーと
思ってみたり

三食食べなければ とか
朝ごはんは食べた方がいい とか
〇〇は食べないほうがいい とか
「こうしたほうがいい」説は限りなくあるけれど

人によって違って
その 人でもその時の環境とかでも違って
で それって たぶん
その本人にしか分からない
その時々の ちょうどいい塩梅あんばい


何て言えばいいのかな

たぶんこれからは
それぞれのオリジナル性が
どんどん出て来て
つまりは 今までのように
「これやっておけば大丈夫ー」みたいなのは
きかなくなって
傾向というか大まかなグループというか
そんなものはあったとしても
「これやっておけば」の「これ」が
人それぞれ全部違うから
結局は自分が自分をみるしかなくなるし
誰かの「これ」を当てはめようとしても
自分には自分の「これ」があるから
そしてそれは 自分にしか分からないから
誰か頼みみたいのは
出来なくなってくるんじゃないのかな

今までもそうではあったのだけど
「皆と一緒でなければ」みたいな思想があったから
それで成り立っていたけれど
そろそろその魔法も解けるから



どうすればいいですか って
教えてください って
よく聞くけれど

何もしないで 調べもしないで
答えだけを得ようとするのは
もうとうにシマワレている

でもってそれって
自分にはそれを調べることも出来ないと
自分で知ることも出来ないと
そう言っているようなもんだから
自分で自分を 認めてないことになる

自分にはそんなチカラありません と



これからは
もし「どうしたらいいですか」と聞くのならば
それは
じぶん に対してで
じぶんに「どうしたらいい?」
「どうしたら知れる?」と
聞いて 尋ねて 問う ことになる

ちゃんと
じぶん には
それだけのチカラがある と
知ることになるんじゃないのかな



じぶん というもの
わたし というもの

これからちゃんと
向き合うセカイ

思い出す あれこれ

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