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愉快で満たされ

坂道の途中にあるお店に立ち寄り
窓越しに行き交う姿をボーッと眺める。
そう言えば、坂道でこんなにゆっくり何かを眺めるなんて初めてかもしれない。
お店があるのは知ってたけれど、なんだかいつも通り過ぎてて、入るのは初めてだった。

登っていく人は身体を少し前かがみに。下っていく人は少し後ろに重心置いて。改めてこうやって観てみると面白い。自分もいつもそうやってバランスとって歩いてるんだろうな。
登っていく車は左が上に。下っていく車も左が上に。でも「前」とされる向きが逆。私が座った席からは、左側が登りだから。
「車」だけをみると前も後ろも関係なければ、ただ右側が少し下がった斜め角度でどちらかに動いているだけ。
人間も同じ。単に機能がそうなってる方を「前」としてるだけで。いま「後ろ」とされてる方が「前」となれば、動きは同じなのに考え方や見えかただけが逆に感じるだけ。なんだか不思議な感覚。「登る」も「下る」も当の本人からしたらそう思えるだけで、ちょっと横によけてこうやって眺める分には、同じ動きなんだよなー。
でも「当の本人」になると、登りはキツイし下りは前に押されるような感覚あるんだよなー。
なんだかな。言葉にまだ出来ない不思議な感覚。でも何か私のアンテナが反応してる。なんだろな。

そのお店では遅めのランチを頼んだのだけど、定食のおかずが一品終わってしまったとかで、その分お安く出来ますがということなのでお願いしたら、あらまあ一品少ない代わりに他のおかずが見事なてんこ盛り!
「申し訳なかったので」と言って頂いたが、いや、その分お安くして頂いてるし、それよかこれ、盛り過ぎでしょー。
うひゃーっ!となりつつもお店の方の申し訳なささが伝わってきて、久しぶりに真剣にご飯と戦った。
普段はモグモグ味わって食べるのだけど、それをやっていると途中で満腹中枢が働くことは必須なのでスピード勝負。お汁物がどんぶりなのねー。デカイのねー。おかしいなぁ。写真で見たときこんなにデカかったかなぁ?
いや、でもどれも全部美味しいのね。お野菜もいっぱい。鶏肉ゴロゴロ。キノコわんさか。口の中ピリピリしないから、多分お出汁や他も添加物はほぼ入ってない。
すてき~。でも多い~。
無事戦いは征してコーヒーでくつろぐ。
もう夕飯は要らんな。うん。がんばった。

その店がなんだか心地好かったのは、そこに居るお客さんたちの会話にノイズが少なかったからなのだと思う。よくある誰かの噂話や何かを批判するかの話、ただただ自分の正当性をまくりたててる会話は一切無く、途切れ途切れに耳へ飛び込んでくる単語は何だか楽しげだったりするものばかりだった。

私は不特定の人が居る場では、言葉そのものよりも、それを話している時の感情みたいなものを言葉の「音」として拾ってしまい易いらしく、それらは全てノイズとして私には感じられる。だから否定批判ばかりしてる会話や、逆に本心ではなく相手に合わせている会話をしてる人達がいる場などではとっても調子悪くなるので居られない。不思議なことに、そういったのは店に入った瞬間だいたいわかる。
こんなんなので、出先でどこか入る予定がある時は殆んどイヤホンして音楽聴いてるし、電車などでも大声で会話してる人達の側には近寄らないし動けなければイヤホンしてる。

面白いのは、自然の音に対してはどんな音でもノイズに感じられない。雷の音だろうが台風並みの強風が叩きつける音であろうが。かえって心地好い。あとは赤ちゃんの泣き声も。どんなにギャン泣きしててもノイズにならない。ありゃりゃーとは思うが、うるさいとは感じない。

なんだか今日の散歩は面白いVer.だったらしく、どの店でもやたら喋ってた。
乾物屋さんのおばちゃんとは日高昆布の長さについて話を聞き、いつもと違う道で見つけたリサイクルショップで湯呑みの話を聞いてるうちに先程の乾物屋さんの話になり場所を教えてあげ、和菓子屋さんで頂き物だという手造りの米味噌をお裾分けして貰った流れで近所の味噌屋でテェイスティング出来るよという話をし、最後は最近近くに出来たチョコレート屋を覗いてみたら結構面白かったので色々説明を聞き、その店員さんが地元民だった事から先程の乾物屋をはじめ近所のヨキ店話になり、しまいには「ここら辺の店色々知っておくと、お客様との会話のひとつにもなりますよねー」なんて口から出たら何故か目から鱗だったらしく、有り難がられた。こういうアクシデント的な繋がりは、本当に面白い。喋らない時は全く喋らないのだけど。

そう言えば、先日久しぶりに某スープチェーン店で食事をしたのだけど、たまたまレジ側の席だった事もあり、流れの途切れないお客さんと若いスタッフの対応をずっと眺めてた。昼時だったこともあり、テイクアウトの人とイートインの人がどんどん注文しその若いお姉さんは手際よく対応していく。都内の昼時は皆時間勝負なので場合により殺伐とするのだけど、このお姉さんやたら対応が上手い。マニュアルに沿った流れには沿いつつ、そのお客さんに合った言葉に置き換えて会話してるから嫌味がないしお客さん側に反発持たせる隙を与えてない。その店はスタンプカードがあるらしいのだけど、ある客さんがカードが見付からないらしく鞄の中を探し出す。後ろの列は延び、直後に並んでいるお客様のイラつき気配を察したそのお姉さんは「お席で見付かったら付けますので、レシートお持ちくださいね」と軽やかに案内する。
結局「人」なんだよなあといつも思う。その店はチェーン店だからどの店行っても味は同じ。でも店により居心地は違う。

今日のお散歩も商品みてるようで結局人繋がりで動いてた気がする。無意識だけど。
で、これって自分を「閉じてる」時は生まれないのね。「話しかけないで」モードを回りに出してる時や、何か違う全く別の物事に意識が行ってる時はこうはならない。淡々と商品買って過ぎ去るだけ。もしくは淡々と販売トークの対応で終わるだけ。
だけど自分があっけらかーんと開いてる時、なーんも考えてない時は、そこに置いてある物見て「何だろう?」って思うし思ったら「何ですか?」って聞くし。私はその場にいるスペシャリストに聞くのが一番だと思ってるので、乾物屋では永年乾物扱ってる超スペシャリストの店のおばちゃんにどうやって扱うのがいいかとか聞いちゃう。そりゃあ帰ってからネットで検索も出来るけど、いま買いたいこの日高昆布の特徴と扱い方を一番知ってるのは目の前の生きたGoogleだし。何なら「今あるそれは日高昆布の中でもこうだから」とめちゃピンポイント的にアドバイス貰える。こんなに有り難いことはない。
だいたい普段昆布なんてあんまり買わないから、スーパーで色々並んでいてもどれ買ったらよいか分からんのよ。

そっか、最近は買い物すら回り任せにしてるな、私。買いたいものは決まってるけど、どれ買うのが良いかはその場の人に聞いて買ってる。自分はこうしたい、だけ伝えて情報貰って、あとはその時「こっち」って思ったやつ買ってるらしい。でもこれも「こうしたい」をこちらから発しないと生まれないのね。何かしらの「動き」を出さないとそれに共鳴するものは現れないし現れられない。面白いねー。
でも一度出してみると、そこから思いもよらない所へ波及して共鳴したりする。
そのとき「何も考えてない」から、共振共鳴して戻って来たものは嬉しかったり楽しかったりのサプライズにしかならない。
なるほどねー、楽しいワケだわ。

何だかんだでやっぱりお腹は空かないから、さっき買ったチョコとコーヒーでまったりして休むことにしよう。

たまにはこんな日もいいやね。
愉快で楽しい満足日和。よきよき。

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