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見知らぬものが訪れやすいトキ

久しぶりに胡麻を炒った
今年の夏は暑さで胡麻炒りなんて頭にも浮かばなくて 使い切ったと思っていた生胡麻を発見したのでこれ幸いにと胡麻炒りをする
プチプチと小さな音が鳴り始め 香ばしさが立ち込めてくる
薄茶からこげ茶に変わり 冷ましてから半摺りにすると 胡麻から溢れ出る香ばしさが台所中に広がる
そうそうこの香り!この感じ! と鼻も心も喜んでウキウキし出す
晩御飯のサラダに使ったら ほんの少しでもものすごい存在感で これ食べるといつも買ってる摺りゴマとかなんなんだろなーと思ってしまう

胡麻炒りは私にとっては癒しの時間のようなもんで 静かにゆっくり炒る時も すり鉢で摺る時も その香りや音に自分のなかが静かになっていく
その後お腹も満足になるのだからありがたいこっちゃなー



今は今年のお掃除月でもあるけれど
同時にココロのお掃除も勝手に始まっていて
それは 今年の というよりも
今までに繋がる全人類の とでも言った方がよさげな
結構大きなお掃除が行われているみたいで
そのヒトカケラが突然浮かんで来たりするかもしれません

こう 何て言うかパーツパーツで(だからヒトカケラ、ね)
何故か突然湧き上がってきた みたいなそんな感覚で
大抵の場合それは制御ができにくいと思います

何でかと言うと今まで奥深く潜んでいたものだったり
今の自分で考えられる範囲外(思い当たる節がない)から
ポーンと飛んで来たりするからで
その反応(例えばイカリとかアセリとかカナシミとか)に
自分で自分に驚く感じもあるかもしれません



今出て来ているそれらは
自分だけのものではありません
もっと大きな規模のお掃除なので
これを「今の自分の何かの部分から」とか思ってしまうと それはちょっと重いので

確かに今の自分の人生と呼ばれてきた中の
何かがトリガーとなるようにはなっているのですが
それはあくまで気づいて貰うためのようなもので
実際は「自分」としているイチ個人の範囲内ではないです

だから もしそんなものらが現れてきたら
「何でこんなものが」とか「自分のどこがいけないのか」とか
そっちの方向で掴まないようにして
もっと軽く
「あーよく分からないけど身に覚えのない感情が出て来た」
とちょっと遠くから眺めるくらいに離れて観れるくらいが
丁度いいかもしれません



出来ればそれが現れた時
その感情は味わってしまうとヨキかなで
無理に感じないようにしたり
見なかった事にしちゃうと
行き場をなくしたそれは
未消化なのでまたパワーアップして
別のカタチで現れます

イカリとかだとそのまま相手にぶつけるのはそれもまた違うので
出来ればひとりになれる空間でそれを認識してあげられると
よりgoodかなと



そういった感情があった という事を
認めてあげるのが 先ずひとつで
それやるだけでも放っておくよりかは幾分ましで
多分その後また違うパターンで同じような感情が湧く事があり そうしたらまた
その感情があった と認めてあげる
これを繰り返すうち
段々その感情が弱まるのと もしかしたら
何でそれが湧いて来たのか
分かるかもしれません



もうひとつは
自分のものではないのだけれど
自分の中の何かがトリガーになっている のは確かだから
それが何なのか は観ることができます

その感情が湧き上がってきた時
何があった とか 誰がどーした
とかではなく
そこは完全に切り離して
そこではなくて 観るのは
『何に自分が反応したか』です

何かにイカリが湧いたのであれば
「誰それが何をした事が原因で」ではなくて
(それは思考が言っている理由理屈だから)
もう単純に
「いま湧いているこのイカリは何だ?何に反応した?」
と自分に真っ直ぐに聴いてみる
頭は使わないで ハートあたりに意識向けて
「これは なに?」と まっさらで聴いてみる

そうすると 静かな自分であれば
何かしらのヒントの欠片が戻って来るかもしれません



それは多分 起きた現象とはまるっきり関係のない
はるか昔のほんの小さな引っかかりだったり
自分でも気づいていなかった蓋をしていたものだったり
え?それ? というようなものだったりします

そしてそれは
自分にとってはそういった形で現れたものだけれど
もっともっと大きな視座で観ると
人類が今まで溜めて来た未消化の 思い の
解消のひとつだったりします

今はそんなものが多くの人に訪れているので
だから 自分だけのヨロシクナイモノ としないで
もっと軽くとらえて 流して

そういったものもお約束すみで
いまという時代に生まれ出て来ていて
それは別の観方をすれば
とてもとても 強いタマシイ とも言えて
みんなスバラシイわけです



日常のあれやこれやストーリーに埋没しないで
毎日少しの時間でもいいから
日常というストーリー から離れて
自分の静かな場所でくつろぐ時間 をつくると
それが段々落ち着き深まってきて
日常のストーリに埋没しても早く抜けられたり
少し距離をおくような感じで日々送れるようになります

今はそういった事への後押しサポートも強いので
自分で「そうする」と意識して実行すれば
思っているより簡単に流れるようです



自分の意識をどこに合わせるか 向けるか

言い換えれば
自分の波長を どこに合わせるか

その自分の波長が
より澄んで鮮明になるように
お掃除が行われています



より軽ろやかになるように
ぜんたいが 巡り流れています

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。