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さあ本気と全力で

斜面に造られた公園があって 大樹もいっぱいあるのだけれど 勾配があちらこちらにあったり池があったり急な坂道階段があったり 広さ的にはマンション1つ分くらいなのだと思うけど 近場ではちょっと珍しいタイプの公園

久しぶりに通りかかったのでちょっと休憩がてら散策していたら 小学生の男の子10人くらいが盛大に鬼ごっこをやっていた



なんたってちょっとしたアスレチックみたいな場所だから 平面で逃げるとかではなくて斜面の上の方へ昇ったり池の周りの回廊を抜けたり なんだか見てるこっちの方が面白くなってしまうのよ

向こう岸にオニ役の子がいてその上の道に逃げてる子がいると こちら側で見つけた子が逃げてる子に大声で「下にいるぞぉーっ!」って教えてあげながらナビゲーターやってあげたり オニ役が替わってこちらに向かって来た途端に数人固まって様子伺いしてた子らがバーッと一斉に散ったり
その走るさまもみんな全力で走っていて飛び跳ねていて 叫ぶ時も大声で歓声あげて
なんかもう全力で鬼ごっこをやっている姿が眩しくて楽しくて そのパワーは凄いなあーと 全速力で道ではない路を駆け巡っている彼らを見ながら感心してた

本気で遊んでるんだよなぁ
すごいなー ステキだなー



何か最近の子はゲームとかネットとかそんなイメージがあったから 遠慮ない本気具合で晴天の下走り回っている子らを見て何だか嬉しくなっちゃった

しかもお互い声掛け合って助け合って誰かを貶めるような気配もなくて 純粋にそれを楽しんでいて
かと言って私のようにゆっくり散策してる人にはぶつからないようにちゃんと気を付けてくれていて それが感じられて
このパワーが今の子達にあるのならば まだまだ大丈夫だなあーと
いや もっともっと良くなって行くんだろうなーと思ってみたり



本当に最近のお子たちは優しい
根っから優しいから そんなに優しくて大丈夫かしらと 思ってしまう程だけど もう本当に時代というものが変わっていて 生れ出てくる子達ももともと持っているものが昔とは違っている

だから 学ばなければいけないのは大人たちの方で いつまでも自分が教えられてきた事を頼りに接していると その感覚の違いに気が付けなくてズレていってしまう
それでも最近のお子達は それすら分かっているようで よっぽど下手に凝り固まった大人より精神性は高いんじゃないかしら

赦す という事を どこかでわかっているような
そんな気すらしてくる
許す ではなく 赦す のほう



我々世代やもうちょっと下の方くらいまでの ガッチリ固められて育ってきた人たちは 今のお子達に接することで 彼らがその凝り固まりを砕いてくれるんじゃないかな

別に何かしてくれるとか そんなものではないけれど ただちゃんと彼らを観て共振させて貰えれば コンコンと何かが叩かれてヒビが入って
ポロポロと砕けていくような そんな感じがする

大人が救ってあげるんじゃなくて
子供たちに救われているんだよね

だから大人だからって 教えてあげようとか言い聞かせようとか そういったコントロール意識はもう不要で むしろあると邪魔で
もちろん大人だからこその護ってあげるラインはあるけれど それらも今までとはどんどん変わっていっているから
ひとりの人間として付き合っていければいいね



5月に入ってまた空気がガラリと変わって

スコーンと一部が抜けて穴が開いて
風通しがよくなったような
そんな感じもするし

一方で
上部と下部の流れているものがハッキリと別れて来て
上は軽いんだけれど
下はまだ纏っているものらで重くて
その時々どこに意識が向いてるかで
その上下のどこら辺を掴んでるかで
だいぶ趣が変わりそう

自分の中の重さと軽さの度合いが
ハッキリ分かれているようなそんな感じで
両方あっていいんだけれど
そのギャップが今は強く感じるかもしれない



それがもう少し引けると
両方あっていいんだ が拡がって
上下という別れ方ではなく
グラデーションになっていくんじゃないのかな

今は 両方あるんだよ という事を
知って分かるために
その対のコントラストがはっきり出易く
なっているような気もする

もしも八方塞りに感じても
必ず上だけはあいているから
その時は 上をみればいい



さあ 大人たちも
そろそろ本気で遊ばないと ね

子供たちに たくさん教えてもらって
あの時本気で遊べなかったことを
あの時はそれでよかったんだから
それしかなかったんだから
自分に許してあげて

全力で鬼ごっこするように
全力で自分と遊ぼう

全力で 生きる を 遊ぼう


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。