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扉から扉へ piece_vol.42

夏至のパワフルなエネルギーMAXが通りすぎ、既に山羊座満月の影響も出てるのかひたすら眠い。

毎年夏至は来るし新月満月も毎月訪れるから同じことの繰り返しっちゃーそうなのたけど、やはりそういった天体の動きがある時は古(いにしえ)の人達がそれなりに奉っていたように、何かしらのエネルギー的な変化はあるように感じる。だから特別ということはないけれど、自然の流れサイクルの一部としてちょっと気に留めておけば、むやみやたらに身体の不調を不安に思ったりしなくても済むのではないのかしら。そのサイクルに沿って身体がむくんだりダルかったりする事は至って自然な事なのだから。

感覚的には尚いっそう軽さが増して、まだ落ち着ききってない感じ。今週いっぱいくらいはこんな感じなんだろう。
こだわり感がより一層薄れていつまでも持ってられない感じもする。前までは気になってた事柄も、その時ちょっと気にはなるけど「ま、いっか」とすぐ流せてしまう。

今まで隠れてたり一旦よけといた出来事の扉がまたパタンと開かれ、意味もなく「ああ、そうか。」と腑に落ちることがひとつふたつと現れ始めている。あれほど何が自分の中で引っ掛かってたのか見えなかったものが、突然「そうだったのか」となるから面白い。そして腑に落ちればお役目終わったかのようにすぅーっと消えていく。

と同時に、昔の出来事のあれこれが「あれ?そういう事だったのか?」とこれまた意味もなく前ぶれなく突然現れたりもしてきている。すっかり忘れ去ってた出来事さえも。でも嫌な感じとかではなく、今までこうだと思っていた過去事が「ありゃ?もしかして違ってたかも」と気付いてみたり。

隠れものが出てきたり過去事が刷新されてみたり、どれも今までの思い癖や思い違いをピョンと浮かび上がらせて「ああそうだったのか」と納得することで自分の中を軽くしてくれてる自動メンテのようでありがたい。
何故にいまこれが突然現れる?というのもあるけれど。脈略なく現れるから笑ってしまう。

この手のはきっとここしばらくは続いて行くんだろうな。上物がクリアになれば、またその下にある次のが出てくるから思考感情の思い込みは何層にもなっていると思っていれば「まだこんなのが」と出てくる度に思わなくて済む。ひとつひとつほどけて行く毎に軽くなるし見方も変わってくるし段々気にならなくなるから、自分のそういった変化を観ていくのも楽しい。次のが出てきたら「おこしやす~」くらいの余裕でお迎えしたいもんだ。

ニンゲンである以上、いままで生きてきた癖やらパターンは山ほどあるのだから、それを嘆いても仕方ない。それらで今までの自分が成り立って生きてこれたのだから嘆くどころか感謝なのだけど、変化にともなって合わなくなって来てるものは、やはりこの先楽しく過ごす為にもどんどんサヨナラしたいもの。
それでも染み付きすぎて身体の一部のように当たり前になってしまっているものもあり、頭で考えても見つからないそれらを、今回のようなパワフルなエネルギータイムはぷわぁんと剥がして浮かび上がらせてくれて、「あ、これもか!」となったりする。

場合によりひゃーっ!と云うものが突如現れたりするけれど、それまた避けて見なかった事にしちゃったらまた潜って行っちゃうし、たぶん今出てきてくれるソレコレは「まだ要る?」と掘り出し物してくれてるだけだから、必要なければ「要らん!」と感謝を込めてサヨナラすればスッキリ次へ進める。
見たくないもの・避けてきたものは忌み嫌うものではなく、次への扉がその中に隠されている。

そうやって扉が現れてはそこから次へと繋がり、実は扉なんてなかったことに気付き、my worldが過ごしやすくなっていく。遮るものが少ないほど視界は広い。

取り敢えずはぐわぁんぐわぁんと揺さぶられている風は少しおさまったようだから、今は舞い上がったホコリやらが落ち着くのを待ちながら掃き掃除でもしようかしらん。

ほんとうに、些細でありきたりに繰り返されているように見える日常に、あちらこちらに宝箱が隠されている。ひっくり返してみたり、透かしてみなきゃわからなかったり。そんなものに眼を向けて日々過ごすと毎日瞬間がアドベンチャーで奇跡の連続のようだ。でもそれは自分の真ん中から眺めた時の日常風景なので、その奇跡をもっと観たくて感じたくて真ん中で在りたいと思うのかもしれない。
そして私はそれが心地いい。
自分がクリアになり少しずつでも整っていきラクになっていく。
いまはその変化を観て感じているのが愉しい。


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