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突風もざわめきも


風がぴゅうぴゅうと吹いてお天気なのにとっても寒い
結構な強風で交差点や吹き抜け路地に立つとあれれと飛ばされそうになる
なんだかいっぱい吹いてるなあーと思いつつ 強風とはそもそもなんぞや?と調べてみると "気圧の差が大きい事" とあり ほんじゃー気圧って何だっけ?と調べると "空気を押す力" だそーな ほぅ そういえば理科で習ったような気もする 今思えば小中学校の基礎の基礎って面白い事いっぱいなんだよね 授業が面白くなくてまともに勉強してないけどもったいなかったなあ 今ならすっごく楽しんで興味津々で学べる気がする(笑) まあ今はネットで調べればすぐ出てくるから興味あれば幾らでも学べるけれど



で 強風の話だ
これを違った角度で観てみて 気というのはエネルギーとも言えるから 気圧=エネルギーの力 とすると エネルギーの押す力の異なりで風や強風が生じてるとも言えるかな

この全てをじぶんの内なる宇宙とした場合
エネルギーの押し合いで風のようなものが動くならば 今のこの強風は自分の中の異なるエネルギー 思い が押し合っているともいえるのではないのかしらん

異なる 思い のエネルギー
自我やエゴの思いのようなもの エネルギーと
本来のじぶんのエネルギー
この異なるものらが相混じっているのではないのかしら

不安と安心 焦りと余裕ゆとり 恐れと安らぎ
どうしたらいいんだろう という思い
どうにかなるから大丈夫 という確信のようなもの
自分で頑張らねば上手くいかない という思い
力を抜いて流れに任せればいい とどこかで知っている感じ

ばったんばったんシーソーのように
こっちに傾きあっちに傾きを繰り返して
時には大きく時にはささやかに
長かったり短かったり キツかったりゆるかったり
今までみえてなかったものまで加勢して
それぞれに勢い付けてぐーるぐる

そんな自分の中の押し合い引き合いが
強風となって現れている という風に
みることも出来るんじゃないのかしら



だからどうしましょって事じゃーなくて
真ん中は静かですよね
っていう確認のようなもの

自分という括りには
色んなものがありますよね
あっていいんですよね
右も左も上も下もありますよね
それらぜんぶひっくるめて自分ですよね

強風もあっていいけど
ずっとだと疲れちゃいますよね
だったら真ん中に落ち着きませんか?

自然の営みはどうも出来ないけれど
それを見て感じて揺さぶられるよりも
大丈夫なんだっていう安らぎに
自分をいざないませんか?

そんな見えない囁きのようなものが
強風に混じって聞こえてくるような
そんな感じ



ものすごく風が吹いたり止んだり
それを見て
ああ風が強いんだなーと単に外側現象として
流してしまうのもいいけれど

それを見て
ああ自分の中にも
強風も静まりもあるなあーと
そんな視点で観てみると

今まで外側に感じていたものが
ぐわんと内側に感じ
認識できる範囲いっぱいが
まるで自分かのようになります

そうすると この強風も
自分の内側に起きているなにか
となります

と言っても自然現象は
集合的なものが強いですから
自分のせいとかそんなのではなく
我々のそういったものらも
反映しているのかもしれない と
そんな見方を持っているのも
1つの視点としてよいのではと感じます



ひとりがそう感じたって
あまりにちっぽけに思えるかもしれませんが
だからとそのまま流すのではなく
自分の内側のざわめき揺らぎならば
少しでも真ん中に
穏やかで安らかなほうに
そう ありたいなーと感じます

自分のせいでこの強風があるわけでないけれど
そーいやー自分もザワザワしてたなあー
まったり和やかがいいな~ と
ちょっとそんな風に切り替えてみるだけです

でもそれだけで
何となく外の突風が
さっきとはベツモノに感じられるのです



色んな方向から
様々な形でケースで
準備のようなものが示されています

本当に多種分野に及んでいて
今までのように1つを追い求めなくても
まるっきり違う分野業界から
ヒントを貰えたりします

あとは自分の中の
今まで という強い縛りを
ほどくだけです



毎瞬
生まれたてのように






ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。