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ゆるりと年末へ向かうなかで

世の中は仕事納めで 会社の大掃除をしていたり 洗車していたり 挨拶回りしていたり 休みの分散化が進んでるのか通勤らしき人たちも幾分少な目

街中まちなかは年末モードで 母娘で帰省して来たのか祖母らしき人と母娘3人でいた小学生くらいの女の子がスーパー入るなり「ここ スーパー? 小さくない?」と言っていて そーだよなあー郊外型スーパーが生活圏だと都内のスーパーなんてびっくりするくらい小さいだろうなぁとか思いながらその素朴な感想に聞き入っていた



いつも行く八百屋や魚屋さんは大晦日まで営業しているけれど いつだったか大晦日に魚屋行ったらものすごい人で そうかここら辺の人は帰省して帰って来るお家も多いからお正月用でお賑わいなのかと納得したけどその慌ただしさについて行けなくてそれ以降大晦日には行っていない

買う予定のものはほぼ全部揃えられて あとは食材もたせるための加工とお掃除だな~とちょっと安心モード
特別なにかする訳ではないけれど 三が日まったり過ごせるよう 自分の心地よさを揃えていく

今までお花も「正月らしいものを」と求めていたけど 今年は自分の好きな花をちょっとだけシンプルに飾ることにした


こうやって少しずつだけど「〇〇だから」に合わせたチョイスから その時の自分の心地よさから選べるよう決められるよう変えていく

時節は「〇〇だから」が発動し易いから自分も分かりやすくていいなあーと思う
今までの風習や習慣で「そうするのが当たり前」となーんも考えずにやりがちだけれど そこで一旦立ち留まって「自分がそうしたいのか」で観てみると 案外やらなくてもいい事も多いしその分ラクになる

もちろんそれでもお正月にお雑煮は食べるし おせちという形式ばったものではないけれどそれぞれの食材意味を組んだものは食べる
いにしえの智慧はちゃんといただいて その上で自分が喜ぶカタチでやれればいいなあ


冬至からまだそれほど経っていないのに
夕暮れが遅くなって来ていて
少し前のこの時間はもう暗かったのに
今日はまだ明るいなーと気づいてみると
ああ ちゃんと陽がのびているんだなあ
自然は動いているんだなあ と
その 姿なき ナニカ に畏敬の念が湧き
その仕組みの一部なんだなと
改めて感じます

その ナニカ のなかで生きていて
ナニカ と共に生きている

”自分が”頑張って生きている ようにさえ
思わせてくれている ナニカ



もう 頑張らなくて も
一生懸命にならなくても
「自分が」を外しても
今までどおり生きていけます

今まで以上にスムーズに
流れていきます

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。