人の気持ちなんて分かろうとしなくていい

GWに海外旅行に行って来ました。
ハワイに行って来ました。

想像以上に日本人ばかりでした。ただ、私達の今回の旅行の費用を考えると、当然彼らもめちゃくちゃお金をかけて来ているはずで。だからなのか、お金持ちばかりを見た気がしました。そして彼らはいけすかなかった…。

いけ好かない。
何と言うか、金で全てを解決しようとしている人間達に見えたのですよ。
そのファッション、態度…。ブランドものに身を包んでいる訳じゃないですが、雰囲気的になんかいやらしい。人間的にちょっと…って感じ。ヤクザやヤンキーじゃないけれど。ヤクザやヤンキーならまだ人間味を感じられて良かった。

で、思った事はお金で解決する事には限りがある、と言う事。
例えばファッション。高い洋服を着ても、かならずしもセンスが良いと言う訳じゃない。
センスを良く見せるファッションはやはり、着る人がセンスを磨いて考えなければいけない。
自分で考えなければいけないんだと思いました。

あとお金の使い方。
ハワイの日本人の雰囲気から、お金をこれぐらい払えばいいんだろ?的な態度。
人の事を全く言えないですが、外国に来たならば、その外国の気質に合わせないといけないと思いました。
それを合わせず、我のまま行っている日本人ばかりで恥ずかしくなりました…。

ハワイの人の気質って。サービススタッフを見て思ったんですが、彼らはやらないといけない事をすれば、後はもう当人の自由と言う感じで。日本人サービススタッフのように、相手の気持ちを思い遣って汲み取りまくらないといけない事は無い。

それって人間の自主性を大事にしていると思うのです。自分で考え、行動する。その結果を他人のせいにする事は決して無い。

日本人って相手の気持ちになって考える事を物心ついた時から教育されると思うんです。
そんな、相手の気持ちを考え続けるなんて、疲れるし、相手にとって余計なお世話だと思うんです。
過干渉って言うんですか。ハワイに来てそれを気付かされました。

思い遣りよりも自主性の方が大事。
ハワイで一番得たものがそれでした。
人の気持ちを考える、と教育されると言う事は、誰もが自分の気持ちを考えるべきだ、って言う思考になると思うんです。そんな事はいけない。有り得ない事だ。

日記ブログやツイッターは人の気持ちで溢れていると思います。
でもそんなものは無意味。他人の気持ちを探って、自分の気持ちに沿ったものを見付けて、それを「いいね」する。そんな文化は辛い。どれだけの繊細な気持ちを持ち合わせても足りない。

ハワイに行って人生が変わるとは思ってなかったですが、ずっと自主性が大事なんだと思い知らされる旅行でした。為になったと思う…。

これまでの私の人生は自主性が無かったから、辛かったし、人にも辛い想いをさせたと思います。
これからそれを大事にして生きて行きたい。

悪い習慣として、他人の日記ブログやツイッターを見るのがあると思う。
自分の気持ちを分かってくれない事実を他人の気持ちを覗く事で、そのストレスを紛らわす。悪癖だと思いました…。

しかし人の気持ちで自分の気持ちを潤わす行為と言うのはあると思います。それは芸術に触れる事だと。
映画、音楽、小説…。気持ちを和らげるなら、そういう物に触れればいい。

あと自分と小説執筆の事も考えました。
私は何も小説を書かなくてもいい、と。今のままで十分幸せだと。
それでも書くのなら、受賞する事を目的にするんじゃなく、自分にとって必要な物語を作る事を最優先にしようと。

ハワイから帰ってきて、小説の構成を考えていますが。
今、難航しているのは登場人物の想いがしっかり掴まえられないと言う事です。
読む人を惹き込むには自然で濃密な人の想いが必要で。それに沿った行動も必要で。
思い付きだけではそれは無理なので、時間をかけようと思います。一作に一年以上かかるかもしれない。でも、それは仕方ない…。

芸術創作は人の気持ちを再現する作業だと思います。その際に人の気持ちを推し量る技量が必要でしょう。
それは大変な作業です。出来ればやりたくない。
でもそれを放棄する気持ちにはなれていないです。
生活の際に、人の気持ちを分かろうとしてもそれはセーブして、創作の現場だけにしたいと思います。

私の未来を明るく出来る事を信じて頑張ります。

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