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とうとう出たね!

「とうとう出ましたか!?」

「とうとう出たね!」

「なんか耳に残るフレーズですね!」

「そうか、普通のセンテンスだよ。」

「ま、とうとう出たってことで!」

「おう、とうとう出たよ。」

「”光る君へ”も、そろそろ、とうとう出そうかな?」

「何がですか???清少納言?????」

「あ、それももうちょっとしたら”とうとう出たね!”ってなるかな?」

「藤原実資ですかね!?!?ロバート秋山さん、なかなかハマってるね!www」

「小説”源氏物語”頭中将(とうのちゅうじょう)のモデルになったと言われておるね!」

「ま、男同士の悪友だね!あんまり大声で言えないことも一緒にやってる!www」

「千葉雄大・伊藤沙莉の”いいね!光源氏くん”では、中将として、桐山漣くんがやってましたね!」


「ああ、ああ言う感じなんですね!」

「そうそうイケメンで、源氏くんの遊び友達!ヤッバい遊びにも一緒にでて、目当ての女性をどっちが先に取るか?みたいな競争もするね!w」

「あああ、なんるほど!」

「今では、古典として、高校の古典の授業でも扱われるので、なんかもっと高貴なお話か?って思われるかもしれないけど、これは、平安期の貴族男子の”私小説”なんだな!」

「あの頃の貴族男子の生態を見事に描写しているし、道長モデルの”光源氏”も、それなりに悩みはあるし、個人的な葛藤もある。で、時には、そばにいる女性に溺れたり、また、これではいかん!!みたいになったり、でも、頭の中将と遊びに行ってしまったりね!w」

「”源氏”は、女性の形質・容姿についての描写が、やっぱり厳しいですね!」

「中年期に差し掛かった”紫式部”こと、まひろの目を通した男生態だからね!このヒカルくんや中将が争っている女性に対して、”なによ、あーんな仔!”みたいな視点もある。」

「”末摘花”なんてそうですよね!滅多に表に出ない謎の可愛くて綺麗な女性として、ヒカルくんと中将が争うけど、実際、ヒカルくんが落として、次の朝、よく観てみたら、

『その鼻が長くて、その先が少し垂れ下がっている、その上、さらにその先っちょがちょっと赤い!』

と、女性らしい細かい点をついた”悪口”が入ってるね!」

「女は女の形質に煩く、怖いですね!www」

「男は、全体として、可愛いなぁとか、ええなぁ!とかしか観てないことが多いね!特に若い頃は!!!」

「現代でも、高校くらいの時、ある女性が、別の女を”なーによあんな仔、短いまつげ巻いてスピッツみたい!ぺっ!”みたいなこと言ってるの聞いたことありますね!wwwwwwww」

「”紫式部”は、父が”受領”クラスの藤原氏で、もっと初期なら、実際に京を離れて、現地に実際に赴任するところだね!このクラスの娘は、学ぶ時間と衣食の余裕があったんでしょうね。この辺りの時期まで、小説や日記など、今でも読み応えもあるし、重要な歴史的意義のある記録になっているものも多々ある。」

「例えば、

『更級日記』は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)による仮名日記文学(11世紀半ば)ですし、



その母、藤原道綱母の異母妹が、この孝標の娘の叔母さまの書いたのが、『蜻蛉日記』(10世紀半ば)



で、『土佐日記』は紀貫之(きのつらゆき)が女性に化けて書いた仮名日記文学(10世紀初頭)です。



LGBTも、こういう文学に昇華されるようなものはいいですけどね!」

「女湯に、素っ裸でブラブラさせながら飛び込みたいだけの変態オヤジを助長させるだけの法律になったね!wwwwwwww」

「ま、そんなこと、この文とは、関係ないし、閑話休題。」

「あ、そうそう、更科日記は、関東武士の当時の面影を伝える良い資料ともなっている。」

「関東の当時の草深い様子なども生き生きと伝わってくる良い文章ですよね!」

「菅原孝標は、有名な菅原道真の4世の孫で、なので、その娘は5世めだね!で、母は、藤原倫寧の娘ときて、文学家族の女系系譜を感じるね!」

「孝標の娘は、母の系統が物語好きで、叔母さん至っては、自分で、日記もの(蜻蛉日記)を書いているが、物語としては、ちょっとドロドロしたものすぎて、自分が書くなら、”源氏物語”みたいなものが良いなって思ってた文学少女時代のある、妄想チャン14歳って感じっすね!それを、父が遙任で行った常陸国へ行く時について行って、その時の道中や滞在先の諸々を書きとめたテイになってますね!!!」

「そうそう、女の子14歳位は、一番、妄想が激しく、そのまま文学に目覚める仔もいるよね!いわゆる厨二病(中二病)の語源だね!www」

「実際、更級日記では、武蔵国の海岸沿いを通過した孝標女が、

”官道とされている道の周辺でさえ、葦が生い茂っていて、馬に乗った人も下の方が全く見えない。”

”そうこうしているうちにすれ違い、ふと振り返ってみても、もう、その人の人影はカケラも見えない!”

などと言うところがありますね。」

「物珍しさに驚き、楽しむ厨二娘の生き生きとした感じが良いね!」

「鎌倉に至る”武家の勃興”も、この辺りの地域からですよね!」

「受領階級は、時代が下ると”遙任”と言って、実際には、公家は現地にいかず、上がりだけを京に運ばせるが、9世紀初頭でも、常陸、上総、上野の三ヶ国は、”親王任国”と言って、親王(源や平性に降下することになる!)が遙任され、実際に任地に行くのは、降下した源や平姓のものたちになるね!」

「常陸は最上国の一つでしたね、そいえば。」

「伊勢、熱田、鹿島 は、神宮としても別格だね!実際、私見では、北陸、越あたりと、韓半島南東部、そして、対馬あたりを根拠地に暴れまわった海賊の一派で、陸入した一族の大いなるものが、現天皇家の祖だと思っているんだけど、中央西線沿いに、諏訪(諏訪大社も社格最上!)、尾張と降りてきて、西に向かったものの大将が天皇家、それに対して、東に向かったものが、常陸にたどり着いた時、鹿島あたりの地で、豊かで温暖な土地に住み着いたんだろうね!その上、船で太平洋を回れば、伊勢にもいけるし!www」

「そう言う記憶が、平安あたりにはあったのでしょうね!常陸国には、中級と言っても、なかなかの一家が実際に在地官人になって、次官として、赴任させられている。」

「そのくらいの階級の一家は、食うには困らぬが、都自体の権力闘争には加わるほどでなく、したがってその娘も、権力者になるための権力闘争に加わっている男どもには見向きもされないから、勢い、暇になって、文章でも書くか!ってなるんだね!」

「まあ、そう言うもんだし、それが、返って、良い小説や日記、資料を残してくれることになった。」

「学問って、そう言うもんですよねwwwwwwww」

「常陸の佐竹氏(源氏)、上総の平氏(平氏)、上野の武田氏(源氏)など、後の世の有力武士の棟梁は、9世紀の”親王任国”の在地領主に起源があるのが多いね!」

「9世紀、10世紀では、都から離れた雛の農民は、まだ縦穴だか、横穴だか知りませんが、穴居ですよね!そこで、黙々と米を作り、在地の長に税を収めながら、観たこともない京都の親王さまより、在地の王に忠誠を尽くすようになって行くんだね」

「開墾や農具の改良、人口の増加などに従って、在地領主が独立して”武家”となって行くのも歴史的必然だったね」

「紫式部の”源氏物語”はそうなる前の一時期で、かつ、遣唐使廃止後のいわゆるガラパゴス化したこの国の文化の揺籃期の成果ですね!」

「時代小説的なBS時代劇のネタとしては、この遣唐使廃止の頃の、菅原道真を扱う手もあるよね!w」

「ああ、”薬子の変””応天門の変”の頃の宮廷ですね!」

「9世紀の初め!!!810年(薬子の変)、866年(応天門の変)だね!」

「ああ、794年が、平安京遷都だから、まだ、15年くらい、そして70年ほどだね!平安京遷都から100年くらいは、まだ、旧都時代の豪族あがり貴族と藤原氏の権力闘争は激しく続いていたとわかる!なぜ、平城京をすて、平安京遷都が強行されたか!また、9世紀初頭には、まだ居た反藤原氏勢力としての大伴氏、紀氏などがいかに没落して行ったか!?」

「菅原道真が巻き込まれて行く様は、物語になりますね!実際に漫画にもなっている。」



「”薬子の変”を境に、宮廷は、さらに藤原北家の独裁が完成して行き、そして、応天門の変で完全に完成する!これで、その後、道長、頼通といった”藤原氏でなければ人でない”と言う状況を作るための基盤が固まる!」

「藤原北家は、実際には、天皇家の乗っ取りまではしなかったですよね。あくまで天皇は、古代以来の家を重視して、しかし、その子孫には、藤原北家の血がどんどん濃くなって行く!www 日本のその後の政治体制の持たれ方が定まった感、ありますね!この頃に。」

「伴善男、紀夏井らは、配流となって、伴善男は、遠流先の伊豆で憤死!物部氏、蘇我氏などが活躍した飛鳥(アスカ)時代以来の名家:大伴氏(この頃は伴氏と改姓していた!)は完全に没落する。」

「立役者は、太政大臣:藤原良房で、上記の漫画でも、妖怪みたいに描かれていますね!」

「毒殺あり、陰謀あり。呪い殺しまでいっぱい出てくるし、時代小説的要素にも事欠かんよ。」

「平城上皇は、名前の通り、旧勢力に乗って、平城京復活を画していたね。それを藤原氏が押している嵯峨天皇が阻止すると言った構図もある。」

「女性も大立ち回りしていますね。この頃は。藤原明子(あきらけいこ)様など、ものすごい役回りで登場する。」


「清和天皇のお母さんで、藤原良房のお嬢さんですね。しかし、この方も描きようがあるね!清和天皇は、良房の思惑通り、9歳で即位。その外戚として猛権力を振い、上記の”変”たちをことごとく御して行く藤原良房とその側近政治に嫌気がさしたのか、18歳で、陽成天皇(この人もこの時点で9歳!)に譲位しているね!」

「明子(あきらけいこ)様は、今でいう双極性障害的な病の症状を呈していたらしいけど、これは、当時なら”物の怪”がついて暴れ回る、っていう設定が普通にできるしね!で、裕福な精神病患者は、結構長生きする!ってのを体現し、6代、移り変わる天皇の時代を睥睨しつつ、藤原基経の摂関政治まで長生されている。この人の視点で、物語を紡ぐのも面白いかもね!?!?」

「まあ、というような時代を経て、身分が固定してしまい、紫式部さんあたりは、受領(律令制度の国司(〇〇守))の娘で、飽食する程度の富には困らない程度の収入はあるが、道長あたりとはどうしても結ばれない!で、読書階級となり、”源氏物語”を書くことになる。」

「清少納言も、そうですね!読書階級です。”枕草子”も散文として、ものすごく評価が高い!」

「文学ばかりでなく、平安文化の爛熟期の担い手としては、男より、女性の活躍が目立つね!特に、平安時代の中期から中後期にかけては。」

「遣唐使廃止(894年)以後、男は、例えば、奈良時代の空海のように命を賭して、中国に渡り、そこから様々な舶来の文化を持ち帰り、一派を開くというような華々しい活躍の場がなくなり、身分は固定されて、頑張っても仕方ないよね!っていう風になり、大きな乱や変、戦争もなく、宮中の女性の品定めくらいしかすることがない!」

「それを眺めて、紫式部や清少納言の、少し口をへの字に曲げて、皮肉っぽい笑顔を作る様が想像できますね!」

「実はちょっと、現代に通じるものがあるね!今は、実際には、女性の力がものすごく生きる時代になっている。」

「こういう後は、平安後期のように、新勢力の勃興があるかもね!?」

「ここで爛熟し、溜まりに溜まったテストステロン的な”爆発力”が吹き出すかもねってことですね!?!?」

「プーチン、ゼレンスキー、トランプ、ネタニヤフ、習近平みんな、マッチョっぽい連中で、なんとなくその”男臭い”感じが、嫌でしょ!w 現代的な文脈では、本来、居場所がないのに、無理やり居座ってる感がある。」

「そういう時代ですね!」

「こういう時は、その次の時代への布石が少しづつ置かれて行くよね。日本でいうと、平安が終わって、鎌倉時代がきた!武士が勃興した!それは、平和な時代の矛盾が、男っぽいテストステロン的パワーを蓄積させるんだね!」

「嫌な感じですね!」

「歴史的必然なら、何かの形で吹き出すね!なるべく、軟着陸して欲しいですけどね!」

「日本でも、今、物書きは、男性っぽい小説家(石原慎太郎さんみたいな人)っていなくて、女性が大活躍だね!百田さんが最後の”慎太郎”かな?彼が描くものが、ものすごく望まれているのも、時代性を感じるよね!実際、彼と有本香が作った”日本保守党”は、サイレントマジョリティが、日本で生まれて育った日本人のことをまず、考えて欲しいっていう風に感じていること、そういう普通の日本人が実はかなり多いことを意味していると思いますよね!アメリカでも、アメリカで普通に生まれ育ったアメリカ人(主に白人だけど・・・)をまず第一に考えようよっていうトランプが、実はかなり支持されている!右傾化とか左傾化とか、そういうどうでもいい思想ではなく、生活に根ざした素朴な庶民の願望だよね!」

「で、確かに、女性っぽい人はいますけどね!そういう人のものは面白いっていえば、かなり面白い!森見登美彦さんとか、万城目学さんとか、どっか、女性っぽくて、京都っぽいよね!」

「純文学、私小説より、ライトノベルがウケる!ってのも、時代性がありますね!」

「時代の境目に近づいている感、っぱねーですね!」

「さてどうなるか?私たちは、その境界をどんな風に超えるか!?」

「楽しみになってきました。」

「妾、なるべく安全な所へ逃げるけどね!女だし!」

「俺もついていきますよ!姫を守ります。」

「一緒に逃げようぜ!」






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