見出し画像

自然の中で暮らすとは…

先週はどろがめさんの森の話でした。
澁澤さんにとって身近な森ってどこの森ですか?

―澁澤
私の記憶の中にある身近な森はうちの庭でした。
今から考えると、森と言えるほどの大きな森ではないのですが、うちの庭は畑や雑木林につながっていて、その先に小さな川があって、川の反対側、家から歩いて2-3分の所に、小高い丘があって、そこには大きい木がたくさん茂った森があったのです。
歩いて遊んでいるとき、森の中に寝っ転がった時、木に登った時、見える景色が全く違うのです。まるで違う世界がそこにあって、その中は動物たちも鳥もとても豊富で、子供の身長より長い青大将がいて、ある時、それがうちの屋根裏に棲んでいて、どさっと落ちてきて、音でものすごくびっくりしたりとか、自分の生活と自然とか森とか、そんな境目はありませんでしたね。

―中尾
私のうちの庭は澁澤家とは全然違いますけど、そこが森でした。学校まで家の裏側を、水路を通っていくと、ときどき森があって、その森のあの木は手がかぶれるから触っちゃいけないって言われたり、自然がいっぱいあったなあと思います。

―澁澤
それは、思い起こせば、つい50年前くらいの、私は東京、中尾さんは大阪のまちなかの風景ですよね。
ジブリの映画の「となりのトトロ」の舞台は、私たちの子供の頃のちょっと前の昭和の風景なんですよね。
生活の場が森であり、どこまでが森でどこまでが里なのか…と区別がつかずに、みんなが混在していたくらしだったと思います。
私が今教えている600人くらいの大学の学生さんたちに、
「あなたは自然の一部ですか?それとも自然というのはあなたとは別のものですか?」と聞くと、
今から20年くらい前はほぼ100%の人が「自分は自然の一部です」と応えていたのですが、今の学生さんたちは5割以上の人が、「自然は自分とは別のものです」といいます。
人間もそのくらい変わったのです。

―中尾
でもそれは、現在の町の風景を見るとしょうがないかなと思います。

―澁澤
問題は、私たちの世代は、今の子供たちが幸せに生きられるように、一生懸命働いてきた世代なんですよね。私たちがつくりだした風景、わたしたち世代がやってきた形が今だと考えると、今の子たちは本当に幸せなんだろうかと一方で疑うのです。
自然が全くなくて、授業で、自然の話やトトロの話をしても、トトロはどこか夢の国の話で、アニメの中の世界で、自分たちの生活の延長上にあるとは全くわからないでしょうね。

―中尾
でも、今も田舎にはありますよね。

―澁澤
日本人はあの風景の中であの暮らしをしてきた。日本人の原風景がトトロの森の風景。
それがたかだか50年前ですよね。
てことは、50年前まではもっと森と人が近くて、自然の中での暮らしが当たり前に森の中にあったということですよね。

「おじいさんが山に柴刈に」という話が、昔ばなしではなかったですよね。
今の学生に、その話をすると「おじいさんはなんで山に芝刈機で芝刈に行ったんですか?」っていいますね。『しば』が違うということもわからないし、「柴刈」の柴をなんに使ったのかは今の学生はわからない、イメージ湧かないです。
二宮金次郎の銅像も、背負っているものが、かつては柴だったけど、今は代わってきました。丸太を背負っているものが多くなりました。本当は、あれはあの時代には犯罪です。丸太はむやみに伐っちゃいけなかったですからね。

―中尾                               取り戻すのではなく、新たに、自然を取り込みながら、仲良くしながら一緒に暮らすというのは可能だと思われますか?

―澁澤                               物理的には可能です。江戸時代の暮らしをしようと思えばできる。ところが、今の学生たちに、『コンビニのない世界で生きられる?』と聞くと、絶対に生きられないといいます。
スマホのない世界に生きられるかというと、これも絶対に生きられないと。
そういう彼らの理論はみんな一緒で、世の中が進歩し、発展したんだからもう元には戻れないというのです。
「本当にそれが進歩なの?」「科学技術の進歩が人間の進歩なの?イコールなの?」と聞くと、みんな、はあーと。考えたこともないのです。
科学技術の進歩が人間の進歩だとみんな思っている。
それくらい、今科学技術だとか、社会のシステム、ウーバーイーツがいない町では暮らせないという学生たちもいる。

―中尾                               戻ることは可能だけども、こういう時代に生まれた子にとって、そういう生活ができるかということですよね?

―澁澤                               我慢して戻るのではなく、自分が良いと思って戻れるようなモチベーションをどうやって作れるかということです。

―中尾                               価値観の問題ですよね、ちんじゅの森で出会った学生が、生まれも育ちも東京でしたけど、100年の柿農家を絶やしてはいけないといって、跡を継ぐ青年の家にお嫁に行きましたから、そういう形で自然を生かした暮らしを引き継いでいくという生き方もありますよね。彼女から聞いた一番好きな言葉は、初めてお米を作ったときに「80歳まで生きたとしても、60回しか作れないんですよ。だから失敗はできない」といったのがとてもかっこいいと思いました。
彼女がまだ30歳くらいなのですが、そういう人が増えてきているし、自然の中で生きる楽しさとか、自給自足の暮らしをすることで生きる自信が生まれたりとか、そんなことが伝えられるとよいですね。

―澁澤                              今、地方で仕事することが多いですが、そういう若者がものすごくたくさん入ってきて、生活をするようになった。
そういうニーズはあるパーセンテージ確実にあるのだと思います。
逆にそういう人たちに一番障害になっているのは、私や中尾さんくらいの年代の人。その村で、こんな何もない村に若い連中は来るなと、技術の発展やシステムから取り残された心が人間社会としても価値がないと思い込んでいる私たちの世代が一番問題。
私たちの世代の発言力が少なくなった時に若者たちが地域に入ってくることはあるかもしれないと思っていますが、それまで今の日本のシステムとか、もっというと、地球の環境問題を含めたシステムがもつのかどうかが危ないところに来ている。

―中尾                               ネット社会ができるのであれば、逆に田舎に行こう。やりたいことをやりつつ、仕事も田舎で暮らしながらできて、田舎で食べ物も作れて… というのは理想ですか?

―澁澤                               まだわからない。もう少し、暮らし方の考えが必要かな。
それを気づかされたのは、今回のコロナの問題がとても大きいです。ネット社会の中で取り交わす情報というのは目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報だけなんです。それでは情報交換が足りないということを多くの人たちが気付いたんですよ。
さっきのスマホがないと暮らせないといった学生たちですら、友達に会えないとだめだ、対面授業をしてほしいと言いだした。
ただ、少数の学生には、それによって、自分は学校に行くのは嫌だったけど、やっと授業が受けられるようになったと、恩恵を受けた人もたくさんいるけど、やはり多くが田舎でテレワークだけやっていれば仕事ができるようになるのか、ということに疑問を持った。
ひょっとしたら、テレワークでできる仕事は、AIとIOTに置き換わっていく可能性がある。その人がそこにいないとできないという仕事が仕事になっていくのかもしれない。その時、次世代の担い手たちがどう対応していくかは、まだ未知数。そんなバラ色の話ばかりではないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?