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暮らしだよりvol.3 ~高根集落~

―中尾
今日は、新潟県村上市高根集落に来ました。
こちらでは、澁澤さんの「聞き書き甲子園」という事業の1期生のお二人にご出演いただきたいと思います。
それでは、お名前をお願いいたします。
 
―能登谷夫妻
はい。能登谷創です。
能登谷あきです。よろしくお願いします。
 
―中尾
今日は、こちらでお住まいになっていらっしゃる、能登谷創さんとあきさんのご夫妻と4人で進めてまいります。よろしくお願いします。
 
―澁澤
よろしくお願いします。
 
―中尾
澁澤さんと能登谷ご夫妻が最初にお会いになったのは、お二人が高校生の時ですよね。
 
―澁澤
聞き書き甲子園って、この番組でも以前にお話ししましたけど、その第1回目に応募した学生さんのお二人です。
 
―中尾
長いですね。
 
―澁澤
そうですね。彼らは高校生でしたから17歳くらいでしたかね。
 
―中尾
現在はおいくつになられました?
 
―能登谷創
今年で36歳になりました。
 
―能登谷愛貴
同じです。
 
―中尾
高校生の時に聞き書きをしました。それからずっと、心の中に、田舎で暮らしたいとかいう希望があったのですか?
 
―能登谷創
田舎で暮らしたいというか、もともと聞き書き甲子園が終わった後に、「共存の森」といって、学生が名人たちとの出会いをもう少し掘り下げていきたいという団体を作りたくて、澁澤さんたちに相談してNPOにしてもらって、全国の地域に行くという活動があったのですが、僕たちは関東で活動をしていて、澁澤さんの伝手で新潟県に行ってみないかと言われて、この高根に来ました。
 
―中尾
まず、能登谷君が先にお見えになったんですよね⁈ 高根に。
 
―能登谷宇創
最初はそうですね。
 
―中尾
能登谷君が高根に来てどれくらいになるのですか?最初に来たのはいくつの時?
 
―能登谷創
19歳の時ですね。
 
―中尾
じゃあ、17年!すごいですね。
 
―澁澤
山の恵みをね、利用しながら、100㏊ものとっても広い棚田を持っていて、しかも財産区と言って、今日でいえばコモンズという共有財産として1万ヘクタールの森を利用しているような集落があるけど、一度見にいってみる?と言って連れてきたと思います。
 
―中尾
なるほど。そこに魅力を感じられましたか?
 
―能登谷創
そうですね。僕はもともと千葉の方で里山を中心に整備をする活動に参加していたのですが、そこでは人の生活が見えなかった。
 
―中尾
都会だった?
 
―能登谷創
都会というか、詳しく説明すると長くなるのですが、ダムの代替地だったんです。地元の人もいらないという場所だったので、それを県がどうしたいかという感じで投げられたので、あまり人が入る場所ではなかったんです。ところが、こちらの新潟県に来てからは、近くに田んぼがあって、山があって、それを名人たちのように活用している人たちがいっぱいいて、いろんな世界が見えたのです。田んぼ一つでも、山一つでも。これは本当に勉強できるんじゃないかなと思ったのが、一番の理由です。
 
―中尾
その頃から毎年のように来ていたの?
 
―能登谷創
毎年です。1年に6回。
 
―中尾
へえ。その頃は、来たらまず何をするの?
 
―能登谷創
まずブナを植えさせてもらいました。
高根集落の共有地だった場所に、遠山実さんの案内でブナを植えて、「植えるだけじゃなくて、そこを50年育てないとここは森にならないんだよ」と言われて、じゃあ50年通いますと、口約束の契約をして、まあでもそれが今も続いています。今は学生が来るということはないのですが・・・そこからこの山の下には田んぼがあるということで、田んぼも少し手伝わせてもらったり、そういうような活動で、入らせてもらいました。
だけど、僕たちは東京に住んでいるので、これを東京の暮らしの中でどう活かしていけるのかというのが、学生たちの一つのミッションでした。だけど、そこにものすごい矛盾があって、これは本当に通っているだけで何かができるのだろうかと。しかも学生だから通えても4年ですよね。それって非常に難しくて、曖昧な答えしか出せないなというのが学生時代でした。
 
―中尾
それで、学生が終わって、ここに入ってくるわけですね?
 
―能登谷創
終わってないですね。終わらせました。
 
―中尾
強制的に?(笑)
でも、終わらせてでもこっちに来たかったの?
 
―能登谷創
うん。結局、卒業して、社会に出て、この活動を続けていけるのかというと、それは難しい。せっかくここに縁ができたことを切ってしまうというのはとても寂しい感じだし、非常に無責任だなと思ったのです。じゃあ何ができるかというと、何もできないんですよ。
知ることしかできない。じゃあ、知るために、人に伝えるためにはもっと知らなきゃいけないし、そのためにはどうしなければいけないかというと、少なくともここに住んで、この人たちの一日一日を体に取り入れていかなければいけないんじゃないのかなと思うと、じゃあ大学はいいかと。大学の資格は必要ないなと思ったんです。
 
―中尾
大事なものをこっちに見つけたのね。
それは素敵ですね。
 
―能登谷創
だけど、それを集落の人たちに、俺はそれをしたいから住まわせてくださいというのも、どうも曖昧じゃないですか。
なので、とりあえず、實さんともう一人、栄作さんという田んぼ、農業をやっていた人がお世話をしてくれていたので、僕は栄作さんに「農業をしたいんです」と、建前を言って入れてもらったんです。本当はただ集落に住みたいんだけど、住んでどうするんだといわれるとなかなか答えがだせないので、そういって入らせてもらいました。
 
―中尾
なるほど。それは本気の入り方ですよね。
 
―能登谷創
なので、よく、今でも「お前は農業がやりたかったんだろ?」と言われるんですよ(笑)
 
―中尾
ドキッだね(笑)
でも、農業もやってらっしゃるの?
 
―能登谷創
やってないです。
 
―中尾
へえ、この辺で農業をやってない方もいらっしゃるんですね?
 
―澁澤
生産森林組合と言って、地元に1万㌶近くの共有財産の山があるのですが、それを地元の人たちによって経営して回していこうという生産森林組合に彼は入っているのです。最初は大丈夫かなとみんな思っているし、彼が言ったように何の役にも立たないと思っているのですけど、人間って、特に若い人って不思議でね、身体が変わってくるんですよ。こっちで住む人の身体になってくる。それと同時に彼も自信を持つようになってきて、こっちの生活のリアル感を持てるようになったんだと思います。傍から見ているとびっくりするほど体型が変わりました。
 
―中尾
それはどうですか?実感はありますか?
 
―能登谷創
いやあ、あんまりわからないですね(笑)
 
―中尾
そうか、自分のことはわからないものなのかな。
今もそういうお仕事をしながら暮らしているのですね?
 
―能登谷創
来てからすぐ、栄作さんには農業をやりたいといったんですけど、栄作さんのところも人を雇うのは難しいので、生産森林組合という山の仕事があるから、そこで勤まれば村の人たちも認めてくれるんじゃないかということもあって、そこに勤めて今、14年ですね。
 
―中尾
ねえ~。10年のうちにそれで、お嫁さんをもらうわけですね?
 
―能登谷創
そうですね。
 
―中尾
お嫁さんは東京から来るわけですよね。しかも聞き書きを一緒にやった人なわけですよね。ちょっと聞いていいですか?
それは、どうですか?あきちゃん!!
 
―能登谷愛貴
どうですかって…(笑)
 
―中尾
ここの土地に東京からお嫁に来ようということは…
 
―澁澤
この場所を少し説明しておくと、高根の集落も縄文時代から人が住んでいたところで、縄文時代って1万年以上続くんですよ。今持続可能とはって普通に言われていますけど、1万年というスパンで持続可能を語られている村なんてどこにもないんです。縄文の時代というのは採集ですから、例えば山から木の実や山菜、キノコを採ったり、あるいは動物を獲ったり、そうして自然の中で生きてきた所です。現代は、それにお米だとか野菜だとか人間の手を加えてつくるものを足して、それで生活をつくって行けるところなんです。その意味では東京とはまるで逆のところ。その両方を行ったり来たりしながら、その良さを自分の暮らしや、人生の中にどう活かしていくかということを学生たちはとってもいろんなことで悩み、また考えます。そんな中で、この二人はここの場所に住むことを選んだのです。
 
―中尾
今日はここまで。
高根にお嫁にきたあきちゃんのお話は次回にお届けします。お楽しみに。

★写真は、右端が能登谷創さん、左端が愛貴さんです。

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