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自分を生きるということ

愛犬の散歩のため外に出た。すっかり歳をとった愛犬は外に出たがる割に中々歩こうとしない。 少し歩いたと思ったらすぐに立ち止まって風を感じたり、草むらに顔を突っ込んだり、池の魚を眺めたりしていた。 そんな愛犬と一緒に時間を過ごしていると、自分もいまを感じずにはいられない。 少し痛い日差しや風の心地よさを感じたり、道に列をなして歩く蟻たちを眺めたり。せかせかしている生活から解放されたようだった。 一瞬一瞬を楽しむことを覚え、「過去も未来も頭の中にしかなかった」ということに改めて気づ

    • 今年の目標

      目標と手段 勉強編 1.英語力の向上 →発音の矯正、Writingの向上、TOEIC受験。 →オンライン英会話検討。 →SNSで配信。 2.実装力(プログラミング) →udemyで学習。 →プロダクト(アプリやWebサイト)を作る。 3.算命学 →毎日暗記テスト →毎日鑑定+ブログに掲載 4.論文の閲覧 →習慣化するまで読むだけ。 →習慣化したら、翻訳 5.数学 健康編 1.料理を始める(しばらくは週末のみ) →基本的な料理から始め、徐々に栄養学も学ぶ。 2.

      • 「時は金なり」

        「時は金なり」 この言葉を作った人は天才だと思う。 時間は24時間、平等に与えられる、というが、優秀な人間の30分とそうじゃない人間の30分は、密度がまったく違う。 短時間でどれほど結果が出せるか。 どんなメリットが与えられるか。 それでその人のもつ時間の価値が決まる。 お金の投資と似ている。 どれだけ信用を集めるかが大事。 そして、その時間の投資の方がその人の価値が浮き彫りになるから、もっと残酷だ。

        • 日本人が「個」を追い求めた先のディストピア

          「ワクワクにしたがって、自分が幸せな気持ちでいれば大丈夫!」なんてフレーズが流行ったけれど(そもそも我々は平和ボケしているから大丈夫)、相変わらず戦争は終わらないし、SNSは誰も得しない「いいね!」と自撮りに溢れている。 世界は自分の反映だから、いい加減重い腰を上げて少しずつなおざりにしてきた現象に向き合って、勉強していかないといけないわけだけれど、そうなるのは当分先らしい。 人は無意識にストレスを避けるようにできている。 「ワクワク」を基準にすることは、長年抱えてきた問題を

        自分を生きるということ

          愛するということ

          イエスはなぜユダが裏切ることを知りながら、彼を行かせたのか。 それはイエスが、「ユダはユダの役割をまっとうしているだけ」だと知っていたから。 ユダはユダのシナリオに忠実なだけで、悪いことはしていない。 そして、同時にイエスは、ユダの弱さも愛していたから。 「許されるもの」と「許すもの」がいると思っていたけれど、最初からそんなものはなく、愛はその境界線を無くす。 愛するということは、ひとつになること。 どんな振る舞いをする人がいても、その人はその人の役割をまっとうしているだけ

          愛するということ

          身体の役割

          肉体を通して、いろんな感情を知ることができる。 昔、そっと蓋をした怒りやかなしみ、先祖から引き継いだ傷を、外側の出来事と身体を通して解消することができる。 肉体を通して、本当にいろんな体験をさせてもらった。 それなのに、身体に対してずっとひどいジャッジをしてしまっていた。 「自分の」身体と認識していたけれど、身体は自分のキャラクターの一部ではない。 瞑想していたらよくわかるけれど、思考なしで呼吸は自然に起こる。呼吸だけでなく、消化もそうだ。 身体は身体で私の意志なしで存在して

          身体の役割

          自分を愛するためにすべては起こる

          プロセスがすすみ、身体の症状や人の反応が気ならなくなってきた。 そんな穏やかな日常を送っていた矢先、人間関係でびっくりすることが起きた。 やっと最近起こったトラブルを乗り越えて解決した気になっていたのに、心はわさわさしていた。 「解決したと思っていたことがまた起こる、ということは、なにか自分に課題があるのでは」 そう思って仲村佳織さんのセッションに申し込んだ。 最近の私はエネルギーが軽くて、特に問題はないけれど「セクシュアリティ」が課題らしい。 女性性の解放がなんとなく自分の

          自分を愛するためにすべては起こる

          行っておまえのすべきことをせよ

          コップに注いだ水を眺めたり、口に含んだりすると、「この水と自分の境界線ってどこにあるのだろう」と疑問に思う。 身体が自分ならば、これから取り入れる食べ物も自分ということになる。 ということは、自分と外の世界の境界線は明確ではないわけだ。 水を飲もうとか「あの人と会うのが憂鬱だ」というような思考は、どこから来るのだろう。 ぼーっとしながら、歯ブラシに歯磨き粉をつけるとき、思考なしに動いていたことに気づいて、「この行動はどのタイミングで起こることになっていたのかな」とふと疑問に

          行っておまえのすべきことをせよ

          プロセスの向こう側

          仲村佳織さんのヒーリングを受けてから、プロセスがどんどん進んでいる。 人に嫌な態度を取られたらわりと引きずりやすい性格だったのだけど、今日は「あ、この人はそういう役割を与えられただけなんだ」とスルーすることができた。 もっというと「人に嫌な態度を取られて傷ついた」ことに集中するんじゃなくて、「胸がもやもやしている」という感覚に焦点を当てるようになった。 「あ、胸がもやもやする反応が起きているな」 感覚を意識するようになると、「傷ついた」という思考と切り離すことができる。 そう

          プロセスの向こう側

          自由意志という愛

          人間は頭で6万回独り言を言っているらしい。 そして、その独り言もどこから降ってくるのか分からないまま、影響を受け、行動している。 人の性格というものは、そのとき目にしたその人の言動の一部分を切り取って、切り貼りした決めつけに過ぎない。 そう考えるのならば、自分や他人という境界線はないのではないか。 毎日思考6万回のプールにダイブして、水遊びをしているに過ぎない。 他者の自分に対する評価も、その人にいま降りかかった思考が反映されているに過ぎない。 その人の意志でそれを言っている

          自由意志という愛

          世界は自分

          ここ最近、自分の内側で目まぐるしく変化が起きている。 毎日、中野真作さんの本2冊を読み返している。 何度も何度も読んでいるのに、いつも新鮮で、それでいて懐かしいような矛盾した不思議な思いを丁寧に味わっている。 そのあと、なんとなく久しぶりに「あなたの世界の終わりー「目覚め」とその“あと”のプロセス」を読んでみた。 すると、急に自分の内側にかなしみやせつないような感情が湧いてきて、一瞥体験をした。 自分と世界の境界線が消えた。 「あ、これは私のかなしみじゃない。せかいのか

          世界は自分

          おくりもの

          ここ最近、自分の一部が切り離されたような痛みを伴う別れを経験し、今まで感じたことのない感情がたくさん湧き上がってきた。 別れはいつもつらいけれど、あまりにも苦しいし寂しいから「自分は今まで感情を感じないように生きてきたんだな」としみじみ思うほどだった。 どんなにつらいことがあっても全然泣けない自分が、その人を想うと喪失感で自然と涙が出た。しばらくは自分が自分じゃないみたいだった。 友人に話をきいてもらったり、「今回の別れと今までの別れは何がこんなに違うんだろう」と自分の感情

          おくりもの

          『プロだけが知っている小説の書き方』森沢明夫

          「小説を書いてみたいけれど、なにから始めたらいいのかわからない…」 本書はそんな人にも「ちょっと書いてみようかな」と思わせるような、背中を押してくれる構成になっている。 「ネタの見つけ方」から「プロットのつくりかた」「魅力あるキャラクターの設定法」など、小説を書くうえでぶつかる問題に丁寧に答えてあり、本をめくる手が止まらない。 この本の良さはQ&A形式になっており、質問に2ページ程度で答えているところ。 短く的確な答えが記載されており、さくさく読めて、なによりわかりやすい。

          『プロだけが知っている小説の書き方』森沢明夫

          本音

          私はいわゆるスピリチュアルというものを勉強しているほうだと思う。 勉強している自覚はないけれど、共感することが多い。特にノンデュアリティ。 特別な人なんていなくて、上も下もなくて、引き寄せとかもなくて、ただ全部決まってて、そこに良いとか悪いとかないんだな。 そして、スピリチュアルはふわふわしたようなものに見えるけれど、全然そうではない。 自分の観念や感情を見せつけてくる。 それがネガティブな感情だったりすると、まあきつい。 私にとってLDMやヒーリング、非二元、瞑

          その後

          すべては自動で起こっていて、自分たちは徹底的に受け身。 悟りのプロセスを深めて、しみじみと思うことは、幸福は特別なものではない、ということ。 どこかにゴールがあって、お金や地位や名誉や良い人間関係がいつか自分を幸せにしてくれる。 そんな風に思っていたけれど、それは間違いだった。 本当の幸福や安心感は、いまにある。 相手が攻撃的なことを言ってきたとしても、 「これは自分の中の受け入れられなかった部分が、愛や許しを求めている」 「宇宙の意志が現れているだけで、この人

          すべては自分だった

          会社へ行く前、人格否定してくる上司の顔が浮かんで胃がきゅっと緊張したりするのを感じたが、80%はリラックスして出勤した。 昔だったらぎりぎりまで「会社行きたくないな」と感じていたはずだが、今日は芯から安心に浸っている感じだった。 そして、会社で誰かのひそひそ話が聞こえたとき、昔だったら 「自分のことかもしれない」 と身体が緊張しはじめるのだが、今回は一瞬そんな出来事が起こったものの、 「あ、これはただ起こっているだけだ」 「幻想だし、他人はいないんだ」 と思い出

          すべては自分だった