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Virtual俳句週刊誌『歌想句感』Vol.5 木・金曜号「俳句の力」 俳句上達のヒント

 コンコンちゃ〜!
 俳句系千年狐Vtuberきつネつきです(🤘🏻・ω・)🤘🏻
 Virtual俳句週刊誌『歌想句感』 木・金曜号は、俳句にまつわる内容ということで、今回は俳句の「力」の話をば。






● たった十七音で何が出来るのか

 俳句は五七五、十七音からなる短詩。十七音と言われても、ピンと来ないかもしれませんね。

 はじめまして
 きつネつきと申します

 これで十七音です。挨拶と名乗っただけ、自己紹介の最初の一文しか入らない、これが十七音なのです。
 こんなに短い世界で、一体何が表現できるだろうか?一体何を伝えられるだろうか?皆さんはきっとそう思ったはず。そしてそれは、俳句を作る俳人たちにとっても、永遠のテーマと言えるでしょう。「たった十七音で何が出来るのか」。ある意味それに苦しみながら、そしてそれを楽しみながら、俳人たちは俳句を詠んでいる。
 今回は、十七音しかない俳句で、十七音しかないからこそ出来ること、その力について、僕が思うままに書こうと思います。俳句を始めたばかりの初心者の方へ、俳句上達の一助になれば幸いです。




1.季語の力

 まずは何と言っても「季語」。俳句を詠む上で忘れてはならない存在です。俳句を詠んだことがない方でも、季語は聞いたことがあるでしょう。僕は有季定型(ゆうきていけい)*派ですので、俳句を語るのならば、季語を語らぬわけにはいかないのです。

*季語を含んだ五七五・十七音を基本に俳句を詠むこと。字余り・字足らずも含むが、自由律俳句はこれに含まれない。

 まず第一に、俳句とは「季語を含んだ五七五・十七音の短詩」。しかし、俳句を真に理解するには、これでは不十分だと僕は思います。

 俳句とは
 「季語を主役とした五七五・十七音の短詩」

 こう言いかえるべきではないかと思うのです。俳句において季語は、何よりも重要で主役であるべき存在なのです。
 「随分と季語に対して厚遇するじゃないか」と思ったかもしれませんね。そうです、俳句において季語は、いつも厚遇されるのです。なぜならば季語は、一句の中でそれだけの役割を果たしてくれるからです。「季語といえども、たかが単語一つに何が出来るか」、そう思いますか?ではこの句をご覧下さい。

 ◇線香の煙にあそぶ蝶々かな
           高浜虚子

 俳人・高浜虚子の句です。季語は蝶々(ちょうちょう)で、春の季語。句の描く光景としては、「線香の立ち上る煙に、蝶が戯れて遊ぶよう飛んでいる」といったところでしょうか。季語・蝶々、ただ飛んでるだけで、何も仕事をしてないと思ったそこのあなた、頭が固い!(いきなり大声)

 ……ごめんなさい、解説します。
 蝶々という単語が出れば、当然そこに蝶がいる光景となります。そこから得られる情報は、ただ蝶がいるというだけではありませんよね?……まだ分からない?!さあ!どんどん頭を柔らかくしましょう!
 蝶が飛んでいるということは、季節は春です。春の季語なので当然ですね。さらにもう一つ、普通に考えて、蝶が飛んでいるのはどこでしょうか?そう、外のはずです。家の中を蝶が飛ぶことはまずありません。そんな稀有な状況を詠みたいのなら、きちんと屋内だと分かるように言葉を入れなければいけません。
 そうなると、もう一つの情報を紐解くことが出来ます。「線香」です。この線香はどんな線香でしょうか?線香といえば、大体は二通りが思い浮かぶはず。一つは仏壇の線香、もう一つは墓前の線香。蝶がいることによって、この句の光景は外であることが分かりました。つまり、この線香は墓前のものであると分かりますね。
 以上を踏まえて、もう一度この句を味わってみましょう。

 ◇線香の煙にあそぶ蝶々かな
           高浜虚子

 どうでしょう?見える光景が変わりましたか?
 読み取れる光景をまとめてみましょう。

 春の穏やかな空気の中、家族なのか友人なのか、親しい人のお墓参りにやって来た。お墓参りということは、山のほうにお墓があるかもしれません。暖かな陽気に包まれ、タンポポやアザミ、桜の木もあるかもしれませんね。そんな春の草花が揺れる墓地で、線香に火を着け、墓前に供える。故人との思い出や感謝の気持ちが胸を巡る中、そこへふと蝶が飛んでくる。その蝶は、まるで戯れるかのように、遊んでいるかのように、線香の立ち上る煙の周りを飛び始めた。まるで自分と故人との楽しかった生前の思い出を、体現するかのように。

 こんなところでしょうか。たった十七音から、ここまでの情報が引き出せるわけです。これこそがまさに、季語の力。ただ単に季節感を出すだけにとどまらず、絶大な連想力を持っているのが季語なのです。
 もう一つ、この句には楽しかった思い出のことなど書いてはいません。それなのになぜ、僕はこの句からそう感じたのでしょう?そう、それも季語のはたらき。「蝶」と聞いて、殺伐とした光景を思い浮かべるでしょうか?悲惨な光景が頭を過るでしょうか?全く無いとは言い切れませんが、恐らくは明るい光景が多いのではないかと思います。蝶という、可憐で美しく、そしてどこか儚い存在は、故人との思い出がどのようなものだったのか、象徴しているのではないか?そう思ったわけです。

 さて、季語がいかに重要で、一句の中でどれだけの役割を果たしているのか、お分かり頂けたでしょうか?季語は季節感を出すだけでなく、様々な連想を生み出し、作者の感情さえも代弁する。まさに俳句の主役なのです。




2.季語以外の言葉

 さて、長々と季語について書きましたが、季語以外の言葉はどのように考えればいいのでしょうか?それはズバリ、

 季語が果たせない役割を補うこと

です。逆に言えば、季語が果たしている部分は、もう書く必要がないということ。季節感や連想、作者の感情は、季語がすでにその光景・情報を持っているので、わざわざ書かなくても良いのです。
 先ほどの虚子の句で考えてみましょう。

 ◇線香の煙にあそぶ蝶々かな
           高浜虚子

 この句の場合、「線香の煙にあそぶ」が季語以外の言葉となります。
 季語・蝶々が持つ情報と何一つ重複することなく、必要最低限の光景を伝えているのが分かるでしょうか。もし重複を気にせず光景・情報を余すことなく書いたとすると、どうなるでしょう?

 墓参りで墓前に供えた線香の煙に蝶々が戯れるように飛んでいることよ

 間違いなく伝えたいことは伝わるでしょう。でも、書かれてあること以上の感動や連想は生まれない、読み手が想像する隙を与えない文になっています。書かなければならないことは書く、書かなくていいことは徹底して書かない。そこに読み手の想像や感動の「余白」が生まれ、書かれてある以上の光景・情報を描くことができるのです。虚子の句もそうです。「墓参り」と書かずに「線香」とだけ書いたのは、蝶との季重なりを防ぐため。墓参りは初秋の季語だからです。蝶とあれば外だと分かる。そこで線香とあれば墓前だと分かる。だからわざわざ「墓前の線香」とは書かない。さりげない部分にも、無駄が一切ない。まさに俳句のお手本です。




3.書くべきこと・書かぬべきこと

 最後にもう一度、俳句に書くべきこと・書かぬべきことを簡単にまとめておきましょう。

①書くべきこと
・季語 = 季節感、連想力、作者の感情・主観
・季語以外 = 季語が果たせない役割を補う

②書かぬべきこと
・季語の説明や季語に含まれている情報
・作者の感情・主観

 さあ、あなたも気軽にぜひ一句!




◆きつネつき 今週の一句

 アスパラガス指には指のしなひ方
           きつネつき

 ラジオ『夏井いつきの一句一遊』
 兼題「アスパラガス」水曜日にて読まれました

【解説】
季語 : アスパラガス 晩春
 ヨーロッパ原産のユリ科の多年草。
 独特の風味があるため好みが分かれる。
 スーパーで目にするものは大体20cmほどだが、収穫せずに放置すると2m近くまで伸びる。
 松葉独活(まつばうど)、西洋独活(せいよううど)、おらんだきじかくし、とも。

 「しなふ」は「撓う」と書く。弾力のあるものが折れずに曲がることをいう。みずみずしいアスパラガスはアスパラガスらしく撓う。そのアスパラガスを持つ自分の指にも、指らしい撓い方というものがある。そんなことをふと思い、アスパラガスを手にしている。
 余計なことは書かない。ただアスパラガスを持つ指の光景から、あなたは何を連想しますか?
(収穫してる?包んでいる?洗っている?調理している?)



 今週はここまで!次回もお楽しみに!
 最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(_ _)m



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