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ミイラの布とか

 アドラー心理学界隈の人と会話をしていると、思わぬ自分に気づくことがある。違う、思わぬ形で自分のなかの言語化されていない部分が言葉となって出力可能となるのである。いや違う、そのフレーズが要求にしたがって呼び出されるというのが一番近い感じがする。

 先日、飲み会の席で好きな作家の話になった。今まで口に出したことはなかったのだが、「私の原点はさくらももこと原田宗典」と口をついて出た。たしかに、この2人の作品を通して、自分のライフスタイルを形成したと言えなくもない。

 またパセージのあとのランチで、どんな趣味かとか、どんなものが好きかという話の中で、着物が好きですよねと話を振られた返しに「布だったらなんでも幸せ、なんだったらミイラくるんでる布でも」と口をついて出た。

 この時脳裏に浮かんだのは、エジプトの亜麻布ではなく、アンデスの織物の方だったし、ミイラはエジプトの専売特許じゃないよ、日本にも即身仏あるよ、とか、結局古いものとか死んでるもの好きなのか、メメントモリ?そんなことは聞かれてないのに、とりとめもなく出力された。

 この、呼び出されたものが溢れ出る感覚は、ダムの放水ではなく決壊である。だから話す予定の無いものまで出てくる。壊れたダムは、さっきまでの自分だったのかもしれない。いや、出てきたものが自分なのかもしれない。

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