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G1を2勝の藤岡康太騎手が落馬事故により35歳で死去

今年4月6日の阪神7Rで落馬負傷し、入院療養していた藤岡康太騎手について、4月10日に栗東トレーニングセンターにて、兄の藤岡佑介騎手が無事を願う旨のコメントを寄せていましたが、それも叶わず、4月10日夜7時49分に死去したと、11日にJRAが発表しました。
JRAのレースにおける落馬事故による騎手の死去は、2004年4月の竹本貴志騎手以来20年ぶりとなります。

藤岡康太騎手は1988年12月19日生まれ、滋賀県出身の35歳。
祖父も厩務員を務め、父は藤岡健一調教師、長兄は藤岡佑介騎手という競馬一家に生まれ育ちました。
浜中俊騎手や丸田恭介騎手らと同期となる競馬学校騎手課程23期生として、2007年3月に栗東:宮徹厩舎所属としてデビューし、3月3日の中京1Rでヤマニンプロローグに騎乗し、初騎乗初勝利を挙げました。
騎手としては比較的長身な身長169cmの体躯と、兄の佑介騎手とは対照的な(?)イケメンで、自身のシンボルカラーのピンクのソックスが特徴的な騎手でした。
2009年3月のG3ファルコンステークスで重賞初制覇を果たし、4月6日時点で通算803勝を挙げていました。

キャリア最大のハイライトとして、2度のJRAのG1制覇が挙げられます。
デビュー3年目の2009年のG1NHKマイルカップでは、単勝10番人気の低評価だったジョーカプチーノに騎乗し、20歳で同期一番乗りのG1初制覇を果たしました。
昨年2023年のG1マイルチャンピオンシップでは、当初騎乗予定だったライアン・ムーア騎手が当日に負傷したことにより、急遽ナミュールに騎乗し、大外一気の末脚を引き出し、自身14年ぶりのG1制覇を果たしています。

わたしと1歳年下という年齢の近さからより身近に見てきた康太騎手ですが、わたしがG1制覇以外でハイライトとして挙げたいのが、2018年のG2神戸新聞杯。
同年のG1日本ダービーを優勝したワグネリアンの秋の始動戦として注目を集め、当初は福永祐一騎手(現調教師)が騎乗予定も負傷のため、急遽康太騎手に白羽の矢が立ちました。
代打騎乗の重圧に負けずに勝利を収め、康太騎手自身もJRA通算500勝を挙げたことで尚更の印象が残っています。

2018年9月23日、阪神競馬場G2神戸新聞杯にて藤岡康太騎手はJRA通算500勝を達成

競馬関係者の間では、2021年のG2京都大賞典にて、2016年の日本ダービー馬のマカヒキを久々の勝利に導いて喝采されたことも印象深いレースとして挙げられています。

今年2024年の康太騎手は、キャリアハイのペースで勝利を重ね、3月にはJRA通算800勝を達成しており、40歳前後での1000勝達成も期待させるところまで来ていたのです。
G1勝利の実績もありながら、更なる伸びしろさえ感じさせていただけに、あまりにも残念な訃報となりました。

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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