初々しい文章?
初めてお会いした方から「note見ました。」とありがたいことによく言って頂きます。
その中でも、以前初めてお会いした歳上の方も自己紹介のnoteを読んで下さったうえで来てくださいました。その方はSNSをチェックしてる方とは思わなかったので会う前に調べてくださったんだなと思い、とても嬉しかったです。
その方には続け様に、「あのnote、初々しい文章ですね。」と言われたんです。
そりゃ、4年前の2018年に書いたnoteなので「初々しい」という言葉が適切なのは理解してますが、それを言われた僕はおそらく顔が引きつってたと思います。「初々しい」と表現してくれているnoteは本当に「初々しい」のか?
まあ、それを調べたくても最近はもう恥ずかしくて見返せない…
このnoteを始めるうちの一つに「初々しい?」noteを見返そう。ということをやりたいなと思っていました。
この後、読み返していくのですが、とてつもなく恥ずかしくなりました。
こんにちは。
木内です。
前回の佐渡島さんの本についての記事を読んで下さった方はありがとうございました!
最初にこの記事を書こうと思っていましたが、佐渡島さんのおかげで自分と向き合う時間を過ごす事ができ、今一度自己紹介という事で書いていこうと思います。
今回はお会いする方によく「どういう経緯で幻冬舎に入ったんですか?」とよく聞かれるのでその経緯を中心に書いていけたらと思います。
懐かしい〜。
『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE. ~現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ~』が出た時に佐渡島さんから本の感想noteを書いて欲しいと言われた後にこのnoteを書こうとなったんですよね。
元々は自己紹介noteを書こうと思っていたのを覚えています。
そして、今でも「どういう経緯で幻冬舎に入ったんですか?」とはよく聞かれます。
……
これ以上先にいって一気に恥ずかしくなり、数日置きました。
なんでこれ始めたんだろう。。
頑張ります。
755との出会い
まず、最近の僕の話を語るには外せないのは755の存在です。
755のユーザーネームはきゅーちゃんという名前でやっていました。
何故かと言われると現実世界でも呼ばれた事のないあだ名でやりたいなと思っていた時に言いやすいきゅーちゃんという名前が良いなと考えてその名前で755を始めました。
そして始めたキッカケですが、みなさんの中にも記憶の片隅にかもしれません。
「AKB48とも話せる時代になった。」
このCMを見たことがある方は多いかもしれません。
僕はこのCMにまんまとやられて面白そうだなと思って755をインストールしました。笑
そう、755を始めたキッカケはアイドルが好きだったからです。
AKBを好きにならなければ見城さんとも出会わず、今の自分はないでしょう。
今は755という存在を知ってる人も少ないかと思いますが、当時はAKBや乃木坂、LDHグループの方々がCMでよく流れていました。
4年以上経ちますが、ここにも書いてあるように755を始めなければ今の自分になっていないでしょう。
見城さんとの出会い
AKBとの出会いにより755を始めて2ヶ月が経ち、家に録画してあった「成功の遺伝史」という番組を見ていると755でよく見かけた方がテレビに出ている。
それが、見城さんでした。
最初はミーハー心でやじコメ(いわゆるリプライ)をしてみました。すると、
見城さんはきたやじコメに対して全て返すというポリシーのもと僕のやじコメを返してくれたのですが、この見城さんの誠意に惚れ見城さんのトークを見続けることになりました。
この時点では先程も言ったように見城さんを知る事すらなかったので今までに感じたことの無い心に突きつけられる文章に驚きの連続でした。
僕の中では一般のユーザーのコメントを返すという事自体が非常に衝撃的で、それに加えて内容がとても濃い。
こんなSNS体験したことないぞ!と毎日足蹴に見城さんのトークルームに通っていました。
見城さんの755を見始めて4年が経ち、見城さんが紹介していた湯治場ルフロというお店に行ってみようと思い、行ったタイミングで見城さんとまさかの遭遇。
まさかのまさか。本当に偶然なんです。
それから見城さんにお誘いを頂き、幻冬舎のアルバイトとして箕輪さんの下で働く事となりました。
「成功の遺伝史」を見ていた時の自分は、ダメな大学生の典型で、授業のない日に家でダラダラしてたまたま録画されたいた番組が「成功の遺伝史」でした。
そこからは書いてあるように755を見る生活が始まり、見城さんが良いと言った本、映画、舞台、飲食店など行けるものは行ったりする約50歳も上の人の追っかけ的なことをしてました。
今考えたらすごい行動力ですよ、木内くん。
その後に書いてある「偶然、ルフロで会った」というところですが、本当によく誤解されます。
755を始めた時は見城さんを存じ上げてないし、755で就職が決まるなんて思って始めていません。
755と現実世界は別世界だと思っていたので、見城さんに会うなんてことは考えたこともないです。
だからこそ、そんな別世界の人が行った、観た、読んだと言われると追ってしまいたくなったんですよね。
だから、ルフロという施設も見城さんに会うためではなく、見城さんを感じるために行った訳なんです。
加えて言うと、見城さんは日々の生活の一片を755に書いてくれたりします。
そうすると、見城さんの行動が分かってしまったりします。
当時、見城さんはルフロによく行っていました。行ったら755に投稿しているので分かっちゃうんです。笑
先ほども書いたように別世界の人だと思っているので会う訳にはいかないと思っていました。
だから、行った日はいつも行ってない曜日を選んで行きました。
それくらい考えて行動していました。
まあ結果、来ないと思っていたその日に会うことができたんですが。
そこからは大学生のガキンチョに丁寧に会話をして下さったことを覚えています。
そしてその約一ヶ月後に幻冬舎に入れて頂きました。
すごい事ですよ、本当に。笑
幻冬舎に入ってからは箕輪さんのもとで働くことになり、いま現在も箕輪さんのサポート的なことをさせて頂いてます。
755とは見城徹である。
3年前の19歳の頃、見城さんのトークに出会い見城さんの投稿する文章に寄り添い物事を考えているだけで自己と向き合う時間を与えてくれていました。そして、絞り出した拙い文章を書き続けて自己研鑽し続けていました。
見城さんがよく仰る、
自己嫌悪
自己否定
自己検証
これを日々、七転八倒しながら見城さんと向き合い、自分と向き合っていました。
何故、755というSNSがあまり知られていない中で深い熱狂が生まれているかというと『たった一人の熱狂』という本が丸々一冊出来てしまう程、圧倒的に濃度の高い文章を無料で読む事が出来て、濃密な投稿をする見城さんと交流が出来てしまうという事です。
(これから、新しく『読書という荒野』も出版されます。)
僕はその素晴らしいコンテンツをこの3年間使い続けて今があります。
見城さんが755に居なければ755は成立しないでしょう。また、見城さんが755に居なければ今の僕はありません。
755とは見城徹であり、755とは熱狂の渦なのです。
19歳で始めた僕は22歳で幻冬舎に入らせて頂きました。
見城さんとの出会いや箕輪さんとの出会いがあるのは755のおかげです。
是非、皆さんもあの熱狂の渦を覗いてみて下さい。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます!
もし、このnoteを読んで興味を持って下さる方がいらしたらTwitterでツイートかDMを頂けるととても嬉しいです…!
箕輪さんの後輩として箕輪さんの仕事を近くで見ている1人として色々お話しできる事があると思います。
記事への寄稿や取材などお仕事もお待ちしてます!是非、宜しくお願い致します。
お話聞いてみたい方などもいらしたら是非ご連絡ください。
よろしくお願いします。
木内旭洋
755というのは他のSNSとは違って、人と人の距離が近いと感じます。
それは、今も昔も見城さんの強い部分もセンチメンタルな部分も含めて内面を曝け出しているからです。
今も変わらないのは755があるのは見城さんがいるからという気持ちです。
今回読み返しても考えはあんまり変わっていませんでした。
最後の文章は生意気ですね。笑
それでも、たまにnoteを読んでDMをくれる方がいるのは本当に嬉しい限りです。
ようやく、終わった…
最後まで読み返してみたけど、今も考えは変わらないし、初々しい文章だったのかもはやよくわかりません。
でも、確かに今だったら同じような文章を書いてくれと言われたら書けるか自信がありません。笑
そう考えると、初々しいのいかな。
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