2022年が終わる

二週間前祖父が死んだ。
最愛の人だった。
自分の中で起きた今までの感情の波は、文字にすることで忘れることができていたのに、今回だけは普段よりも引きずっている気がする。
気がするだけで繊細な私の感情は
波に飲み込まれるのが得意な私の情緒は、毎回似たようなこと思っているだけなのかも。

とにかく最愛がいない今をまだ受け入れた気になっているだけで、1人になるとどうしたらいいかわからなくなる。
10月に転職して二ヶ月今の仕事が頭を使うことにひたすら感謝して今日に至る。

そして年末。
今は帰省の新幹線の中。
もうすぐ地元の県境に差し掛かるところで、アランの幸福論を読む中で自分も最近自分の感情を文字にしていないことに気付かされた。

文字にする価値はずっと知っていたはずなのに、価値に気づく時はそれをしていない。

最愛の祖父へ
どうやったらあなたの喪失を受け入れられるのかまだわからない。
あれから二週間経った今朝、起きた時に思ったのは帰りたくないという感情だった。

1度目は儀式だから、正直あなたの体の前にいるのにあなただと認識していなかった。だって起き上がってくれないまま冷たい扉が静かに閉じていくだけだったから。
でも今日は2度目。骨になった事実から逃げられない。

あなたとあなたの妻が死んだらもう実家に帰ることはないと決めてたけど、あなた1人だけでも受け入れられていないから既に前倒して逃げたい。
どうしてとは思わない。
でも生きている人たちを見ているのが、私が無理にしている事実に疲れた。

今までにもらったものの喪失による寂しさに変わる何かは二週間では生まれない。
もっと時間が必要だと思う。
自分以外のものに対してまだ無理をすることでしか笑顔でいられない。
薄情でごめんなさい。

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