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観劇記録|『鬼より怖い』

演芸列車「東西本線」
『鬼より怖い』

2022年4月24日(日)14時00分の回
at 金沢21世紀美術館 シアター21 後方中央より観劇

数年前に上演予定だったが、コロナ禍対応のため、今年にズレ込み、ようやく上演に至った本作品。「げきみる上演作より、こちらの方が東西本線らしい作品」「こちらのストレートな作品を観て頂いた上で、げきみる作品を観て居らう予定だった」という話も聴いた。
作品のあらすじから、私好みの作品の気配、予感がする、ということで、純粋に観劇する楽しみを持って本作品を観劇した。


ストーリー

母・夏子が亡くなってから1年。その法要、1周忌を前に父・善治(伊藤憲二)から「話があるから、法要の何日か前にお前たちに集まって欲しい」と電話がかかってくる。
日時を決めようとする善治だが、長男・孝志(東川清文)と次男・秀嗣(春海圭佑)とのやりとりがおぼつかなくなっていく。孝志と秀嗣は、お互いに自分を優先することしか考えていないと誤解し、善治が日取りを覚えて伝えることすらもおぼつかなくなっていることに気が付いていない様子であった。
孝志は妻と2人の子供と家のローンを抱えながら離れて暮らしている。秀嗣は再婚した妻・樹里と共に家を出ており、タピオカ屋事業に失敗した後の金策をしながら次の事業を起こそうと画策している。三男・慎吾(西本浩明)は就職した会社を2年で辞め、そのまま仕事もせず善治と暮している。
そんな3人が集められ、善治は「同居をして自分の面倒を看てくれる者には貯めている2000万円を渡す」と宣言した。
お金が必要な秀嗣はすぐに立候補し、2000万円をどう使うか考えはじめる。慎吾は自分は善治の条件もあり、面倒を看るとしても看ないとしても働かなければならず支度金としていくらか必要だと主張する。それを見ていた孝志だったが、自分にもお金が必要だと言い始め、誰が面倒を看るか(というよりは誰が2000万円を貰うか)という議論が白熱していった。
その内、席を外していた善治が戻ってくるが、「もう集まっていたのか。話があるんだ。面倒を看てくれたら2000万円を渡す」と、既に伝えられたことを繰り返し告げられる。それを息をのんで見る3人。
また善治は席を外すが、認知症が進行し始めているのではないか、という疑いが持ち上がる。そういったことは知らなかった、知っていたのに隠していたのではないかと詰め寄られる慎吾。慎吾も気が付かなかったと主張する。
認知症の疑いを知った3人は、それを踏まえた上でも善治の面倒を看られるのか、という議論を再開したが、結論は出ず、話は平行線のまま時間が過ぎていった。
口論になる3人の声を制するように戻ってくる善治。父の意見も聴きたいと言われ、考えを伝える善治。それをしてもなお、話は平行線を辿り、次第に論点が変化していく。自分の面倒を看てくれるという話が次第に切り替わっていくことに善治はついていけなくなる。3人の息子が何を考えているのかわからず、どの息子も自分の思ったように、恥ずかしくない人間として育っていなかった、育てられなかったことに次第に息子たちへの思いも、顔などの認識も曖昧になっていく。それは自分の立っている足元が、関係性が崩れていくように思う理由であり、息子たちだと思っていても顔が認識できなくなるような世界を生きているようでもあった。
「しっかりと覚えている、ノートに書いている」と、息子の生年月日を読み上げていく善治。妻・夏子が死んだ日のこともノートに書かれており、書き記した文章を丁寧になぞっていく。
文章から、その時の息子たちの様子などを思い返し、その時になって初めて知った息子の内面や表情にも気が付き、少しずつ息子たちの顔も思い出していく。
その後、また話し合いを始める3人。そこで、それまでお金が要る理由を話そうとしなかった孝志が、「事故を起こし、ある老人の足に後遺症を負わせてしまった。老人は自分のせいだと認めているが、慰謝料を払い続けている」ということを打ち明ける。それに激昂した善治は孝志を殴ってしまう。殴られた孝志は、希望の進路を打ち明けた時も同じように殴られたと言い、それを聞いた秀嗣は、孝志にもそんな部分があったのか、と初めて知った事実に少し心を開く兆しが見えたのだった。
3人で話し合いをする、と善治を残し居間を出ていく息子たち。戻ってきた時には、結論を出した、と3人のこれからと父の面倒をどうするかを伝える孝志。2000万は善治のために使って欲しい、自分たちは同居はせず、父のことを看ていく、そして、一緒に病院に行って診断をして貰ってほしいと伝える。それぞれの事情と折り合いをつけつつも、これからどう生きていくのか、父と関わっていくのかを決めた3人。それに頷く善治。
今日はせっかくだから泊まり、3人で話をする、と、買い出しに行く息子たち。出掛け際に、入院中の母に「お父さんをよろしくね」と言われたことを伝える慎吾。「俺が言う台詞だった」と返す善治。3人が出て行った後、善治は写真立てを相手に不器用に身体を揺らしてリズムをとる。それは、一緒に習いに行こうと夏子に誘われたことを思い返した善治なりの思いだったのかもしれない。

しっかり記憶できていなかったため、ストーリーの時系列が前後している可能性がありますこと、ご了承いただければ幸いです


作品全体の感想

げきみるで上演された4本立ての「東西本線演芸ショー」とはまた違った趣向で、こちらはストレートに作り上げられた強度の高い作品だと感じた。
観る人の立場、状況、環境によって賛否両論が生まれる作品だと感じたが、コンセプトとして、

本作においては皆様が観終わった後でこのテーマについて一緒に来た方と話し合ってみたり、今度の休みに実家に電話したりといった形で何かが残れば万々歳です。

公演パンフレット「演出ノート」より

とあるので、十分に本作は役割を果たしていると感じた。感想として、一緒に観劇した人と話した内容、個人の感想を書き留めておく。

個人的には、既にこの問題は少なくとも私と配偶者である人との間で決着がついているため、刺さららなかった。同じように、同居しているがどうするかという事について決めている家族や、既に解決してしまっている人たちにとっては、過去のものとして、映るように感じた。(もちろんこの点も折り込み済みだろうと考えられる)

また、同じく観劇した人の意見としては、「ラストはハッピーエンドだと思う。絶対に同居は幸せにはならない。」というものがあった。高齢者と多く触れ合い、仕事をし、実際の現実を見ている人からの感想には力強いものがあった。

私は、「介護」や「認知症」という視点では感情移入や共感があまりできず、3人の息子の成長を見守る視点で観劇した。自分自身にまだ身近な問題として感じられない、まだ他人事だと思っている、既に対策を取っているから問題に感じていない、という人の視点だろうと思っている。そういう人にとっても、3人の誰かに感情移入、共感しながら見る道があるのは親切に感じた。
そういう点では、結末はどうであれ、3人がこれからどうしていくか、父の面倒をどうするかという点に答えを出したのが良かった。(3人とも偉い)
ちなみに私は息子3人にとってはハッピーエンドかもしれないが、善治にとってはハッピーエンドではないような感じがした。
口では何とでも言っていても、本心としては誰かに看て貰いたかったかもしれないし、3人は外へ買い物に行った(=現実の世界)のに対し、家に残った善治は、多分妻の写真立てと自分がこうじゃないかと想像するダンスを自分なりに踊ってみようとする(=空想の世界、妻の居る世界)という点が、3人とは世界を隔ててしまうような示唆に感じた。だからと言って、善治が不幸になるのかと言われればそうとは言い切れず、妻への思いや息子たちの今の姿を感じ、認知のゆがみが大きくなっていくとしてもそれはそれで幸せなのではないかという気もした。

割と義理の母は現実的に施設に入れて欲しいという考えであり、逆に義理の父は最後まで家で過ごしたいと言うだろうという認識もあり、他者優先か、自分優先かの考え方でも違うかもしれないと感じた。(姑の老後で苦労した人は、自分はこういう迷惑をかけたくないとして、すぐに施設に入れて欲しいと願うのをよく聞く、という話も挙がった)

演出が、演じ手が、という話題よりも先に、作品からどう感じたか、どう見えたか、ということを話せる作品であったというのはとてもストレスが無く、面白く感じた。演出としても、善治が見えている、感じている世界を、足元の舞台セットを分断させることで表現したり、息子たちの顔が認識できなくなるのを仮面をつけた表現にするのは面白くもあり、わかりやすくもあった。照明の足元に木々を映す演出も、4人が話し合う居間の客席側がどんな景色で、何があるのかを想像させてくれ、空間を広く感じた。カットインで入る暗転も、衝撃や善治視点への切り替わりを感じさせ、ドキッとした。げきみるで『機械』を観劇していたこともあり、最後にはすべて善治の世界に巻き込まれてしまったり、どんでん返しがあったりするかもしれないと構えていたが、しっかり結論を出す所に着地して安心した。音楽等も最低限しか使っていなかったが、それでも最後まで持っていける役者の力量と演出が良かった。

ストーリーを書いていて気が付いたが、似ているシーンなのか展開が似ているのか、時系列がしっかりと思い出せなかった。特に後半、善治がノートを読み上げながらの世界に入っていく前くらいから記憶が曖昧で、集中力が無くなっていった。兄弟が口論するシーンは、どういった作品でも見るのに体力が要り、何回か繰り返されると見ていて疲れてしまった。静かな作品ではあったが、台詞の多くに人物の意図や動機、それから演出が含まれており、作品強度やテンションの高さを感じた。


お芝居/役者について

冒頭のシーンから、実家に3人の息子が揃うまでで、兄弟の違い(長男、次男、三男)、立ち位置、実家への関わり方等が明確に分かり、世界観に入りやすかった。お芝居全体をみても、違和感を感じる点が少なく、最後まで演じ手のことを気にせず観ることができた。

東西のおふたりのお芝居を観た時に、金沢の俳優さんのレベルの高さに驚いた。今回は東西さんの他にも役者さんを見ることができたが、そうホイホイ東西さんレベルの役者さんが居たら困るなぁと思っていたが、あっさりこのお芝居を操る役者さんが出てきてしまい膝から崩れ落ちた。

この作品の中で、兄弟の差別化ができるかどうかで見やすさや感情移入の度合いなどが随分変わりそうだなという印象を受けた。

善治(父)の穏やかな時と激昂する時の乱高下の仕方がすんなり見られ、怒るところは本当にこのまま倒れてしまうのではないかとすら思わされた。息の付き方、忘れた時の間などの説得力があった。最後、ノートを見ながら妻のことを話したりする際、長台詞が続く所で、若いなと感じる箇所がいくつかあり、多少違和感だった。演出として、妻とのことを話していたりするので、父という立場ではなく、夫や男としての立場で話しかけているという感じで違いを出していたのかなと思ったが、個人的には若く感じすぎて違う人の様に見える瞬間もあった。ラストの写真立てと踊るシーンの不器用さがとても素敵だった。

孝志(長男)は演じている東川さんの良さや持ち味を生かした感じで、あのような孝志になったのかなと思った。実家との距離感の遠さや、関係性の希薄さなどが分かりやすかった。全体的に、秀嗣(次男)の方が目立った印象に感じ、控えめであっても、長男長女特有の「何もしなくても、先に生まれただけで偉い。兄弟姉妹のヒエラルキーの頂点に生きているだけで君臨している。絶対に下の兄弟姉妹は従うべし。」(※長女の感覚です)というような感じがあれば良かったと思った。「自分は今までわがままを言ったことがなかったから今回は優先してくれ」というシーンも、譲ってほしい、といいつつも、「お前ら当然譲るだろ」という意識が内面にあって見えても良かったような気がした。

秀嗣(次男)は難しい立ち位置のところをとても分かりやすく見ることができた。孝志が殴られて、美術系の学校に行きたいと言ったことがあったのを知った秀嗣の台詞、シーンが好きだった。全体を通しても気になる所が無く、安心感を持って見ていられた。どうしても秀嗣の方が客席向って前に立つことが多かったせいか、孝志よりも印象が強くなったり、強く見えたりするところがあった。孝志>秀嗣という力関係があるのであれば、その感じがもう少し見えても良かったと感じた。秀嗣の劣等感が勉強ができる、できない、仕事がうまくいっている、いっていないの他にあったり、絡めてもう一つ見えるものがあっても良かったような気がした。(別に3人の関係性や成長をメインにしているわけではないと思うので、作品的にはこの程度のバランスが良かったのだろうとも思っている。)

慎吾(三男)は入ってきた感じ、受け答えの所だけで三男という立ち位置の説得力が凄いと感じた。上手いこと立ち回り、兄ふたりの優勢を見極めながら味方についたり裏切ったりする部分も、そういった生き方をしてきたという感じがでて面白かった。慎吾だけではないが、会話の応酬をするところで、台詞の入りがクイック過ぎるなと思う点が何箇所かあった。感情的にはそのような感じだと思うが、その強さやスピードのままでるのだろうか、と一瞬考える時間があった。全然関係ないが、従兄のお兄ちゃんに風貌が似ていたので2度見してしまいそうだった。あと、斜め前に座っていた人がめちゃくちゃ役者さんに似ていらっしゃったので、ご家族の方かと思ってとても気になっていた。


まとめ

制作、広報的な点についても終演後にお話を伺ったが、作品テーマに絡めたブックマーケットや、宣伝媒体と購読層に本作のテーマがしっかりハマり動員に繋がったというのはとても素晴らしいと思った。結果オーライだったのかもしれないが、ビフォートークも含め、作品と公演全体がコーディネートされていて、方向性とコンセプトが地に足がついていると感じた。

個人的に、演劇を通して何かを訴える的なものは好みではないが(今作が訴えていたのかは分からないが)、このようにしっかりとコンセプト化されていたり、作品としての強度、面白さ、納得できるものがあれば、テーマやコンセプトはどうであれ、普通にひとつのお芝居、舞台、作品として見られるので良かった。



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