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観劇記録|『パ・ド・ドゥ』

福井で演劇をしておられる、四折さんの演劇企画、しおり演劇企画さんの公演を観てきました。演劇をやりたい、と思って、ひとりから人を集めて公演をするって本当に凄いし、羨ましい。その都度人を集めて解散してを繰り返していくのかもしれないけれど、それでも続いていく気がするのは四折さんの人気とか人柄なんだろうなと思っています。そんな人、役者になりたい。

公演場所も、旧森田銀行さんという場所で、四折さんにゆかりのある場所なんだとか。この場所の雰囲気を生かせる演出や演目っていいなと思いました。劇場以外の場所でやるなら、やっぱりその意味が私にはほしいと思ってしまいます。

しおり演劇企画
『パ・ド・ドゥ』
作   | 飯島早苗
演 出 | 睫唯幸
出 演 | 四折貴之  坂本☆ユキ枝
at 旧森田銀行本店
2023年8月19日(土)19:30開演
下手最後列より観劇


あらすじ

弁護士である名塚憲治(四折貴之)がやってきた、拘置所の接見室。そこで待っていたのは、名塚の元妻で、現被告人。日向草子(坂本☆ユキ枝)だった。草子の現恋人を部屋のベランダから突き落としたとのことで、拘留されているのだった。

自分の弁護を依頼する草子に、しぶしぶ依頼を引き受けることにした名塚。草子の証言を聞き、裁判に臨むのだが、そこで名塚が聞いたのは、草子の証言にはなかった事柄だった。

接見室を再び訪れる名塚。もちろん知らなかった情報に対して憤るが、草子は何食わぬ顔で、本当のことをちゃんと言う、と証言を始める。本当にそれを信じても良いのかと聞き返したりするが、名塚はいまいち草子を信用しきれない。そして、次々に知らされる証言に翻弄される。
少しずつ本当の事実に近づいて行くが、草子がなぜ自分に弁護を頼んだのか、その理由ははっきりとしないままだった。

ふたりの関係も曖昧な中、草子が名塚になぜ自分と結婚したのかと問いかける。名塚は、草子が好きだったからと答えた。草子は名塚のことを支えたり、頼られたりできなかったことを気にしていたが、名塚が自分のことを好きだったと知り全てを話すことを決める。

草子自身が購入した指輪を、恋人からもらったと言い張っていた草子。裁判ではウイークポイントになる。草子と言葉を交わし、距離が近づいた名塚は、その交流履歴の抹消を依頼し、裁判に臨むことにした。ベランダから落ちた草子の恋人は未だ意識不明だが、いつ意識が戻るかもわからない。そんな中、ふたりは裁判に臨むのだった。


挑戦的な、見えない壁と戦う演出


拘置所というと、どうしても隔たられているイメージがある。フライヤーにも描かれていたが、日本の拘置所はアクリル板などで隔たりがあって、接見も直接は触れることができない場所になっている。海外の拘置所では、危険度などによって、仕切りがある接見室、面会室であったり、テーブルと椅子がある部屋で、弁護人と直接触れたりできるところもあったりする。(日本弁護士連合会 サイト内報告資料より閲覧可)

色々な所で上演されている本作品。ヘロヘロQカンパニーでは、テーブルと椅子がある接見室で、より自由度の高い演出や舞台をつくっている。(https://heroq.com/archives/50/

演出として、色々なイメージがあると思うが、ドラマや映画、ゲームなどでは日本の接見室、アクリル板などで仕切られた部屋をイメージする人が多いと思う。そのイメージを持っている、という前提で、どうこの接見室を描き、演出するかというのは腕の見せどころでもあるなと感じた。

旧森田銀行さんの1階。レトロな扉、ガラス、照明が夜の雰囲気もあいまって、幻想的な空気感を保っている。背もたれの無い丸い木の椅子が上手と下手にそれぞれ1脚ずつ置いてある。距離は適度に保たれており、その間に、長机やテーブル、仕切りがあってもおかしくはない距離感である。

上手側(舞台向って右側)から、弁護士が出入りし、草子は下手側、すりガラスの扉から出入りする。この扉の素材、デザインの違いも、拘置所の中に繋がっているのか、外に繋がっているのかという違いが見えて面白かった。

最初は日本の接見室、アクリル板などで仕切られているイメージを前提に、観ている人の中にあるものとして役者間の距離が保たれていた。
向かい合って座るので、横顔を見る機会が多い。自分も同様の題材の作品を演じたことがあるが、正面と側面の両方に意識を飛ばす、というのがなかなかの難易度だった。意識があるかないかで、観やすさが違うと思っている。

下手側に座ると、弁護人(四折さん)の表情がよく見え、上手側に座ると草子(坂本さん)の表情がよく見える。座る場所からどちらがよく見えるかわかれば、より見たいところを注目して観られるなと思った。公演が2回しかない上に、客席数も少なかったので、複数回観て見えるものが違うというのを体験するのにはちょっと向いていないかなと思った。千穐楽の立ち見チケットはよいなと思った。

話が進み、弁護人の感情やふたりの距離感が近づいてくると、お互いに触れたり、触れられるところまで近づくという場面が多々あった。
どうしても、
「接見室=アクリル板で仕切られている部屋」
というイメージが強かったので、その後、距離を詰めて話したり、動き回るシーンにはとても違和感があった。この接見室をどういう風に扱っているのか?というのが気になって、ほぼ最後の方までそれが気になってしまった。
心の距離感が近づいて行くにつれ、物理的な距離、物(仕切りなど)を飛び越えてお互いが近づいている、というような演出だったと思うのだけれど、なかなかそれで自分を納得させるというのが難しかった。(やりたいことは理解できていると思う)

特に、途中で弁護士の名塚が書類を叩きつけたりするシーンがあるのだが、そのシーンがかなり唐突に思えた。感情の大きさから物理的距離を飛び越えた感はよくわかったが、急に接近しすぎだろうという印象の方が強く、違和感があった。
最初の距離を取っているシーンから、例えば、書類の受け渡しでも、直接渡すのではなく、どこかにおいてそれをもう一方が受け取る、間接的に接している……椅子取りゲームのように、空いた椅子に座ったりする、というようなイメージの移り変わりを緩やかにして行って、直接紙のやりとりや接触に移っていったら、多少イメージが違ったかもしれないと思った。草子は触ろうとするが、名塚はそれをかわすなど、関係性と距離感の違いを表現するという方法もあったかもしれないと思った。

ただ、この力技のような空間演出、関係性の演出はとても挑戦的で面白いなと思った。その力強さで、「そういう場所で、空間です!!」という風に観ている人に納得させられる力もあったんじゃないかと思った。

逆に、手などが触れられるような仕切りが間にあり、手の接触や身体と身体の距離感などで演出することもで、難しいけれどできないわけではないかもしれないなぁと思った。それはそれで大人の関係性やお芝居、という風に魅せることもでき、面白かったかもしれない。


もう一歩深く、潜り込むこと


今回のキャストさんのバランスや力関係がとてもいいなと思った。お互いに、きちんと力量があり、どちらかが弱い、というようなバランスの悪さが無く、安心して観られた。そういった役者さんに客演して貰えるという、企画の四折さんの腕だなと思った。

そんなバランスの良い、地力もきっちりある役者さん同士だからこそ、もう一歩深いところに潜ったお芝居をすることができれば、より観ている人を惹きつけられるだろうなと思った。

十分今の作品でも面白く最後まで観られたけれど、より印象深く、登場人物の人間を魅せる、という意味では、最初から最後までキャラクターに硬さがあったかなと思った。

緊張している、動きが硬い、という部分ではなく、表現の広がりや、奥行き、繊細さ、というところだと思っている。どちらのキャラクターもそれぞれの役やキャラクターに見えない壁があるというか、「そう見せている」という限界の外側、という感じがしている。それを越えた表現や音色、つまり、キャラクターがそう行動する、台詞を言葉を発する意図をもう一歩踏み込んで発してほしいなという気持ちもあった。

相手をどうしたいのかという意図(裏)があってこの言葉が出る、相手をどうしたいという欲や願いや渇望が見えたらもっと人間が面白くなったと思う。
そういった意図の元に草子は名塚を呼び、引き留め、翻弄し、自分を見てほしいと行動する。その根底は、最後に明かされることになるが、そこに辿り着く前に、観ている方が「あぁ、草子は単にみてほしいだけなのだ」という思いに気付き、気付いた瞬間に草子の気持ちに寄り添い(あるいは、反発し)、最後それが明かされる瞬間に、観ている方の気持ちが決壊する、という感じになったら観ている方の心も揺さぶられるんじゃないかなと思った。

もちろん、今の表現でも私には伝わっているのだけれど、ストーリーの展開や、世の中の女性像のひとつ、みたいな所からの経験などから導き出されている側面もある。それをどの段階でお客さんに気付いてもらうか、というのは演出でもあると思うけれど、お芝居をつくる中で、決定的に「そうだ」と確信して行動するポイントがあるんじゃないかと思う。最初からかもしれないし、どこかの台詞がきっかけかもしれない。そういうポイントを決めておくとお芝居もしやすくなる、と自分では思っている。

名塚も、弁護士、という風貌としては若干異端ではないかと思わせる風貌が、これは単に裁判の判決を争う物語ではないんだろうな、という先を予想させる。(良い意味で)

最初はもちろん弁護士として登場するのだが、それが、どこかのポイントから「弁護士→元夫→男」という風に、立ち位置が微妙に変化していくのではないかなと思った。もちろん、最初から最後まで「弁護士」という立ち位置で成立もするかもしれないが、最後の「指輪の購入履歴を抹消する」という行動に出るには、弁護士という立場がメインではちょっと成立しないかなと思う。
もちろん、もちろんのこと、今の表現でも伝わるけれど、受け手の想像力でカバーしている部分もあると思う。
だから、どこかの部分で、弁護士から元夫であり、ひとりの男性として裁判に臨む(もちろん弁護士ではあるが)という変化がはっきり見えた方が良かったのかなと思った。それが、感情の揺らぎ(行動や仕草、声のトーン、お芝居の抜きなどなど)にでて、それまでの「弁護士」という皮が脱げたり、揺らいだりというのが見えたら良かったなと思った。


一緒に観劇していた人は、次のように話していた。

「役者さんが自分の中で配役を考えて、それを事実として演じないと、騙って(かたって)しまうことになる」

車内で2時間しゃべった感想の中より

これは役者さんのお芝居のつくり方にもよるのかなと思っているけれど、割と客観的、理論的にお芝居をつくっていると、感情(感覚)の割合が少ないので、本物の感情で動く(その場で意図の通り行動し、本物の、リアルの感情で言葉を発する)という部分が少なくなるからなのかなと思った。

相手の言葉に反応して、その言葉(意図)に対しての自分の言葉(意図)を返す。(=お芝居をうけて、返す)それをずっとやっていると、いつの間にか慣れてしまって、それがただの反射になってしまう時が来る。あるいは、こうすればよい、という一つの形になって、どんな反応が来ても結果決まってしまった形で返してしまうことがある。そういったところで、観ている人が新鮮に感じなくなる(=目の前の人間が、本物の感情で動いていないと感じる)ということはあるかもしれない。

単純に新鮮でなかった、というだけかもしれないし、先に挙げたもう一歩お芝居を深くするということが関係しているのかもしれない。
もう観たお芝居がこれ以上何かあるだろうか、というくらい良かったので、これよりも一歩先に行くためには何が要るんだろうかと思って考えたり話したりした結果、物足りないな、もっとこれがあったら良かったな、という所でこういうことかな、ということに至った。


突き詰めるところまでいく


ここまでのものをつくる、となると、後は見た人の斜め上を行く表現(=面白い)を目指すか、精度を上げるか、というところになってくるんじゃないかと思っている。今回の中で群を抜いていたのが、「椅子を倒す」というところの表現だったと思う。ここまでの丁寧さ、意味のつけ方、意図、これだけできる役者さんがどれくらいこの地に居るのだろうと思う。こういう表現ができると、その他にも、扉をあける、椅子に座る、手を触る、しゃがむ、などなど、行動や動作にはすべて意図があるのではないかと疑い始めることになるし、実際に最後はそれをひとつずつ詰めて行くことになる。
私はそれが最終的にお芝居や作品の強度を上げることになると思っているし、やっているつもりでも表現として成立していない場合もあるので、これはセンスもあるんだろうなと思っている。

その反面、ひとつのところの精度が上がると、別のところの粗が見える原因にもなる。個人的には、椅子を倒すところを恋人に見立てたところの丁寧さが、最後の名塚から離れて、接見を終了しますのところにもあって欲しかった。足の動きだしの強さ、残る手、指先、歩くスピード、「接見を~」の台詞。椅子を倒すシーンと、このシーンの想いの強さはどの程度なのか。

ある意味もうこれで名塚と「何かが終わった」、というような所でもあるんじゃないかと思った。それが良くも悪くも、区切りになるのではなかと感じた。その後のふたりの会話は、ふたりの中でそれぞれ何かが区切りをつけた後の雰囲気、という感じになっても良かったかなと思った。

四折さんの「好きだったよ」の台詞がとても良かった。そこが良かったからこそ、それ以外の感情が表に出るシーンは、滲み出る感情だったり、押さえているけれど出てしまうものだったり、色々な種類と熱量があっても良かったと思った。先にも書いたように、弁護士として、元夫として、男性として、その言葉はどの立ち位置で出たものなのか、どんな意図で出たものなのか。表現が多彩になれば、その分キャラクターの幅も感じられる。こういうのって男性側のキャラクターの崩し方(感情の幅のつけ方)が難しい印象があるけれど、最初と最後で名塚は何か変わっていて欲しいなと思った。それがどういう変化なのか、観ている方がどんな気分になるのか(二人の関係にスッキリした気持ち、もやもやが残るなど)演出も含めてどうだったんだろうなと思った。

坂本さんのつくり方は私にはできないなぁと思った。
製作会社のプロデューサーという側面のイメージが凄く良く出ていた。その反面、女の側面が徐々に色濃く出ていくところ(女にシフトしていくところ)に切り替えていくのが難しくなったなと思った。
支えたかったけれど、辺りの内面が出るところで、グッと女、女性、どうしようもない内側の感情みたいなものが決壊するようなところにも、しっかりした女性像であったり、仕事ができる女性だったり、というイメージがまだ残っているような感じがした。それがあってももちろん、そういう女性だったから、名塚は甘えられなかったり、心を許せなかったりしたという風にも思えるのだけれど、そういう部分を抜きにして、「女として」という部分で魅せても良かったのかなぁと思った。

お芝居を長くやっておられるので、自分のキャラクターでつくれるもの、生かせるものというのを解って演じられているのが凄いなと思った。自分の得意なところに持っていくというのができればつくりやすいけれど、私は自分が苦手なキャラクターだったら納得のいく形に仕上げるのが苦手だったり甘くなったりする。自分のキャラクターはこうだ、というのを掴んだ上でこの役はどう作るか、というのが安定して出来るのがいいなと思った。

四折さんのスーツと眼鏡がみられる貴重な機会をいただき感謝しています。ありがとうございます。髪を『ミステリと言う勿れ』の整くんと取るか、『宇宙兄弟』のムッタと取るかで、世代とか年ゴニョゴニョが別れそうな気がします。私はムッタ派です。


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