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観劇記録|『東西本線文芸ショー』

2022年7月に移転、リニューアルオープンした石川県立図書館。その中にある「だんだん広場」という場所で行われた、東西本線文芸ショー。文芸を親しみやすい形にして観ている人に届ける手腕は流石。
依頼があってこのような企画が生まれた(と風の噂では聴いた)とは思えないほど、
(⇩公式からの情報をいただいたので訂正します!)
 東西本線さんからの持ち込み企画だそうで、図書館という場所、文芸作品との相性、関係を素敵な作品に落とし込んだ公演でした。

『東西本線文芸ショー』
A|『蜘蛛の糸』  『夜釣』  『メリイクリスマス』
  (芥川龍之介) (泉鏡花) (太宰治)
B|『猿蟹合戦』  『野ばら』 『名人伝』
  (芥川龍之介) (小川未明)(中島敦)
2023年8月13日(日)
14時の回 (Aチームのみ)
上手やや前方より観劇



あらすじ


蜘蛛の糸(芥川龍之介)

青空文庫|https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card92.html

地獄で苦しみのさなかにいるカンダタ(犍陀多)は、生きているうちに1匹の蜘蛛を助けたことがあった。それを覚えていたお釈迦様は、カンダタの目の前に一筋のクモの糸をたらすのであった。これを掴めば極楽の世に行けると考えたカンダタは必死で蜘蛛の糸を登っていく。途中で一息ついた時、下を見ると、数多の者たちがカンダタに続いて蜘蛛の糸を登ってきているのが見えた。細い細い蜘蛛の糸は、この者たちを支えられないと考えたカンダタは急いでまた蜘蛛の糸を登り始めるのだが、自分だけが助かりたいと思った時、その蜘蛛の糸はカンダタの目の前でぷつりと切れるのだった。

夜釣(泉鏡花)

青空文庫|https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card46566.html

あるところに釣りが趣味の男が居た。妻と子供もいたが、家族に見送られ、釣りに出ることもしばしばあった。ある日、男がいつものように釣りに出かけたのだろうと妻は思っていたが、男は一向に帰ってこない。心配になった妻は男の立ち寄りそうなところを駆けずり回るが、それでも見つからない。家に戻ると、息子と娘が戸口に立ち、家の中には鰻(うなぎ)が入っている手桶が置かれている。誰かが持ってきたと子供たちは言い、「決して鰻を観ても触ってはいけない」と走って行ってしまった。妻はぞっとなり、それでも手桶をあけると、鰻が一匹、頭を上げ、妻の顔をじっと見るのであった。

メリイクリスマス(太宰治)

青空文庫|https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card295.html

私(笠井)は、疎開先の津軽から東京に戻ることになった。12月の初め、立ち寄った本屋でシヅエ子という女性とばったり出会う。彼女は以前親しくしていた女性の娘で、その女性とはお互いに恋心を抱くほどではなかったがよく酒を飲みに彼女の家を訪ねていた。
母のことを聴き、話題に出すと何やら沈んだ表情を浮かべるシヅエ子。なんだなんだ、嫉妬なのかと私は自惚れ、彼女を口説こうと母とシヅエ子の住まう家へと向かうふたり。ところが、家の前に来ると、シズエ子は突然泣き出し、しゃがみこんでしまう。話を聞くと、母はすでに他界しており、それを言い出せぬままここまで来てしまったことを詫びるのだった。
シヅエ子の家を後にし、鰻屋に飲みにやってきたふたり。ひとりの会社員が奥で飲んでいる。母の分もお酒を頼み、主人に怪訝に思われながらもちびちび酒を飲み始める。奥で飲んでいる会社員が、通りかかったアメリカ人将校に「メリークリスマス!」と高らかに声を掛ける。将校は通り過ぎ、私とシヅエ子は、鰻をふたつに分け、箸をつけるのであった。


「鑑賞」の目線に持っていくこと

「東西本線文芸ショー」は、語り手・踊り手・音楽家など様々なパフォーマーがタッグを組んで、文学作品を「鑑賞」できるようにしたものです。

公演フライヤーより引用

簡単に「鑑賞」できるようにする、と言っても文字を立体にするのは容易ではないと思う。それを、様々な手法や演じ手でこれだけ観やすく、とっつきやすい舞台にしたのは流石、素晴らしいなぁと思った。
作品に入る前の「こんにちは~」という挨拶も、幕間の司書さんの解説も、プロジェクターでお馴染みいらすとやさんの素材を使ったりしたのも、文学作品とお客さんの間を縮めるのにとてもよい演出だなぁと思った。

青空文庫で昔の作品を読んでいた時期があったが、やはり旧仮名遣いや旧文体、古い言い回しが目の前に出てくると一瞬、「ウッ…」と思ってしまう。その瞬間に身体が何となく苦手意識を引き起こし、作品の世界に入るハードルを自分で上げてしまう。
この文芸ショーを観終わった後、「思ったより昔の文豪たちの作品って面白いんだな」「本を読んでみようかな」と思った人は多いと思う。そう思わせた時点でこの文芸ショーはとても意味がある舞台、公演だなぁと思う。
そして、一度作品を自分で読み切ってしまえれば、それが成功体験になり、文学作品への抵抗も少なくなっていくと思う。

ゆっくりでも読んでいき、文体になどに慣れてくると、青空文庫さんで無限に作品を読めてしまうのでとても有意義だと思う。(演劇をやっている人は、岸田國士辺りを調べて読んだことが多いのではないかと思う)

私が観たのはAチームのみだったが、
『蜘蛛の糸』は踊り手と語り手(役者)の組み合わせで、動きがあって、言葉があるという、どちらかと言うと演劇寄りの印象を受けた。
『夜釣』は音楽家と語り手(役者)の組み合わせで、言葉があって、音もあるという、どちらかというと演劇と朗読の中間といった印象を受けた。
『メリイクリスマス』はナレーターと役者の組み合わせで、どちらかというと朗読や声のお芝居、オーディオドラマといった印象を受けた。
演者の組み合わせや作品の特徴を生かしてあって、演劇的な鑑賞から朗読的な鑑賞へゆっくりと変化していき、最後は活字に距離が近くなるような印象だった。

とっつきやすい、視覚からのアプローチを、少しずつ文字やキャラクタ―に近づけていくことで、本や文学に対する距離感が縮まっているのではないかなと感じた。


『蜘蛛の糸』

客席が「だんだん」になっているその高低差を生かした導入から、お客さんにちょっと関わりを求める、蜘蛛のプレゼント、糸を持ってもらうまで、楽しい演出が散りばめられていたなぁと思った。

『蜘蛛の糸』は多分お客さんも話や結末は知っている方が多かったと思うので、自分の頭の中で話を展開しながら、LAVITさんの表現に見入ってしまったのではないかと思う。表情や手の動きから、地獄の様子や過酷さが感じられた。糸を登るシーンの振付がめちゃめちゃ好きだったのと、語りの川端君がそれに喰らいついている様もとても良かった。話を知っている人が多いからこそ、話ではない何かを感じて貰う、というところが面白い要素になるだろうなと思った。

川端君が、演出から高い要求を求められていて、それを何とかしようとする跡や、まだちょっと足りていないかな、と思う部分もあったけれど、役者さんとしてとても真っすぐで登ろうとする力みたいなものを感じたのが素晴らしいなと思った。きっと、次に何かやるとしたら、この公演の前よりもできることが増えていたり、以前より難しいこともできるようになったり、ということがあるんじゃないかと思った。(ピアノの発表会では、ちょっと難しい曲をやるので、それが終わるとちょっと上達していて、今まで弾いていた曲が簡単に思える、みたいな感覚)

途中でLAVITさんのカンダタが、川端君が演じるカンダタに入れ替わるところがあったけれど(糸で登っているところ?)、そこがちょっとわかりにくかったなぁと思った。台詞が無くて難しかったと思うけれど、もう一つ何かあればもうちょっとわかりやすかったのかな…と思いつつ(何も浮かばない)


『夜釣』

朗読、朗読劇をどこまで高めることができれば、「発表会」の域を飛び越えられるのかなとずっと思っていたけれど、一つの回答があったなと思い、とても勉強になった。

個人的に、女房の台詞を西本さんなりのもうちょっと女っぽい感じにしたのを聴きたいです。(ただの癖)とにかく間を思ったよりも取るな、と思ったのと、それくらい間を取った方がよい、というのが勉強になった。『蜘蛛の糸』は、振りが入るので、結果的にそこが「間」にならなかったので、同じテンポ感の印象があった。最後の方の女房がぞっとした下りの表現が印象深かったし、鰻が頭を持ち上げてじっと見た辺りも目の前に鰻が現れた質感がして好きだった。

音を効果音的に使うのはいいなと思ったが、途中からちょっと音が多くてここまで要らないな、ちょっと邪魔だなと思ってしまった。もうちょっと音は引き算しても良かったし、語りがそこまで音を必要としないでも成立させられてしまっていた印象があった。最後の、女房が家に戻ってきて子供たちとしゃべるシーンの前くらいから、音が凄く気になってしまって、語りに集中できず、言葉があまり入ってこなくなってしまった。色んな楽器(音色)が出てくるのは質感なども変わるし良いなと思った。


『メリイクリスマス』

わたし、太宰が合わないなと思った(笑)
本当に太宰を通ってこなかったし、本当に通ってこないわ私、と思った。

林さんの私(語り)が、声だけでビジュアル味のある<私>で、キャラクターものが好きな方にはとても面白かっただろうなと思った。動きはあったけど、主体は声や言葉寄りだったのかなと思うと、そこだけでみせるのは難しいなと思った。3本目というのもあって、前半くらいから疲れてしまったところがあった。<私>の主観的なところや、地の文のところはもう少し抜いた感じの方が緩急も出て良かったかもしれない。
シヅエ子さんが家の前で泣き出して、鰻屋へ行く所の雰囲気がとても良かった。その後、鰻屋と会社員が出てきてから、演劇寄りの雰囲気、空気感になっていたのがちょっと面白かった。そのくらいの抜きのある空気感が前半であっても良かったかもしれないと思った。

やっぱり太宰、私とあわないな……笑。


文学作品の面白さをどう切り取るか


演劇でもそうなのだけれど、古典作品とかどこかで1回取り組んでおくと、その読み方や面白さ、切り方みたいなところの自分なりのアプローチが出来て良いなと思った。

こう見えて、大学では教育学部の国語専修過程を通ってきているので(まさか!)、国文学概論的な講義が必修であった。そのときに、初めてと言っていいほど、作品をどう読むのか、みたいな講義を受けて、なるほどなと思ったことがある。

その時の題材は、梶井基次郎の『檸檬』で、文学作品内にある象徴をどうとらえるか、みたいな講義だった。そういった見方をすることで、作者比較研究や、同じ書き方をしている作品の比較研究ができるとかなんとか…。

ゼミも実は児童文学、国語教育系の教授ゼミだったので、友達がやっていた児童文学研究、小川未明ももっとしっかり覚えて置いたら良かったなぁ~と思ったり…新見南吉とか先輩方の卒論読ませて貰っとけばよかったよな~と思ったり…。(ちなみに卒論は教授からのアドバイスもあり、演劇教育で書いたので、まったくもって児童文学とかやってなかったんだよな~。元々方言学勉強したいな~と思ったのに、そちらのゼミに入らなかったしな~~)

言葉や言い回しがとっつきにくいだけで、読んでみると面白い作品は沢山あるし、今も昔も変わらないものがあるというのにも気づける。普遍的な面白さを知ると、昔の人も今の人も人間としてはあまり変わっていないんだなというのがわかったりして、親近感も湧くと思う。
何が面白いかは人それぞれなので、自分の面白い、というところもあわせて発見できたら、それはそれで面白いなとも思う。


ふぁんより

一緒に観劇したふぁんよりメッセージをいただいております。

・東西本線さんのふぁんなので、1月の公演もチケットを取ってもらいます。
・『メリイクリスマス』で座っていた東川さんの背中見た!?あんな素晴らしい会社員ないよ!
・自分がやりたいなと思っていたことを形にしてくれるのでとても良いし、自分でやらなくても見られるのでとても良い。

ふぁんより

来年の公演も観劇したいと思いますので、よろしくお願いします。


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