声劇用フリー台本「聖木の森」5

■5
◆数日後。小屋で文献を読み漁るシルヴェストロ。
◆シルヴェストロ
これは違う、霊薬ならあるいは…。
古い魔法には、死者の蘇生記録があったはず…。
…いや状況が違いすぎる。
精霊化の解除…ダメだ、危険すぎる。
…何か、あるはずだ。
何か…現象として存在しているのだから…逆にすれば、まだ…まだ…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
…そうして、いったい幾日が過ぎただろう。
あらゆる文献、理論、知己(ちき)を頼り…毎夜たどり着く結論は、不可能という言葉だ。
あの日…あの娘が私の前から消えた、あの日以来…。
起き上がることもままならなかった私の体は、かつての上体を取り戻し…。
めしいたはずの目は、再び光を見ることが出来ている。
私は、守り手の任から解放されていた。
精霊を見ることのない、ただの人間の視力と共に。
この目に世界は見えども、精霊は見えず…。
かつて聞いた森の呼び声も、あれ以来、囁くことはなくなった。
彼女がそうさせているのだろう。
私が弟子と呼んでいた、あの娘が。
肉体へ活力が戻ってすぐ、私はあの娘を探しに森へ入った。
小屋から続く、少女の靴跡。
それを辿って、決して行くなと伝えた聖木の森の、その中に。
…あの娘は、最早どこにもいなかった。
森の半ばまで続いて靴跡は、そこでふつりと途絶え…。
あとには魔法の残滓(ざんし)が、僅かばかり残るのみ。
あの娘が、私を解放したのだと…ただ、がく然と思い知る。
自ら精霊となった後、その力をもってして、精霊のことわりを変えたのだ。
私の目に、再び光を宿すという奇跡を伴い…。
…大馬鹿者が、と。
独りごちた私の頭上で、柊の葉が微かに揺れた。
 
◆ルチア
でも、後悔はしてませんよ?
 
◆シルヴェストロ(独白)
あの娘の、そんな微笑が見えた気がした。
顔も知らない、あの弟子の。
…取り戻さなければ。
若者が老人の身代わりに。
たとえ後悔がなくとも、それでは順序が違っている。
幸いにして、魔法使いとしての能力は、まだ私に備わっていた。
私でなくとも、この世の誰か…。
世にいる魔法使いの誰かなら、あの娘を人に戻せる。
そんな確信は日ごとに薄れ、挫折ばかりが付きまとい…。
いつしか、虚しさだけが、わかりきっていた回答を伴い、胸の奥にわだかまる。
気化し、霧散した水は元に戻らない。
精霊となった魂とは、いわばその水なのだ。
どこにでもいて、どこにもいない。
そして水ならば、ひとつところに寄り集めて戻すことができるとしても…。
精霊に加わったものたちから、特定の魂だけを抽出する術など、この世にありはしないのだ。
 
◆シルヴェストロ
…私は、構わなかったのだぞ。
これほどまでする価値が、私にあると思うのか…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
そんな風に、いったい何度呟いただろう。
口にする度、私は思ってしまうのだ。
この小屋のかげから、あの娘が不意に顔を覗かせて…。
軽口めいた言葉と共に、微笑を浮かべてはくれないかと。
…むろんのこと、願いは願いのまま、叶うことなく過ぎ去るのだが。
そんな同じ夜の、ある時だった。
 
◆シルヴェストロ
護符…木星の6番か。
…いや。
 
◆シルヴェストロ(独白)
ふと手に取った、あの娘がいた唯一の名残り。
そこに刻まれた「まじない」の構築に、私は違和感を覚え、独りごちる。
木星の6番。
術が破壊されない限りにおいて、あらゆる霊的・魔力的な脅威を退ける。
守りに特化した、この世で最も強力な呪文のひとつ。
その魔方陣を描く筆跡と、内封された魔力には、奇妙なほど懐かしさがあった。
いや、覚えがあって当然なのだ。
…なぜ気付かなかった。
私はあの娘を、ずっと昔から知っている。
 
◆場面転換。
◆ルチア(独白)
奇妙な感覚だった。
頭の中がぼんやりして、体は…たとえば手足は、どこにあるかもわからない。
なのに恐ろしさはないまま、どちらかと言えば懐かしさを覚えた。
これが、人でなくなる…ということだろうか。
指を動かそうとすれば柊の葉が揺れ…。
声を発しようとすると、ささやかに風が吹く…。
森中にひしめく聖木のどれもが、私であって私じゃないような…。
前にも、こんなことがあったような気がした。
いつだっただろう。
どこだっただろう。
 
◆シルヴェストロ
大馬鹿者が…。
 
◆ルチア(独白)
誰かに、叱られていた…。
なぜかはわからなくて、でも、そう言われるのも仕方ない…と苦笑する。
声のした方に目を向けると、ひとりの魔法使いがいた。
どこかで会った気がする。
いつか一緒にいた気がする。
ついさっきも…遠い昔も…。
ああ…思い出した。
初めて、あの人に出会った頃を。
まだ私が、聖木なんて知らなかった頃…。
最初に出会った魔法使いの、あの人だ。
いや…出会った、というのは違うかもしれない。
だってあの時、私はあの人の顔も知らないままだったから。
 
◆場面転換。過去の二人。
◆シルヴェストロ
…ひどい場所だな。
難民キャンプで良い有様などあるまいが、それにしてもここは…。
…聞いた通り、子供ばかりではないか。
ああ、キミ、ルチアという子は?
 
◆ルチア
え?
 
◆シルヴェストロ
そういう名前の少女を探している。
知っているか?
 
◆ルチア
え、っと…わ、私が、ルチアですけど…。
 
◆シルヴェストロ
キミが?
…ふむ。
 
◆ルチア
あの…。
 
◆シルヴェストロ
…いや、盲人とは聞いていなかったのでな。
その目はどうした?
 
◆ルチア
…怪我した子を手当てしてたら、急に…。
 
◆シルヴェストロ
なるほど…失礼、少し診せてもらう。
 
◆ルチア
わっ…!
 
◆シルヴェストロ
じっとしていろ。
ふむ、暗夜のまじない…肩代わりしてしまったか。
だいぶ無茶をしたようだな。
噂になっていたぞ。
たった独りの少女が、15人からの子供を手当てしているキャンプがあると。
 
◆ルチア
だって…みんな、怪我してたから…。
大人のひとは、誰も残ってなくて…。
 
◆シルヴェストロ
医学の心得があったのは、キミだけだった、と。
どこで学んだ?
 
◆ルチア
お父さんから…お医者さんだった、ので…。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…キミはいくつだ?
 
◆ルチア
11歳…です。
 
◆シルヴェストロ
…私がその歳の頃は、周りなど見えていなかったよ。
もっとも、焼け出された経験もなかったが…。
独りで、よく頑張ったな。
 
◆ルチア
…そんなこと、ないんです。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
最初は…三〇人だったんです。
でも…だけど…どうしようもなくて…。
 
◆シルヴェストロ
…ああ。
 
◆ルチア
怪我も…お腹が空いた、って子も…喉が渇いた、っていう子も…。
何も、してあげられなくて…。
お墓しか、作ってあげられなくて…。
 
◆シルヴェストロ
ああ…そうだな。
そうかもしれないな。
それでもキミは…よくやったんだと、私は思う。
私が見る限り、応酬処置はどれも正しい。
キミがいなければ、誰も生きていなかった…かもしれない。
…遅くなって、すまない。
だから、私たちが頑張る番だ。
じっとしていなさい、ルチア。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
ふぅ…火星の2番。
この言葉に命があった。
この命は、光であった。
…よし、もういいぞ。
 
◆ルチア
今の…?
 
◆シルヴェストロ
その目に、治癒の魔法をかけた。
数日で元に戻る。
他の子供たちも診ておこう。
日暮れ前には救援が来るから、それまでの辛抱だ。
 
◆ルチア
魔法使い…なんですか?
 
◆シルヴェストロ
ああ…そうか、まだ言っていなかったか。
私は翆碧街(すいへきがい)から派遣された、癒し手だ。
シルヴェストロ、という。
 
◆ルチア
癒し手…。
マスター…シルヴェストロ…?
 
◆シルヴェストロ
マスターはいらんよ。
キミが私の弟子にでもなれば、また変わってくるがね。
…さて、あとはどうしたものか。
 
◆ルチア
あと…?
 
◆シルヴェストロ
キミが受けたこれは、暗夜のまじないという。
一種の魔法…もとい、呪いだ。
どちらも本質では同義だが、些か変化してしまっている。
一度は剥がれたとしても、これではまたすぐ戻るか、あるいは他の誰かに移るか。
 
◆ルチア
…!
あ、あのっ! 他の子には、絶対…!
 
◆シルヴェストロ
ああ、わかっているよ。
…私も、潮時だろうからな。
…癒し手が、戦いに駆り出されるとは…。
 
◆ルチア
え…?
 
◆シルヴェストロ
いいや…独り言だ。
護符を作っておこう、それで呪いは防げる。
肌身離さず持っていなさい。
こういう呪いは体質も変えてしまう。
あとのことは、私に任せておきなさい。
 
◆ルチア
はい…あ、ありがとうございます。
 
◆シルヴェストロ
…礼など、受け取れんよ。
では、失礼する。
 
◆ルチア
あの…シルヴェストロ、さん…。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
癒し手、って…私も、なれますか?
 
◆シルヴェストロ
…そう思う気持ちは、わからんではないがね。
道を決めてしまうには、まだまだ早すぎる。
 
◆ルチア
でも…。
 
◆シルヴェストロ
世界を見なさい、その目で。
 
◆ルチア
世界…?
 
◆シルヴェストロ
この内乱は、もう終わる。
私は、こんな言い方しか出来ない人間だが…世界は、こんなことばかりではない。
たとえ今は陰惨なだけに見えたとしても。
多くを見て、それから決めなさい。
心が変わらなかったのなら、私はこの世の果てで待っている。
 
◆ルチア
果てが…あるんですか?
 
◆シルヴェストロ
あるとも。
滴る朝露に葉がきらめく、そこは柊たちの森だ。
私はいつでも、そこにいるよ。
 
 
◆場面転換。現在に戻る。
◆ルチア(独白)
ああ…思い出した。
そうだ、私は…私は、癒し手になれたんだ。
私に、光を取り戻してくれた人。
私もあの人に、また世界を見てほしくて…。
最後だったけれど、一度きりだったけれど…私は、あの人の夜を終わりに出来たんだ。
だから帰らなきゃ。
あの人が待ってる。
私は弟子だから。
マスター・シルヴェストロの、弟子だから。
 
◆シルヴェストロ(独白)
なぜ、忘れていたのだろう…。
あの娘の顔を、私は見ていたというのに。
世界は陰惨なものなのだ、と。
他でもない、私がそう信じていたのか。
だから呪いをこの身に封じ…。
だから夜のとばりを下ろし続け…。
そして私は、結局また救われたのか。
絶望しかなかった時代に、たった独りで戦い続けたあの娘を、初めて見た時のように。
…また夜に身をゆだねるわけには、いくまい。
私は師となったのだから。
あの娘の…ルチアの師であるのだから。

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