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煩悩まみれのお坊さん

寺の住職というと「人間のお手本」「欲がない」みたいなイメージを持たれがち。檀家さんも住職のことを「先生」と呼び、それなりに尊敬をしているようです。中には深刻な悩みを打ち明けたりする人も。

でも、住職というのは「住職の資格を持っている」だけであって、その他は至って普通の人間です。

そりゃ厳しい修行とか必要なのかもしれませんが(浄土真宗は試験のみ)、一定期間だけです。四六時中悲惨な目に合っていて、しかも一生報われることがないサラリーマンの方がよっぽど厳しい修行をしていると言えます。

住職は、朝は基本的にお参りやお勤めで忙しいですが、昼からはなにをしているワケでもなくテレビ見てたりします。住職というのは読んで字のごとく「寺に住む職業」なので、まぁしっかり仕事をしていると言えなくもないですが……

住職の中でも会社員を経て資格を取ったり、公務員など兼業をしていたり、幼稚園の運営をしている人は立派な人が多かったのですが、問題は「住職しかしてこなかった人」です。これ系の住職は「煩悩の権化」みたいな人が少なくありません。

無茶なクレームをつけてきて金をせびってきたり、自分の理論を押し通そうとしたり、些細なことでブチ切れたり、飲酒運転で捕まったり、女性関係で捕まったり、とにかく捕まったり……

「住職として」というか「人として」、どうなの? っていう人がいます。世間知らずなんです。ハッキリ言って。

こういう住職には大変苦しめられてきました。店長なんかしょっちゅうブチ切れてました。

住職と言えど、「煩悩」を消すのは不可能です。人間ですから。それでも住職という特殊な職業についている以上、ある程度は我慢せねばなりません。

高級外車に乗っている住職が問題になることがありますが、これはダメでしょう。そういう人はお参りに行く際はワザとボロボロの車に乗って行ったりします。

高級外車なんて乗りたくても乗れない人がほとんどです。高級外車欲しけりゃハゲるほど頑張らないといけません。

中には三食満足に食べられず、それでもお布施だけは出している人がいるんです。

だから高級外車くらい我慢せえっちゅう話です。我々以上に「煩悩」むき出しじゃないですかソレ。

この程度の煩悩に負けて、人より沢山贅沢したけりゃ住職やめて、普通に金稼いでください。自分で稼げば誰も文句はいいません。

皆、夜のステーキを我慢して、出したくもないお布施を払っているワケです。その金で住職が高いステーキ食ってたらダメでしょう。まあ、ずっと食うな、というのも可哀想なので、その辺の塩梅は難しいところなのですが、高級外車は間違いなくアウトです。

住職って政治家以上に「クリーンさ」というのは必要かと思います。人々の「気持ち」で食ってるワケですから。我慢は我々以上にしないといけない。

「セックスするな」「うまいモン食うな」とか言ってるワケじゃありません。それは人間として必要なことです。浄土真宗を作った親鸞さんも性欲にだけは勝てませんでした。だから妻帯という新たなルールを作ったんですね。自分がセックスしたいがために。

それはともかく、煩悩にまみれている住職はもっと人々の気持ちに立って、謙虚でいてほしいんです。

一般人にはとても手の出せない高級外車買ったりとか、ちょっと気にいらないこととか、酒飲んで運転とか、普通の社会人でも余裕で我慢できそうなことに我慢できんでどうするんですか? 「先生」とか呼ばれていい気になってる場合じゃないです。

もちろん素晴らしい住職はたくさんいます。私自身助けられたこともあります。私が憤っているのはちょっとのことも我慢できない「煩悩まみれの住職」に対してです。

この人たちは尊敬するに値しません。住職すべてが「お手本」ではないのです。素晴らしい人は俗世でもたくさんいます。

「煩悩まみれの住職」は今、仏教衰退の憂き目に合い苦労しています。謙虚にコツコツ活動してきた人は、それなりの信頼を得て、お金も集まります。

正直、ざまあみろとしか思えません。それだけ嫌な住職が多かったということです。

あぁ、スッキリした。

愚痴を聞いてくださり、ありがとうございました。

#エッセイ #住職 #煩悩 #外車

働きたくないんです。