見出し画像

僕が実況芸に力を注ぐ理由

僕がここ数年、力を注いでいることの一つに「実況芸」がある。「実況芸」とは、自分の本職である実況というスキルを使って、スポーツ中継以外で表現するパフォーマンスのことだ。現在は僕しかやっていないので、この分野の先駆者は僕ということになる。もちろん、知ってもらう作業をするのも僕しかいないのである。

そもそも「実況」を「芸」として見てもらおうと思ったのは、局アナ時代の古舘伊知郎さんが、オーケストラの演奏や首狩り族の運動会を実況する姿をテレビで目撃したのが始まりだ。当時の僕はまだ小学生だったわけだが、古舘さんと同じ職業に就いた今こそ「ああいうのやってみたい」という気持ちと、「依頼された仕事だけではなく、もっと自発的な表現がしたい」という気持ちになったのである。さらに、実況をスポーツと切り離して、舞台上で披露しようという試みも、古舘さんの「トーキング・ブルース」がお手本だ。

さて、人前で実況のイベントを、と考えたものの、問題は僕に古舘さんのような知名度がないことである。当然、イベントはお客さんが来ないと成立しない。そこで思いついたのは、もうひとり、僕より名の知れたプロフェッショナルに来てもらい、一緒にステージに立つことで、実況のスキルを見てもらうことだ。

「人のふんどしで相撲を取る」という言葉があるが、音楽の世界には「セッション」という言い方もある。世代やジャンルの異なるミュージシャン同士が即興で演奏するように、実況を使っていろんな人と一緒に即興で表現できないものだろうか。この発想と「実況芸」というネーミングに関しては、完全に僕のオリジナルである。

そんな考えで始めたイベントの初回は2018年2月、落語家の春風亭一之輔さんとのセッションだった。高座に上がった一之輔さんのそばに立ち、「初天神」という噺に時折、実況を挟み込んで勝手にストーリーを変えてしまう。

「なんとなく、このへんで実況で割り込みますね」という約束だけして、あとはその場の空気を読んで実況してみる。落語ファンはいつもと違うストーリーを聞いて驚いたに違いない。一之輔さんの高い技量があったから成立したことは言うまでもないが、実況がいろんなものと混ぜられるという手応えをこの日、少しだけ感じることができた。

寄席で活躍する人たちには、その後も声をかけ続けた。浪曲師の玉川太福さん、紙切り芸の林家正楽さん、漫談家のねづっちさん、活動弁士の坂本頼光さん。彼らは、ほぼ毎日のように人前に立つ一流の寄席芸人だ。

それから、ライブで大観衆を沸かせるミュージシャンとも共演してきた。AAAのSKY-HIさん、クラムボンのミトさん、凜として時雨のピエール中野さん、弦楽器奏者の高田漣さんらは、いずれもセッションの名手である。

マンガ家の寺田克也さんとは、iPadに描かれるイラストレーションを実況した。旧知の間柄もいれば、初対面の人もいる。損得や見られ方よりも「面白いことをやりたい」を重視する人たちに出会えたことは本当に幸運だと思う。

さて、初回から数えて3年、開催したイベントはこれまで10回を数える。さすがにここまでやるとイベントの作り方は分かってくるし、舞台の緊張感にも少しだけ馴れてくる。どうやったら、聴衆の興味を惹きつけられるのか、しゃべりの強弱やペースを考える癖がつく。

そして、共演者のパフォーマンスを舞台袖で見ることができたのも大きい。彼らは各ジャンルの一流ばかりで、表現においては最高の教材である。「実況芸」を経験することによって、実況やナレーションの仕事など僕の表現力は格段に上がったように思う。

もちろん、イベントは楽しいことばかりではない。準備はすべて自分でやらねばならないし、収支が赤字になることもある。去年からはコロナウイルス感染対策も講じなければならなくなった。しかし、それでも続けるのは、実況アナウンサーという仕事はスポーツ選手と同じように、選手生命に限りがあると考えるからだ。一般的に実況の反射神経、言葉の選択、声量などがピークにあるのは、40代から50代前半と言われる。つまり、実況アナウンサーとしての全盛期にある今こそ、挑戦したいのだ。

自分で共演相手を選んで舞台を作るという意味では、僕がやってることはスポーツ選手というより、プロレスラーに近いのかもしれない。アントニオ猪木だって若い頃は自分で自分のリング(舞台)を作ったのである。

とにかく、自分で興行をやって感じるのは、「面白そうですね」と言ってもらうのは容易だが、実際にチケットを買って会場に足を運んでもらうのは、本当に難しいということだ。ましてや「次も来よう」と思わせるのは、さらにハードルが高い。お客さんが少ないとモチベーションに影響してしまうし、自分のやっていることは間違いではないか?という疑念も沸いてくる。これは何かを表現しようとする人すべてがぶつかる壁なのかもしれない。

正直に言うと「実況芸」という表現は、誰に頼まれわけでもない。賛同してくれる人たちの厚意に支えられてきたものの、正直に言うと、まだ彼らを潤せるほどの仕事にはなっていない。でも、なんとか「仕事」として成立しないだろうか。

これまで数多くの「ない仕事」を「ある仕事」に変えてきた、みうらじゅんさんの著書に書かれてある言葉を信じたい。

すべての『ない仕事』に共通しているのは、最初は怪訝に思われたり、当事者に嫌がられたり、怒られたりすることもあるということです。(中略)しかし『それでも自分は好きなんだ』という熱意を失わなければ、最終的には相手にも、お客さんにも喜んでもらえるものになります。

みうらじゅん「『ない仕事』の作り方」(文藝春秋)

僕は実況をやっている瞬間は何よりも楽しいし、他人がやらない実況ができたときには、さらに快感がある。僕は実況が好きなのだ。そうした熱意をもっともっとステージからお客さんに伝えていくことで、「実況芸」は変わっていくんじゃないかという気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?