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アマゾンレビューを見て思う日本人の減点思考

アマゾンで本を買う。
単行本や文庫も買うし、kindleも買うし、オーディブルは月会員だ。
で、どの本を買うか。
これは自分では直したい癖でもあるのだが、レビューに左右されてしまう。
なぜ直したいのかというと、そもそも人の感性は違うからだ。
レビューがピカピカの高評価なのに、私の心は少しも動かなかった本はいくらでもある。
この本最高!と思ってレビューを改めて見ると、思わぬ低評価だったりもする。

そもそもレビューは公平なものじゃない。
その時の気分で評価したり、悪意が込められていたり、広告宣伝のための恣意的なものであったりもする。
そんなことは重々承知にもかかわらず、レビューが高評価だとつい食指が動き、低評価だとなんとなくスルーする自分にも気づいている。

私はライターであり、自分の関わった本ともなると、評価の★の数だけでなくレビューの文章にも目をやる。
するとするとだ。
「届くのが思ったより遅かった」とか「表紙に折り目がついていた」なんて理由で★3にしていることもある。うそーんである。
配達の話は別のページに評価して、そこは内容について書くとこでしょ、気づいて訂正しなさいよ、と思ったりするがどうしようもない。

また、レビューについて思うのが翻訳本のことだ。
翻訳本の場合、その原書のレビューを見ることもあるが、たいてい日本語版よりも評価が高いのだ。
「手放しでほめる」というのをやってのけている。
「手放しで」と言いつつも、レビュー文章じたいは長いものが多い。
いいところを抽出し、列挙して、絶賛する。
そこには疑問点やネガティブな感想が含まれることもあるが、わざわざレビューしようという本なのだから、総じて評価は★5がつけられる。

原書から日本語版のレビューに目を移すと、
「総じてよかったけど、ここが一点気になった」という理由で、★4になっていたりする。
あるいは、「とてもよかった」と書きながら、なぜか★4がついていることも。

もしかしたら、これは文化的な問題なのかもしれない。
私たちは親からも教師からも減点法で評価されてきたからだ。
「あなたはここができる。素晴らしい!」とほめて伸ばすのでなく、「ここができない。ここが劣っている」と強化・修正する発想だ。
とすると、どうしたって「できないところ探し」をしてしまう。
せっかく光るものを持っているのに、学校や社会の評価と合わず、周りから見出だしてもらえず、自分自身も気づかないまま「フツーの大人」になっていくという例は多いだろう。

蛇足だが、よく「昔は神童だった」という言葉がある。
これは親バカを皮肉った表現だと思っていたが、
もしかしたら本当に皆、神童で、周りの大人たちが神童を持て余し枯れされてしまっただけなのかもしれない。

とアマゾンレビューを眺めつつ、つらつら考えた。
そして、私が心に決めたことは2つ。
*自分や他人のいいところ探しをしよう
*アマゾンレビューを気にせず本を買おう
である。




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