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日本語誤用警察

誰しも心の中に自分独自の「日本語誤用警察」がいる。前から思ってたことだ。

「こだわり」という言葉は本来ネガティブな文脈で使用される言葉であるはずなのにポジティブな文脈で使うアホが多い、という話を聞かされた時に思った。正直ピンと来ない話だったけど、でも僕も別の日本語表現で似たような感覚を覚えることはある。

例えば「代替(だいたい)」を「だいがえ」と読んだり、「ハードルが高い」と「敷居が高い」の使い分けを間違えていたり、「申す」「仰る」の使い分けを間違えていたり、ひどいのになると「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」を間違えていたりとか、そういうのを見聞きするたびに僕の心の中の誤用警察が出動しそうになる。「それ間違ってますよ」と言いたくなる。でもなるべく言わないようにはしている。

なぜ言わないのか。それはきっと自分も何かしらの誤用をしている可能性があるから。100%、一部の隙も無い完璧で由緒正しき日本語を使いこなせているという自信は無い。要するに「お互い様の可能性がある」ということだ。

日本語という言語も今やそれなりに歴史を積み重ねた結果「これが正しい」の基準も曖昧になりつつある。自分が受けた教育をベースに考えると「それ違うよ」と思うことも、自分より若い世代は「それが誤りである」という教育を受けていない可能性がある。ならばそこに認識のズレが生じるのは仕方ないことだ。警察といえど従っている法律が各々異なるということだ。我が誤用警察の法律は時代遅れの可能性がある。

でも「逆鱗に触れる」と表現するべき場面で「琴線に触れる」という表現を使用していた仕事仲間のメールに対してはツッコミを入れざるを得なかった。全然真逆の意味で誤用というレベルではないと思ったから。でもどうなんだろう。YouTube の動画で全く同じ間違え方してる人見かけたことあるから、いずれは誤用から常用へと収束されてしまう可能性はあるかもしれないね。

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