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カメラは家電

大阪で親交を深めたカメラマンが東京に行くので飲みに行こうと誘ってくれた。というわけで今度はマンツーマンで酒を酌み交わした。そこでは写真について色んなことを話したけれど、中でも僕が口にした「カメラなんて所詮は家電だよ」という発言が彼にとっては興味深いものだったようだ。同意したわけではないと思うけど、彼にとっては新鮮な考え方だったのだろう。

目を瞑ってシャッターを押しても露出やピントを合わせてくれるような道具だ。最低限のアウトプットは最初から保証されている。学習や鍛錬が必要な「絵画」や「音楽」とは根本的に「最低限必要なスキル」のレベルがかけ離れているのだ。

ただ誤解してほしくないのだけど、カメラを家電レベルの「道具」で終わらせるか、自己表現のための「ツール」として使いこなすかは、結局それを使う「人」に依存すると考えてはいる。

絵画も音楽も写真も、等しく自己を表現するためのアウトプットだと考えている。そこに上下の差は無い。ただその中で「写真」だけが見劣りするのは、道具にこだわり道具に依存する人が余りにも多いから。画家が絵筆にこだわるように、ミュージシャンが楽器にこだわるように、カメラマンがカメラにこだわるのは当然のことだ。ただそれが余りにも過剰なのである。

前にも似たようなこと書いてるけど、写真を公開するときにカメラやレンズの種類・焦点距離、絞りやSSなどを一々説明する人は結局「機材オタク」とか「レビュワー」でしかなく「表現者」ではないと思っている。そして僕は「表現者」にしか興味が無い。

だってそうでしょう。例えばミュージシャンが公開した曲を聴くときに、利用した楽器、機材、レコーディング環境などに興味を持つのは一部のマニアだけで、多くの人はそんな知識を持ち合わせていない「良い曲を聴きたい」というだけの人たちだ。そしてミュージシャンが聞いて欲しいのは「機材固有の音色」ではなく「彼が作った曲」のはずだ。音楽では当たり前のことなのに、写真だとなんでその物差しズレちゃうんだろうな。不思議で仕方ない。

カメラやレンズの機材レビューは、自分が元から購入を検討しているなら「参考にはする」だろう。でもそのアウトプットを「自己表現」と受け取る感性は残念ながら持ち合わせていない。

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