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ピエロになってしまうことについて

つい、ふざけてしまう。
まじめに話すことができず、冗談にすり替えたり、ぼけたりした経験がある方も、いるのではないだろうか。
私もそんな一人である。

自分の話をまじめにすることがどういうわけか辛く、まじめに話そうとすると涙が出てきたりする。
自分がまじめに話すと内容が重すぎるのではないか、ひかれるのではないか、そういうこともよく思う。
気づくとたいして面白くもない冗談を言い、寒い話をし、まじめになることを避けるようになっていた。

自分を守るためにふざけていたのに、時折、まじめな話を誰かにとっぷりとしたくなることがある。
自分が本当に考えているまじめなことを聴いて、と。
だがいざ話そうと思っても、先にふざけはじめてしまって、まじめな話にたどり着かない。

ピエロは、仮面の下・分厚い化粧の下で泣いている、という表現がある。
自分はそんな感じだ、と自分だけピエロの気分になる。
誰だって、顔に出さずに内側で泣くことはあるだろうに、自分の世界で自分だけがピエロだと嘆いてしまうのはなぜだろう。
自分以外はみんな仮面をつけず、化粧をせず、すっぴんのままそこに立っているなんて、なぜ思うのだろう。
この見方には、自分だけがかわいそうだと思うことにも難点があるし、自分以外の人がまっすぐ思いを示して生きていると買いかぶっていることにも難点がある。
誰でも自分がかわいそうに思うことはあるだろうし、まっすぐでいつづけられる世の中でもないだろうから。

なりたくなくても、目を開いたときにはすでにピエロで、仮面に開いた穴越しに世界を見ている。
顔に触るとそこに肌の触感はなく、何か塗りたくられている。
多分たいていみんなそうなんだ。

ピエロでいることは辛いし好きじゃない。
でも気づいたらピエロで、ピエロをやめることは難しい。
やめようとしている時点で、自分がピエロであることをはっきりさせてしまっているし。


それでも多分、仮面と化粧はずっとついてくるのだと思う。
嫌ってしまっては、仮面も化粧も辛いだろう。
時々、その仮面と化粧があってよかったと思う日もあるのだから。

しゃぼん玉の泡みたいに考えは浮かんでは割れるけれど、浮かんでいたのは本当のことで、だから浮かんでいた泡のことを書きたい。そんな雑記帳です。