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修羅場

絶対にこの会社を業界No1の会社にすると決めましたが、内容を検討するにつれて容易ではないことが判ってきました。当社は売上げおよび利益はいずれも業界3位で東洋紡フィルム部門と3位の座を賭けて争っていました。
一位は、二村化学。二位は、東セロ(旧東洋セロファン)。食品包装フィルムの業界はセロファンメーカーから始まっています。私の会社も旧大日本セロファンを買収して子会社化したものです。
食品包装フィルム業界の主力用途は袋物ラーメン、レトルトパック、パン、お菓子などですが、日清食品や山崎パンなどは直接の顧客ではなく、袋を印刷・製袋している大日本印刷、凸版印刷などの大手印刷会社が直接の顧客でした。

染み付いた貧乏性

フィルムメーカーより顧客の印刷会社のほうが大きな会社なので、納入価格は徹底的に買いたたかれました。そのことを象徴する言葉が「価格はCC何銭?」というのがあります。
つまり、幅X長さ=面積ですがこれにフィルムの厚みを掛けると体積になります。
契約したフィルムの面積ではなく、体積で契約金額を割ると使用した原料レジン1cc当り何銭かが出てきます。フイルムの品質は厚みの均質性、ピンホールが一切無いこと、巻姿が均一で崩れないこと、透明性などいくつかありますがそれらを一切無視して、原料レジンの体積当り幾らかを聞かれています。こんな屈辱的なことはありません。フィルムは薄くなるほど技術的に難しく、生産時間も長く掛かります。これらフィルムメーカーの努力を無視して原料の体積で値段を決めようというわけです。

一方、原料プラスチックレジンの価格が上がれば、フィルム価格も自動的に上がります。
つまりフィルム製膜プロセスの付加価値は無視されていましたからレジン価格が上がれば、フィルムも値上しなければフィルムケーカーは潰れるしかありません。業界の協調など関係なく値上げは通りました。7~8社ある競合状態の中で我社だけが頑張っても意味はありません。逆に業界一の低コストを実現することが覇権を握る唯一の鍵です。

コストダウン、薄利多売

フィルム生産の最初の数十分又は数時間は品質が安定しないので、その時間帯の製品は格外品として破砕して原料槽に戻されます。従って1品種を長く継続して生産することがコストダウンに一番効きます。7系列しかない本社工場で、80品種以上のフィルムを生産していました。理想的には、各生産系列、月1回の品種切り替えで14品種ぐらいが望ましいのですが、全品種を売り上げ順に並べると、上位35品種で売り上げの96%を稼いでいました。
しかし営業担当者が訴えるのは、

「この品種も受けないと、主力品種も買ってもらえない。」

ということでした。

とにかく業界1の低コストを実現するためには、生産品種を絞って1品種を長く引き続けるしかありません。理想の品種数は14品種ですが流石に品揃えに問題が出ます。第1段階では20品種切り捨てて60品種にしました。切り捨てた品種は、一年に1回、1社だけが買ってくるような品種で一回生産すると5年間ぐらい在庫になっていました。
今まで「こんな品種が欲しい」と云われれば、ハイハイと全部受けてきた結果です。

「この客は切れません」という客先には。私が担当者に同行しました。北海道の小樽のそばに銭箱という町があります。地方ではありますが優秀な製袋メーカーがありました。
新任の挨拶を兼ねて訪問し問題品種の廃番について恐る恐る切り出します。

「実はこの品種は日本中で御社しかユーザーが居ません。今回、御社の年間使用量の5年分を生産して在庫します。5年後に生産を止めさせていただきたいのですが・・」

というと、出てきた工場長が大笑いして、

「石井さん、このフィルムは他社からも買えますから何の問題もありません。」

と許していただきました。
こうして、品種が少なくなると、工場の生産効率が上がり工場長は新しい営業本部長がすっかり気に入りました。
しかし60品種でもまだ多すぎます。特に原着フィルム(顔料で色をつけたフィルム)は7種類ぐらいありました。電化製品の外箱を作る薄い鋼板は、電機メーカーに出荷される前にはスクラッチが着かないようにフィルムを張ります。(プロテクトフィルム)
フィルムに色をつけることで鋼板の種類を識別して在庫管理を楽にします。
私は販売員を集めてこういいました。

「どのような色にしますか?」

と聞いてはいけません。

「色つきフィルムは3色ありますが、どの色になさいますか?」

と聞いてこの3色の中で決めてきなさい、それで7色は3色に削減出来ました。
色つきフィルムは生産の度にマシンを分解して洗浄するので、生産効率の悪い品種のトップでした。少しづつ、こうして工場は生産効率が上がりコストも下がり始めました。

次に販売員を集めてこういいました。

「他社が値下げして後から同値まで下げても、客は承知しない。当社が最初に安値を出して商売を取ります。交渉が難航した時には、まず顧客が考えている購入希望価格を先方から言わせることに全力を傾け、次に自分では決められないほどの安値であることを強調して、私に客の目の前で電話してきなさい。」

私が居なくても、居ない私に「ここまでの価格ですがどうしますか?」と云って、

次に「判りました。今回だけとりあえずお受けするということで・・」

と云って電話を切って、全部受注してきなさいと指示しました。
営業マンにとってこんな楽な交渉はありません。連戦連勝しました。

少ない品種で、工場をフル稼働するという方針は当たりました。
業界に先駆けて安値攻勢に出てもコストダウンが大きいので黒字になりました。

最後の聖域

残った問題品種はアルミ蒸着フィルムの原反です。
プラスチックフィルムに高温で溶解・蒸発させたアルミニウムを付着させる蒸着フィルムは最も技術的に難しい分野です。真空中でアルミニウムを蒸発させるような高温環境下でプラスチックフィルムを走らせるには、高速でないと熱でフィルムが解けてしまいます。
強靭性以外に幅数メートル、長さ数万メートルのフィルムを緩み無く均一に巻き上げる技術が必要です。東レのグループにはアルミ蒸着加工をする業界1位の会社がありましたが、蒸着フィルムの原反は二村化学から購入していました。わが企業グループには変な見栄があって、「グループ内会社といえども、外から品質、価格でよりよい条件を提示されたらグループ内からの買い付けの義務はない。」ということになっていました。
「甘えを排除して互いに一流になろうね」というわけです。

当社は、アルミ蒸着用フィルム専用工場を岐阜県中津川市に新設したばかりでしたが、業界最大の蒸着フィルムメーカーである同じグループの会社は買ってくれません。
仕方なく乗り込みました。営業部門の最高責任者は私の1期先輩でしたが、私の会社は同じグループ企業であることに甘えているのではないかという先入観がありました。
そこで新規参入にあたり大幅な値引きを提案しましたが、

「二村化学のサービスに満足している。切り替える理由は無い。」

という冷たい対応でした。そこで、

「別に二村品を追い出して当社品を買ってほしいといっているわけではありません。業界首位とはいえ、貴社はまだまだシェアを伸ばしてガリバー型の首位になるべきで当社の提案をそのために活用して欲しい。」

といったところ、上昇志向の専務取締役にはビビット来たらしく、乗り出してきました。
とりあえず、何ロールかを納入できました。1ロールが10トン近い大型商品です。
つぎに奇跡が起きました。
「二村化学は老舗」ということは製造設備はかなり古くなっていました。
当社は新設工場で最新鋭の機械をそろえています。蒸着プロセスに投入すると品質差は明らかで、トラブル発生率、A反率に大差がついて先方の工場サイドから全部このフィルムを買ってほしいという声が上がり二村化学のシェアは全部当社に切り替わりました。

1年後、中津川工場の能力が不足して第2生産系列を増設することになりました。

「営業はもう売るものが無いので、生産能力を増やす以外会社の成長は無い!」

と本社に訴えて増設許可を取りました。
当社は、そのとき業界2位の会社になっていました。
200社近いグループ子会社の中で、10位近い成績になりました。
全社の部門別業績発表会で何度か発表をさせられました。

モットーは、

「メーカーの営業部は、商社のそれと違い売れそうなものや売りたいものを仕入れて売っていればいいということにはならない。自社工場の製品を売りぬいて工場をフル稼働に追い込まなければ工場は改善されない。また工場の生産性を改善するような売り方をしなければ、工場の生産性改善は進まない。」

というものです。工場長上がりの本社トップマネジメントには好感を持って受け取られました。

日本復帰後、3年たって、またまた私の辞令が出ました。

「本社に帰り、重役待遇の理事として新事業を担当せよ。」

と云うものでした。             


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