見出し画像

「ベルリンの壁」跡地を走破して気付いたこと(1)

 東ドイツから西ドイツへの逃亡を防ぐために「ベルリンの壁」が築かれたのが1961年。そして「ベルリンの壁」が崩れたのが1989年のことでした。それから東西ドイツは統一されて、負のシンボルであり無用の長物だった「ベルリンの壁」は街から姿を消していきます。今では市内の数カ所に残されているのみ。そんな「ベルリンの壁」の跡を2020年から2021年にかけて自転車で走破したのですが、幾つかのことに気付きました。

本物の「ベルリンの壁」を見ることができる「イースト・サイド・ギャラリー」

ベルリンの壁の西側周辺に大きな変化は少ない

 「ベルリンの壁」を走破して気付いたことの一つは、「ベルリンの壁」の西側周辺では昔写された写真と比べて大きな変化が少ないことでした。これは再開発の対象が西側でなかったためかと思います。その理由として考えられるのは、東側での再開発の容易さや、再開発の必要性です。いずれにせよ、「ベルリンの壁」の当時の写真を携えて、その西側を訪れると、風景の変わらなさに驚かされることでしょう。

1978年セバスティアン通り Stiftung Berliner Mauer, Foto: Edmund Kasperski
2021年セバスティアン通り 壁の西側は40年経っても変わらないまま

ベルリンの壁の東側周辺は様変わりしている

 これは都市部に限ったことで郊外では当てはまらないことですが、壁跡地、そしてその横に造られた無人地帯(壁への接近を妨げる空間)は、ほとんど残されていません。一部は記念施設や公園などに転用されていますが、市内中心部であることから、住宅やオフィスなどが建設されて様変わりしています。そのため市内中心部で通りに沿って現代的な建物や住宅が続く場合は、「ベルリンの壁」跡地を再開発した場所である可能性が高いでしょう。

再開発によって様変わりした東側の街並み。

新しい住宅地と古い住宅地が「ベルリンの壁跡地」を軸に広がる

 市内中心部の「ベルリンの壁」跡地を巡っていると、たいていは片方が古い住宅が立ち並び、反対側には新しい住宅や建物が立ち並びます。そのため最初の頃は西側が自由で進んでいたので、壁跡地の横に広がる古い住宅は東側だと勘違いしていました。しかし、上で取り上げたように実際は古い住宅は西側なのです。こうした新旧建物のコントラストは顕著で、「ベルリンの壁」を巡っていると多くの場所で見ることができるでしょう。

壁の東側(左側)は再開発によって現代的な住宅へと変わっていました。道路の真ん中にあるのは、壁があった場所を指し示すタイル。

「ベルリンの壁」は残されていなくとも、今でも東と西を見分けることができる

 「ベルリンの壁」は1989年に崩れることになり、30年以上の月日が流れた今では市内のごく一部に壁が残されているだけです。そんな壁のない現代の街並みを見ても、どこに壁があったかを想像することは簡単ではありません。ですが、街並みを眺めていると、今もその痕跡が残されていることに気付くでしょう。再開発された街並み、そして昔ながらの街並み、その間にある通りこそが、「ベルリンの壁」があった場所なのです。

壁の東側には建つOMAによるモダンな建物。壁は通りの右端に築かれ、今は道路に貼られたタイルでも、その存在を気付くことができます。

こちらのnoteマガジンで「ベルリンの壁」を走破したことをレポート記事でまとめています。ぜひこちらもご覧ください。


サポートしていただけると嬉しいです。サポートは、「ベルリンの壁」のリサーチに利用します。