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匚について、その2。

訳わかんないことは一旦やめてみて、訳がわかる段階まで遡ってやってみよう。と頭のなかでよく唱えている。

例えばいま文字を打ち込んでるこのPCや、webサービスや、それを可能にする電力や、飲み水や、道路や、その上を走る物流や、着ている衣類や、腰を落ち着けているこの住居や、スーパーで買ってきた食材や調味料…。その構成や作り方について僕は全く理解できていない。そういう「訳がわからない」ものばかりに囲まれて日々を過ごしている。

現代社会としてはそれは発展・成熟なのかもしれないが、僕はこの「訳がわからない」ものに囲まれている状態を居心地悪く感じている。適当に割り切って日常生活を送ってはいるが、チャンスを見つけては少しでも「訳がわかる」方へ近づいてみようと、時間があれば勉強してみたり自作してみたりしている。「訳がわかる」割合が増えると気分がよいからだ。

服を作った。マヨネーズを作った。野菜を育てた。印刷物を作った。webページを作った。自分で作るとその成り立ちを少し理解できて、その分だけ愉快になる。ひとつ踏み込めば新たな訳わかんないことが出てくるため、どれだけやっても完璧に「訳がわかる」ということはあり得ないのだが、愉快だから、たぶん死ぬまでやってるだろう。


楽曲をつくること・演奏の場を作ることにも同じ原則を適用するようになった。「訳がわからない」から少しだけでも「訳がわかる」に近づきたいとき、まずそれを使うのをやめてみることも有効だ。なくても成立しそうだと思えるものは一度捨ててしまって、本当に必要だと心からの要求が認められるまでは、使わないでおく。

まずは、なんとなくのまま人と演奏することをやめて、一人きりでどこまでできるのかを試すようになった。電気のいらないアコースティックギターで、スピーカーもない生音で演奏できる機会を大事にした。

ギターの演奏も、鳴らさなくても成立する弦は鳴らさないようにして、音数を少なくしていった。僕にとっては声の方が重要度は高いのでそちらを残して、ギターの音は、最低限必要なものだけに削ぎ落としていく。そうして余計なものを取り払っていくうちに、歌っているとき・ギターを弾いているときの楽しさの核のようなものが少しずつハッキリしてきた。これが僕の音楽体験における喜びの最小単位なのかもしれない。

2年くらいかかった気がする。年間4〜50回ほどの演奏の場を持ち、自分の身一つでどこまで楽しめるのかを模索して、訳わかることが増えると自然と飽きもやってきて、いよいよ、次は人と音を鳴らしたいという気持ちが湧き上がってきた。


匚ではいわゆるバンドみたいに、打楽器やベース楽器を含んだリズム隊を基盤とする音楽をやってみたい。そうなるとまずはじめに訳わからないのは「ドラムセット」。つまり両手にスティックを持ち、両足も使って、バスドラムとハイハットとスネアドラムを核として作られるリズムパターンのことだ。

僕は昔からドラムがとても好きなのでスタジオにあればだいたい叩く。PCにMIDIを打ち込んで音楽を作るようになるずっと前からドラムを叩いていて、だから僕の中に流れるリズムの語彙はだいたいドラムセットで再現可能なものだ。しかしこの「ドラムセット」って一体なんなんだろう。よく考えると訳がわからない。

簡単に調べた限りでは、もともとは複数人が集まって1パーツずつ合奏していたものが、片手ずつで一人二役をやるようになり、フットペダルが開発されて両足にも役割を分担できるようになり…とここ100年ほどで今のドラムセットの形が作られてきたということらしい。新しい道具の発明と共に、一人でできる肉体操作の中にあらゆる形式のビートをまとめることが可能になった。雇うのが一人で済むなら経費削減になるという商業的な利点も相まってここまで広く普及したのかな、と今はそう解釈している。

さて、このドラムセットという技術体系の本当のありがたみを僕は理解できているだろうか。いや〜やっぱり「訳がわからない」。じゃあやっぱりまずはドラムセットの肝であるフットペダル、これは一旦、なくしてしてみて、両手でできることに限定してみよう。それで音が足りないならば人手を増やそう。それならギリギリ「訳がわかる」かな。というのが匚のリズム作りの出発点だ。

それは日頃から聴いていた音楽でいえば、かつてのTune-Yardsや、三田村管打団?や、民謡クルセイダースのリズム構成があてはまる。そこから世界各地の原始的な打楽器の構成などなどの実例を辿っていき、自分の楽曲においてどう構成するかを考えていった。

 


匚V2では、高良真剣くんと富田真以子さんの二人に打楽器をお願いする。初リハは来週なので現時点ではまだ揃っての音出しをしていないが、真剣くんには何度も事前の実験に付き合ってもらった。机の上で考えたものを実際にやってみるとうまくいかない部分がある。それをよりうまく鳴るように、より演奏してて楽しくなるように、少しずつ調整している。

たまに思い出してはちょいちょい手をつけ、今の形に行き着くまで1年ほどかけた。来週ついにリハーサルが始まるので、すっっっっっごく楽しみだ。


2月14日の水曜日に渋谷WWWで東郷清丸匚の演奏があります。


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