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腕時計

今年の上半期はなんだかずっと気分が上がりきらなかった。それは猛烈に忙しかった昨年の下半期を無事乗り越えた安堵と燃えつき、そしてその後、入ってくる仕事がふと止まってぽっかり間があいて、ちょっと緩めるつもりがそのうち緩み過ぎている状態に…と、振り返ればわかりやすい流れではあるが、渦中にいるときは継ぎ目がなくて、気付けば日々の色彩がすっかり失せてグレーな状態で過ごしていた。

インターネットをだらだらと眺めているうちに一日が終わるという過ごし方は、はじめは楽しいけれど、わりとすぐに飽きがきて、飽きがきているのになぜか続けられてしまう。次に取り掛かるべき仕事も見当たらないのでどんどん時間が吸い込まれていく。身体を使ってないので疲労もあまりなく、光る画面をみていたこともあって眠くもならず就寝時間は遅くなるばかり。そして朝はダルい。やっかいなループにはまってしまった。

変にこんがらがってきたときには、最も簡単なレベルからやり直す。時間の使い方がぼんやりとしてきたならば、まず1秒ずつカウントしてみること。1、2、3、4…。これがいつも意識する時間のほぼ最小単位で、これの積み重ねで24時間ができている。極端な話、毎秒「今何しているか」を測っていれば、なにをやったかわからないまま時間が過ぎていくということはありえない。1秒ずつでは現実的ではないけれど、これを1時間ずつとすれば、やれそうだ。

グラフを書いて、自分が一日に本来やりたいことをそれぞれ列にする。該当する作業を1時間やるごとに1メモリずつ、ビルを建てるようにグラフを伸ばす。一日が終わるとき、その就寝時間と起床時間から活動時間を割り出し、グラフに記録した全体の時間を引けば、どれにも該当しないあぶれた余計な時間もわかる。ちょっと試してみたらとてもいい感じだった。思い返せば大学受験で7科目の勉強を並行して進める必要に駆られたときに編み出した方法と同じだ。

もうすこしカンタンに時間を測るため、腕時計を買うことにした。昔、新卒サラリーマンだった頃にはしていたけど、敏感肌でかぶれやすいし、窮屈に感じるしで、もう10年近く付けてなかった。でもその後に夜間のデザイン学校に通ってたときにもカシオの2千円のやつをつけていたっけ。それも半年で辞めてしまったのでそんなに記憶が残っていない。

こういう時の道具は、いつでもどこでも手に入るもののほうが、無くしたり壊したりしてもなんとも思わずに買い直せるのでいい。かといって雑に作られたものは気が散るので、そこそこ堅実な規格品のようなものを選びたくなる。チープカシオと俗に呼ばれるものたちはだいたいバランスがちょうどいい。Amazonで探して、CASIO CA-53Wというやつを買った。2,980円。

時計がいつでも見られればそれで十分だったけど、これはストップウォッチ機能もついていて、作業時間の測定でいうとこちらの方が断然ラクだった。ほとんど使わないけどアラームと電卓機能もついている。ボタンが多くてかわいい。バックライトがないのでちょっとでも暗い環境だとほとんど見えないが、時計に集中し過ぎたくもなくて、特に困ってはいない。やはり腕がかゆくなるので、基本ははずして丸めて脇に置いている。

仕事の作業をするとき、休憩するとき、家族が起きてきて生活タイムが始まるとき、ストップウォッチを走らせ、終わる時にその所用時間をメモする。これを続けるうちにだんだんと、1日24時間が少しずつ自分の手元にもどってくるような気がした。インターネットをだらだら見る時間もあるけどそれも計測して把握できていると不安がない。こうして数字で認識できると、ここをもっとこうしたらいいんじゃないかと能動的に操作したい欲求が出てきて、1ヶ月続けるころには生活リズムもまるで変わった。いまは21時半就寝の4時半起床でおよそ安定してきているところだ。

時は金なりというけど、確かになと思う。というか実際、世に存在する数多のサービスが、金と同じように僕の時間を持っていくことを目標に組み立てられているとすら感じられる。財布や口座の金が減っていれば気づけるけれども、時間についてはさほど気にとめていなかった。

宝くじに当たった人間が、億の規模の金を扱う術を知らず最終的に破産するケースが多々あるらしい。大きな病気をまだしておらずそこそこ健康を自認している自分のような人間にとって、老衰死までの数十年という時間もまた、億単位の金と同じように、扱い方をまず習得すべき規模の資産である。実験はつづく。

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東郷清丸の日々の金遣いの記録。何を考えて、何を買って、どうだったのかなどを記していきます。

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