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匚について、その1。

「匚」はホウと読む。東郷清丸による、歌がもつ力の原点をめざす楽団編成。2022年11月に僕を含めた5人で初めて演奏した。そこからコーラスふたりを抜き出した3人組の「彡」(サンと読む)や僕とだれか一人とでデュオをする「卜」(ト、と読む)という派生形があり、来たる2月に人数を増やした7人での初演を控えている


匚のことを、僕はバンドとは言わずに楽団と表すようにしている。それは僕がすべてのパートの演奏を楽譜に書いて、演奏者に演奏してもらうからだ。僕にとって「バンド」とは、たとえばアルバム「2兆円」や「Q曲」での曲作りのように、進行やキメなどの概要をもとに、全員集まったスタジオで何度も演奏しながら細部を練り上げていく形態を指す。その意味で匚はバンドではない。知ってる言葉を使ってうまく表現するならやはり「楽団」ということになる。

10代でバンドをやるようになってからずっと、基本的には「バンド」しかやったことない僕にとって、匚は新しい音楽の作り方を試す場となっている。ここに至るにはひとつのきっかけがあった。2022年10月の「岡山すいすいウインズ」。これは、東郷清丸と、岡山県の高校生吹奏楽部有志の方が集まって、コラボコンサートをするというイベントだった。僕は吹奏楽はおろか五線譜を介した演奏の作り方を全くわかっていなかったので、初めは断ったが、運営の方々からの再プッシュもあり、作編曲家の西井夕紀子さんにサポートをお願いできることにもなり、引き受けることにした。

吹奏楽部の方々もヒマじゃない。大会や定期演奏会や文化祭などレギュラーの演目だけでも忙しい上に定期テストもある。対面で練習できるのは二週間前の1回きりで、あとは本番前日のリハしかない、という、初チャレンジとしては非常に不安なスケジュールで進めることになった。

全部で10曲ほど、自分の曲を吹奏楽団と共に演奏するためにDAW上で編曲して、それを西井さんに楽譜にしてもらい、岡山に送り、向こうで練習しておいてもらうという手筈だ。しかし、はじめの対面練習に向かうときは気が気でなかった。手元のPCソフト上で再生してうまくいったとしても、それを現実に鳴らす場合にどういう不具合が生じるのか、その不具合を時間内に修正することが可能なのかどうか、何もかも経験がないので全く予測がつかなかった。

いよいよ事前練習の日、音楽室でせーのと鳴らしてみたら、不安はすぐに吹き飛んだ。高校生チームは楽譜をさらっていてくれたので既に最低限、形にはなっていて、編曲の設計そのものは概ね想定通りに、部分的には想定以上にうまくいっていたことがわかった。演奏する上で技術的に難しいポイントがあれば本人たちから教えてもらい、その場で調整していった。もちろんカンペキとは程遠かったが、意図は通じていたので、あとは練習して身体に馴染ませてもらうだけ、ということがわかってホッとした。その後本番も、参加者みんなが(たぶん)楽しんで、演奏することができた。

このイベントで、楽譜さえあれば、遠方に住む高校生が僕の曲をこうして演奏してくれるのかという感激と共に、五線譜を介したコミュニケーションの速さと安定性を思い知った。編曲作業は予め僕ひとりの脳で完了させておいて、それを適切な書式で記すことさえできていれば、「バンド」の時と比べて圧倒的にはやく演奏を立ち上げることができる。そしてその書式を理解し指示通りに楽器を操作する力さえあれば「誰でも」演奏することが可能だということに大いに魅力を感じた。譜面起こし作業も、西井さんにお願いして終盤は自分でもやらせてもらい、実感は一層深まった。このやり方で普段のライブも作れないだろうか、ということで立ち上げてみたのが楽団「匚」なのである。

…と、ここまで書いてみて、大仰な気がして恥ずかしい。「楽譜があると便利」。こんなことは音楽大学を出た者でなくとも、一度でも音楽を専門的に学んだ人間であればみんなわかっていることだ。「楽譜があると便利」。当たり前のことなのだ。

しかし僕はそれを知らなかった。音楽の授業を受けてはいたけれど、自分で楽曲を作ることに接続されてはいなかった。幼児のお喋りと同じように、聞こえてきた響きをそっくりそのまま記憶することで語彙を蓄えていた。それらの響きが「あいうえお」という要素に分解できるだとか、その配列を組み替えることで意味を操作できるだとか、その意味の操作法にも歴史があるだとか、そういう視点はなかった。行き当たりばったりで出会えた美しい響きを集めておいて、そのままか、ときにはちょっと歪めてみたり伸ばしてみたりしながら、並べてきただけ。そうして楽曲を作ってきた自分の感覚を僕は頼もしく思っているが、その作り方だけしかないということに、しばらく前から飽き始めてもいた。

音楽は魔法のように聴こえるが、聴こえてくるすべてが魔法なわけではない。感動的に美しい会話があったとして、使われる言葉そのものはやはり、誰もが使うただの言葉である。音楽の中でいう言葉とは、どの部分で、それはどのように操作できるのかを、実験しながら探していく場。それが「匚」のひとつの側面である。


2月14日の水曜日に渋谷WWWで東郷清丸匚の演奏があります。

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