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「ヴァチカンのエクソシスト」を観て

 最近、国際線の飛行機の中で「ヴァチカンのエクソシスト(原題は、Pope's Exorcist 教皇のエクソシスト)」を見ました。ホーラー映画のジャンルですが、クリスチャンの運営するフェイスブック・グループ「聖書で読み解く映画カフェ」で、大体的に推薦されていたので、すぐに観ました。

実在の司祭を描いた、敬虔に富む映画

 説明にあるように、これはしっかりとした、実在のカトリック司祭による悪霊祓いを実話にしたものであり、教訓と示唆に富んだ、しかも最後はキリストにある希望も描かれているので、大変よいものだと思います。磯川道夫さんが書いたブログに感想が詳しく書いてあります。

  次の投稿にあることが、主に学ぶことができることです。

① 自分の罪を告白して、完全に赦されているとの確信がないと、その心の揺るぎに悪魔が入りこんでくる。
②絶えず祈っていなくてはいけない。目の前に起こっている悪魔の言葉や行動に惑わされて祈ることを止めてはいけない。
③神のことば、力を信じること。

キリスト教会の大汚点「ユダヤ人への異端審問」


 そして、日本では重みをもっていない歴史的事実があります。それは、スペインの異端審問であります。

 ローマによってエルサレムが破壊され、世界に離散したユダヤ人が多くスペインに住んでいました。15世紀の女王イザベラ1世が、1478年に異端審問所を設立します。この時以来、コンベルソと呼ぶ、いわばキリスト教に改宗したユダヤ人を、隠れユダヤ教徒であるかどうかを異端審問しました。ほとんどを火炙りに処しました。その急先鋒として動いたのが、ドミニコ会修道士たちです。

 今、ユダヤ人の大半がイエスを自分の主として信じていません。これを、歴史的背景を知らずして、単に彼らが頑なであり、かつこともあろうに、悪魔の子であるとして、イエス様の言葉を歪曲してぶつける時、それは歴史を通じて行ってきた、キリスト教徒の過ちを繰り返しているにしか過ぎないのです。ホロコーストも、それ自体はナチスドイツによるものですが、歪んだキリスト教があり、またルターの晩年の反ユダヤ主義の延長、その結実とも言われています。

 本映画では、これを、実在のアモルト司祭の原書に基づいて、このスペインの教会堂の地下に眠っていた悪霊祓い師の遺骸や文書から、悪霊祓い師の修道士自身が悪霊に取りつかれ、イザベラ女王に進言したからだとしています。つまり、あの異端審問は、悪魔の仕業だということです。下が、その場面をカットした動画です。

 こちらに、歴史の正確性に欠けるという批判記事があります。

 けれども、ドミニコ修道士が、率先して非人道的な異端審問を行っていき、それが、ユダヤ人をキリストの愛への応答としての信仰から大きく遠ざけた、つまずきの石を置いたのは間違いのない事実であり、そういった意味で、その狂信の背後に、まぎれもなく悪魔と悪霊どもが働いていたと言えるのではないでしょうか?

悪魔や悪霊の罪定めをも利用し、勝利する、キリストの恵み


 本映画には、この悪霊が好んで使っている聖書の言葉があり、"Your sin will find you out"という民数記32章23節で「罪の罰を思い知ることになる」ということです。カトリック教会にあった罪が、このような形で暴かれたのですが、そこで、キリストの十字架を見ないといけないのです。この映画にも表れています。司祭たちの、隠れた罪をみごとに悪霊に暴かれます。しかし、彼らはそれぞれに、罪の告白をします。そしてキリストの血によって赦されたという確信をもって、悪霊に対峙するのです。

 悪魔や悪霊は、私たちの罪を暴いて、キリストの愛から引き離そうとします。しかし、聖なる神の御霊は、むしろその罪がキリストに釘付けにされたことを明らかにして、私たちに罪の赦しの確信をくださいます。そこに必要なのは、私たちの砕かれた心、つまり罪を確かに犯したと認める心と、へりくだりです。そして、キリストの恵みに飛び込む大胆さです。

神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7)

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